今度こそ、目が覚めると窓の外は朝だった。
まだ嵐は続いているようだが、夜の間よりも幾分かマシになっている。これなら昼にはフェリーが出せるだろう。
「ん! よく寝た! おっはよーダーリン♡」
「ああ、影子」
まだみんなが起きてこない朝方だ、ひとり窓辺に立っていたハルの背後に伸びた影から、にゅ、と影子が姿を現した。
「アタシがいない間にずいぶん楽しいことになってたみたいだな」
ハルの感覚は影子の感覚、ハルの記憶は影子の記憶だ。起きてすぐ情報を共有すると、影子はにんまり笑って言った。
「こっちの身にもなってよ……」
「ふはは、おつかれさーん!」
「おはようございます影子様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
早速影子のにおいを察知した一ノ瀬が、寝間着姿で横合いから影子に抱き着く。すりすりと頬を寄せながら、
「私、昨日の夜はからだのほてりを押さえるので精一杯でした……!」
「ん、邪魔だ、どけ。アイスバケツチャレンジでもしとけよメス豚」
「ああ、影子様ぁっ♡」
すり寄ってくる一ノ瀬をげしげし蹴って追いやっていると、ミシェーラも起きてきた。
「……ムニャ、グッモーニン、ハル……あ、カゲコも……」
「おはよう、ミシェーラ」
「……ええと……ワタシ、昨日の夜……?」
「なにもなかった、なにもなかったんだ」
ハルはミシェーラの肩をがっちり捕まえると、そう強く言い含めた。思い出さない方が良いこともあるのだ。
「よう、塚本と女子たち。お、塚本影子も帰ってきてたのか。朝飯行こうぜ」
早起きは三文の徳というが、このひとはまだ徳を積むのだろうか。顔を洗って着替えてこざっぱりとした倫城先輩が、さわやかな笑顔をドアの向こうからのぞかせた。
「そうですね、せっかく用意してもらったんだし、行きましょうか」
「きつねうどんあんの!?」
「それはないと思うよ、影子」
「お腹空きましたね、影子様!」
「ワタシ日本のお米の朝食大好きネ! レッツゴー!」
口々に言って、一行は身支度を済ませてから朝食会場に向かった。
何ごともなく朝食を済ませ、荷造りを終えると外の天気はだいぶん回復してきていた。これなら昼のフェリーに間に合いそうだ。
フェリー乗り場に向かったメンバーは乗船手続きを済ませると、行きにも使ったフェリーに乗り込んだ。
「ふぅ、なんとか無事出航か」
「色々あったけど、楽しかったネ!」
「私は影子様がいらっしゃるところならどこでも♡」
「塚本を陥落できなかったのは残念だったけどな」
「ん! っつーわけで、サラバだ!」
陸を離れ徐々に遠洋へと進んでいくフェリーのデッキから、昨日散々遊び倒した砂浜を見送る。
たしかに、トラブルは多々あったが結果的にはみんな楽しんだようだった。二度と来ない高校二年生の夏休み、いい思い出が作れた。
沖へ向かうフェリーはけっこうな大きさで、広々としたデッキが三階まである。中にはドミトリーや談話室、食べ物の自販機もあった。ここから一時間の船旅の友である。
ハルがデッキで母親に無事帰ることを通話で伝え終わったころ、影子が出てきた。
「ん、こんなとこにいたか。探したぞ?」
「なに言ってんだよ、全部『影』でお見通しだろ、白々しい」
「ふは! それはオヤクソクってことで」
柵にもたれかかりながら海を眺めるハルの横で、影子も同じように海を見た。ざぶざぶと波をかき分けて進むフェリーはもう陸も見えないところまで来ていて、辺りは360度海しかない。
「……影子」
「んん?」
「楽しかった?」
おそるおそる、ハルが尋ねる。
影子に対して、ハルは負い目じみたものを感じていた。ずっと自分の影の中に閉じ込めて、十数年間ひとりにさせていたのだ。だからこそ、外の世界で存分に青春を満喫してほしかった。
