目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

№15 『アタシは下りた』

「おいこらデク人形ども!」


 片手でチェインソウを構え、片手で鉄枠に捕まりながら、影子が叫ぶ。


 ぎょろり、と『影爆弾』の兵隊たちの目が一斉に影子に向けられた。影と同じ深さの、無数の漆黒の瞳。


 オモチャの兵隊たちはこぞって影子に飛びかかってきた。


「しゃらくせぇ!」


 影子がチェインソウを振るうと、ふたつみっつまとめて兵隊たちが墨汁のようなシミになって弾ける。もうひと薙ぎでさらに兵隊たちを削り、影子は影色の返り血を浴びて真っ黒になった。


 しかし、数が多すぎる。次々と湧き出てくるオモチャの兵隊たちは、倒しても倒してもキリがなかった。


「ダメだ影子! 本体を叩かなきゃ……! これだけ『影』を放出してるんだ、そろそろ『影』が本体のところに戻る!」


 『影使い』は限界まで行使した『影』を自分のもとに帰さなければならない。さもなくば『影』は消える。以前も逆柳たちASSBとの共同作戦で、その性質を突いた作戦を立てた。


 しかし戦いの興奮によがり狂う影子の耳には届かない。


「影子……影子!!」


「るっせえ! こんだけおいしい獲物が出てきてるんだ、こちとらフードファイト中なんだよ!」


 ぎゅいいん、とチェインソウがうなり、次なる標的を求めて影子が疾駆する。


 このままではいけない。消耗戦になる。そして……


 隙を突かれて、影子の影に『影爆弾』が一体沈んでいった。


 次の瞬間、傾いた甲板の上に爆炎が上がり、影子が巻き込まれる。


「影子!」


 慌てて駆け寄ったハルの目に映ったのは、右膝から先を失って苦い顔をする影子の姿だった。


「……ちっ……! これじゃ暴れらんねえじゃねえか……!」


 真っ白な額に汗を浮かべ、息を荒くする影子は、それでもチェインソウを離しはしない。あくまでも戦いを続けるつもりだ。


 『影』である影子にも影はある。充分に『影爆弾』の発動条件を満たすのだ。その威力たるや、巨大なフェリーを傾かせるほどだ、マトモに食らえば影子ひとりくらい吹き飛ばせるだろう。


 向かってくるオモチャの兵隊たちを斬って捨てていく影子だったが、先ほどまでとは違って明らかに防戦一方だった。そうしているうちにまた隙が生じ、『影爆弾』の侵入を許してしまう。


 ぼん!と爆音が響き、チェインソウを握ったままの影子の右手が吹き飛んだ。大きく斜めになった甲板上では、なにかに捕まっていないと海に落ちてしまう。影子は残った左手で鉄枠にぶら下がるので精いっぱいだった。


「……くっそ……! こうなったら総攻撃で……!」


 またアレをやるらしい。影子の最後の手段、影のすべてをあらゆる刃の『影』に変え、敵を切り裂くあの奥の手。


 影子は以前、それで消滅しかけた。


 それはダメだ、絶対にダメだ。


 今度また会えるという保証はどこにもない。


 ハルはとっさに覆いかぶさるようにして影子を強引に止めた。


「離せ! クソッタレ、離せっつってんだこのドアホ!!」


「イヤだ!!」


 ちからの限り影子のからだを抱き止め、ハルは拒絶する。


「アタシはまだ戦える!! 戦えるんだ!!」


「もうやめろ、影子!!」


「ちくしょう、どけ!!」


「どかない!!」


 右手右足を失ったおかげでかろうじてハルにも止められる。すがるように影子を押さえ、無我夢中でその闘争を制止した。


 ……そういえば、さっきから『影爆弾』の攻撃がない。


 影子を止めることに必死になっていて気付かなかったが、ふと我に返ると船上にはもうオモチャの兵隊の『影』はどこにもなかった。


 ……助かった……?