小さなハルの問いかけに対して、影子は女子高生らしい満面の笑みを浮かべて答える。
「ん! ちょう楽しかった! こういうのまたやりてぇな、って!」
「そっか、よかった」
『影』の割に、その笑顔がとてもまぶしくて、ハルはうっすらと目をすがめながら微笑んだ。
つかの間、互いに笑いあって海を眺めていると、ふと影子の顔色が変わる。
鼻をひくつかせながら、
「……におうぞ」
「におうって、なにが?」
「トロくせぇな、決まってんだろ、『影』の気配だ!」
『影』。影子と同じ、ひとから生じたイデア。特に主人を持たない『ノラカゲ』はひとを食って成長する。こんなところに現れるなんて、相当なめぐりあわせだ。
らんらんと赤い瞳を輝かせる影子は、同じく赤い戦いの笑みを浮かべながらあちこちを見渡した。
「どこだ? どこにいる?」
「影子、出来るだけひと目には……」
「わぁってるよ! ひと知れず『影』をぶっ潰しゃいいんだろ!」
明らかに浮ついている影子を止めることなど、ハルにはできなかった。こと戦闘に関しては影子は異常なまでの執着心を見せる。闘争本能というやつだろうか。平和主義のハルとは真逆の『イデア』ならではである。
「どこだどこだどこだどこだどこだどこだ……!?」
「落ち着いて、影、こ……!?」
最初は見間違いかと思った。
それもそのはず、甲板の上をひとのすねぐらいの高さの、真っ黒なオモチャの兵隊たちが行進していたからだ。高らかにマーチを奏で行進する兵隊たちは、ハルたちには見向きもせずに甲板を横切っていく。
「……みぃつけた!」
にぃ、といびつなほどにくちびるを吊り上げ、影から主力武器である真っ黒なチェインソウを引きずり出す影子。どるん!とエンジンのうなりを上げたチェインソウだったが、肝心の『影』はなにも仕掛けてこない。
それどころか、とうとう甲板の柵を越えて、海へと次々に落ちていく。
「…………?」
入水自殺をするオモチャの兵隊たちを見ながら、ハルと影子は不思議そうな視線を交わした。この『影』はいったい何がしたいのだろう?
答えが出たのは、すべての兵隊たちが入水自殺を敢行した後のことだった。
突如として巨大なフェリーが行く海面が大爆発し、船体が大きく揺れる。
「な、なんだぁ!?」
「いちいちうろたえてんじゃねえ! さっきの『影』だ!」
大きくかしぐデッキで近くの鉄枠に捕まりながら、ハルは急な出来事に混乱していた。
『影』? さっきのオモチャの兵隊の『影』と関係があるのだろうか?
波を蹴立てながら緊急停止したフェリーのそばの別の海面が、また爆発した。ぐらりと船が傾く。このままでは沖合で転覆して、乗組員乗客もろとも海難事故だ。
いや、待てよ……?
「そうだよ! さっきの『影』は全部船の影に突っ込んでった……! 要するに、影に入り込んで爆発させる『影』だ!」
「そ、そんな『ノラカゲ』いるの!?」
「いるわきゃねえだろ! 『影使い』の『影』だ!!」
わめく影子の言葉に、ハルは思わずはっとしてしまった。
『影使い』。自分と同じ、己の影から生じた『イデア』を使役する存在。
真っ先に思い浮かんだのは、先日の『影の王国』でハルたちが退けた男のことだった。
まさか、またあのひとが……!?
「影子……!」
「ちっ、またぞろぞろ飛び込んでやがる!」
それどころではないらしい影子は、チェインソウを構えながら続々と現れる黒いオモチャの兵隊たちを睨みつけた。
行進曲と共に海へとダイブする兵隊たちは『影爆弾』となり、またも船底で爆発を起こす。
『乗客のみなさん! 落ち着いてください! 救命胴衣を着用し、係員の指示に従ってください!』
船長のアナウンスが海上に響き渡った。おそらく船内はパニック状態だろう。ミシェーラたちは大丈夫だろうか?