 ハルたちが揉めている内に『影』を引き上げたのだろうか? どちらにせよ、敵勢力は完全に沈黙した。


 徐々に安定を取り戻しつつある船の上で、ハルは四肢を失った影子のからだを抱きしめ、胸中で安堵していた。


 それもつかの間、平常運転に戻ったという船長のアナウンスと共に、腕の中の影子が片手でハルの胸倉をつかみ上げる。


「なぁに逃げてんだよ!? アタシはまだやれた!! なんで止めた!? 戦わせろよ!!」


「敵の正体もわからないのにむやみに戦わせるわけにはいかないだろ!? 現に君は追いつめられてた! また僕の前から消えようっていうのか!?」


 ハルも負けてはいられない。同じような勢いで影子に物申すと、いまだに戦いの余韻にたぎる赤い瞳を睨み据えた。


「いいか! 君は僕のものだ! 君のいのちは僕のものだ! そのいのちを無駄にすることは、なにがあっても主人として許せない!」


 以前、影子は『アタシはアンタのもんだ』と言ってくれた。その言葉に胸を打たれたからこそ、ハルは影子にふさわしい主人になろうとした。


 その信条に従って、今影子を止めたのだ。


 間違っているとは言わせない。


 たとえ影子本人からであってもだ。


 ハルは自分が正しいと思うように行動したまでの話。ならば今更それを曲げるわけにはいかない。


「うるせぇ! うるせぇうるせぇうるせぇ!! 知ったことか! アタシは戦いたいんだ!! 戦わなきゃ……!」


「君は何をそんなに生き急いでるだ!? 少しは自分のことを大切にしろ!」


「たしかにアタシはアンタのもんだ! けど! アンタの命令で動くいわれはねぇ!! アタシは戦う!!」


「矛盾してることに自分で気づかないのか!? 従者は主人の命令に従うものだろ!? 僕が戦うなと言ったら戦うな!」


「ああああああああああ!! くっそ!! じゃあ前言撤回だ!! アタシはアンタのもんじゃねえ!! いちいちうぜぇ命令してくんな!!」


「はぁ!? 君から言い出したことだろ!? それを反故にするっていうのか!?」


「そうだよ! 自由に戦えもしねえんじゃハナシになんねえ! アタシは下りる!!」


 そう言ったきり、影子はハルの腕から逃れてハルの影へと沈んでいった。これから手足を再生するのにかなりの時間がかかるだろう。その間に頭を冷やしてくれたらいいのだが。


 突然の敵襲、絶体絶命のピンチ、そして主従関係の崩壊。


 嵐のような出来事に、ハルもまた混乱していた。


 今回は影子の闘争本能が悪い方に働いてしまった。しかし、ハルは自分が正しいと信じていた。主人として、むやみに従者を傷つけてはならないと。


 しかし影子もまた、己の闘争本能を信じているのだろう。互いの求める正しさが真逆になってしまい、影子はハルから離反した。


 こうなってしまっては、もう意地の張り合いだ。ふたりとも根が頑固なので一歩も譲らない。


 通常航海に戻ったフェリーの甲板で、ハルは苦々しげな顔をして柵を殴りつけた。


「もう知らないからな……!」


 向こうから謝ってくるまで許してやるもんか。子供じみた意地だとはわかっていたが、感情が追いつかない。ひとり残され、ハルは今回の襲撃のことに頭を切り替えることにした。


 あの『影爆弾』の本体は一体誰なのだろうか?


 なぜトドメを刺さずに帰ってしまったのか?


 『影の王国』となにか関係があるのだろうか?


 どうしても浮かんでくるのは『あのひと』の後ろ姿である。『例の件』でハルたちが倒したと思っていた男だ。


 もしも彼が新しい『影』を得て再びハルたちを狙いに来たとしたら? 密会で逆柳が言っていたことを思い出す。『影の王国』は、邪魔なハルと影子を排除しに必ずまたやってくる。


 今回の襲撃が彼の仕業だとすれば、このフェリーに乗っているはずである。しかし、岸に着くまでの残り数十分で探し出すことは難しいだろう。


 それに、影子はミシェーラがくさい、と言っていたが、同じ船に乗り合わせて遭難しかけたミシェーラが『影の王国』の関係者であることは考えにくい。それよりも同じ船のどこかに乗っている彼が仕組んだことと考える方が自然だ。


 次に、なぜぎりぎりのところでトドメを刺さずに去ってしまったのだろうか? 『影』の放出量の限界に達して、ふたりが揉めている隙を突いて本体のもとに帰っただけだろうか?


 どうもそれだけではないような気がした。おそらくこれは示威行為だ。ハルたちへの宣戦布告なのだろう。


 しかし、単なる示威行為をしかけるだけでなんになる? 邪魔ならさっさと潰せばいいだけのこと。わざわざ攻撃してきて、完全に息の根を止めずに帰ることの意味が分からない。そもそも、船を転覆させようとしたり、やり方がまどろっこしいのだ。


 ……もしかしたら、『あのひと』にも情がわいたのかもしれない。希望的観測だが、ハルはふとそんな気がした。


 まだ自分のことを大切な弟子だと思っていてくれているのなら、話し合いの余地はあるかもしれない。


 逆柳は今回の事故を足掛かりに大々的に『影の王国』対策支部の宣伝をするだろう。それに反応して彼がなにかしらのアクションを起こしたときが勝負だ。


 ずっと心残りだった。さよならも言えずにあんな形で別れてしまったことが。


 今度こそ、真正面から話し合いたい。


 まずはASSBの報道を待とう。


 当面の目標が出来たので、ハルのこころは多少落ち付いたが、やはり影子のことは頭から離れなかった。


 なぜ自分から離れていく? なぜ自分を置いていく?


 君は、僕のものじゃなかったのか?


 考えまいとしても、どうしてもむなしい問いかけが宙に散る。


「……くそっ……!」


 無性にいらいらして、ハルはまた柵にこぶしをぶつけた。


「ハルー!? 大丈夫だったカ!?」


「影子様は!?」


「……なんかあったか、塚本?」


「大丈夫だよ! 影子はちょっと、今の揺れで気分が悪くなったって」


 甲板にやってきた他のメンバーたちと合流しても、ハルの中のもやもやは消えてくれなかった。


 『あのひと』のこと、影子のこと。


 それらを無理矢理に飲み込んで、ハルは心配してくれている三人になんとか笑いかけるのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?