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№17 『七人の喜劇王』

 影子が影にこもって一週間、雪杉との邂逅から四日経った、ある日のこと。


 ハルのスマホに一件のメールが届いた。


 差出人は不明、捨てアドだ。そこにはただ、『『影の王国』について。本日午後三時に、駅ビルのカフェテラスまで』と書かれてあった。


 正直罠かとも思ったが、虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。


 そんな衆人環視の街中で襲われることはないだろうが、一応逆柳に連絡を入れると、影ながら護衛をつけてくれると返ってきた。影子が引きこもっている今、万が一の事態には備えなければならない。


 謎の差出人からの指定時刻、ハルは駅ビルのカフェテラスへと足を運んだ。ビル風は夏の熱気をかき消しきれず、吹き付ける熱風となっている。今日の最高気温は34度だ。Tシャツの背中に汗をかきながら、ハルはレジに待ち合わせである旨を伝えた。


 外のテラス席に向かうと、そこにいたのは見覚えのある顔だった。


 いや、忘れようにも忘れられない顔だ。


 知らず、ハルの足は早まり、やがて助走をつけるような速さになった。


 その勢いのまま、差出人の頬をこぶしで殴りつける。


 椅子ごと派手にひっくり返った差出人……師匠は、打たれた頬を押さえながら上半身を起こして苦笑した。


 ハルはそのからだに馬乗りになるようにして胸倉をつかみ、燃え滾る怒りのまま叫んだ。


「……なぜ裏切った!?」


「それは間違いだよ、ハル君」


 師匠は耳慣れた涼やかな声音でそう言うと、首をゆっくりと横に振る。


「僕は最初から君の味方ではなかった。ウソは一切ついていない。ただ、肝心なことを話さなかっただけだ」


「そんな詭弁……!」


「残念だったね、僕は詭弁で生きてきたんだよ」


「……っ!」


 そう言われてしまってはもう何も言えなかった。せめてもう一発、と掲げたこぶしにはちからが入らず、やんわりと師匠の手によってどかされる。


「話をしよう。席についてくれるかな?」


 たしかに、ここで熱くなってしまっては元も子もない。師匠は『影の王国』に連なる唯一の手掛かりなのだ。そして、この前の事故のことも聞き出さなければならない。


 師匠の上からどいたハルは、渋々カフェテラスの席に着く。驚いた店員が事情を聞きに来たが、殴られた本人の師匠が笑顔で『なんでもないです』と言ったので、怪訝そうな顔をしつつ立ち去っていった。


 互いに向き合うようにして席に着くと、当然のように冷たいブラックコーヒーが出てきた。師匠のカフェではブラックコーヒーしかメニューになかった。毎日のように通い詰めていたハルは、苦手なブラックコーヒーに砂糖とミルクをたくさん入れて飲んでいたものだ。


 何もかもが懐かしすぎて、ハルはコーヒーに手をつけることができなかった。


 一方の師匠はストローに口をつけながら、


「……うん、悪くない味だ。ちょっと酸味がきつすぎるけど」


 のんきに味の感想などを述べている。


 いら立つな、と自分に言い聞かせながら、ハルは努めて落ち着いた声音で師匠に話しかけた。


「それで、『影の王国』について、でしたよね? なにか知っていることを話してもらえるんですか? それとも、この場で僕を消しますか?」


「そう結論を急ぐものじゃないよ、ハル君。君の悪い癖だ。僕は久しぶりに弟子の顔を見たくなって来たんだよ。ただそれだけさ。その世間話のタネに、『影の王国』の話題を用意したわけだ」


 殴られて腫れた頬をかばうように頬杖を突きながら、師匠はのんびりとコーヒーを飲んでいる。あからさまに相手のペースに乗せられていた。やはりこのひとには敵わないな、と頭のどこかで思うハルがいる。


「元気にやってるかい?」


「……あなたが出て来なければ、ね」


「そう言わないでくれよ、かなしいな」


「あんな事故を起こしておいて、そんな風に言いますか?」


 まずはあのフェリーでのことを聞き出そうと、ハルは核心を突いた。


 しかし師匠はきょとんとした顔で、


「事故?」


 そう問い返すばかりだ。そらっとぼけているだけの可能性もあるが、一応追撃しておく。


「一週間ほど前、あなたは『影』を使ってフェリーで事故を起こし、僕たちを陥れようとした。違いますか?」


「……ああ、あの件か」


 どうやら思い至ったらしい。師匠はグラスを置いて肩をすくめ、


「あれは僕の仕業ではないよ」


「けど! あなた以外考えられない……!」


「君たちに『影』を潰された僕に、今更なにができるって言うんだい?」


「あ、新しい『影』で……!」


「ハル君」


 しどろもどろになっているハルを、師匠は真正面から見つめた。


「一度失った『影』は二度と戻らない。君だってわかっているはずだ。モノクロームの『イデア』は唯一無二。その者に従う影は替わりがきかない。あるじが変われば『影』も姿を変えるかもしれないが、喪失してしまった『イデア』はもう帰らない」


 ほら、と師匠は自分の影を差して見せる。船上で見たブリキの兵隊の『影』はおろか、かつてハルたちを追いつめた龍の『影』も出てこない。隠しているだけなのかもしれないが、少なくともハルにはその気配を感じ取ることができなかった。


 言葉に詰まるハルを前に、師匠は優雅にグラスを持ち上げて言った。


「それに、今の僕は『影の王国』から追われる身だ。つまらない隠遁生活を送っているよ。連中からしてみれば、失敗した僕はもう用済みらしい。君さえいなければ、今日こうして表舞台に上ってくる予定もなかったしね」


 師匠はもう、『影の王国』に属していないようだ。逆にそのいのちを狙われている。そんな今だからこそ話せることを話しておきたいと、ハルの前に姿を現したのだ。


 どこまでが本当でどこまでがウソか。疑心暗鬼に陥りながらも、ハルは必死に頭を回した。


「じゃあ、あのフェリーでの事故は一体だれが起こしたっていうんですか?」


「『影爆弾』……『七人の喜劇王』のうち、『街の灯』の能力だね」


「……『七人の喜劇王』……?……『街の灯』……?」


 わからないことだらけで混乱していると、師匠はくすくす笑いながらコーヒーを口に運んだ。


「追って説明するよ。『影の王国』は、僕……『ライムライト』を含め、七名の王で構成されている。それが、『七人の喜劇王』……それぞれが独自の『影』を従える、七名の主犯格さ」


「七名だけで構成されているんですか?」


「そう。『影使い』は特殊だからね、そうそうメンバーは増えないよ」


「他には一体どんな王がいるんですか?」


「『ライムライト』、『街の灯』、『犬の生活』、『モダンタイムス』、『独裁者』、『殺人狂時代』と『黄金狂時代』……その七名だ。うち『ライムライト』である僕の席が空席だから、今は六名になっているね」


「今回の事故を起こした『街の灯』って、どんな人物なんですか?」


「さあ? 基本的に、僕たちは顔を合わせたりはしないのでね。匿名性が保たれた秘密結社なんだ。他の王たちがどんな人物なのか、僕はまったく知らない。ただ、作戦行動の都合上、能力だけは聞いたことがある。『影爆弾』を使うと」


 今回のフェリー事故については、本当に師匠はノータッチらしい。『街の灯』……『影爆弾』の『影使い』の正体は、結局わからなかった。


「じゃあ、どうして『街の灯』は僕たちを襲ったんですか?」


「それもわからない。僕が抜けた後のことはなにも。しかし、君たちを消す以上の意図があったことはたしかだね。その程度のことで動く組織ではないから」


「なら、その意図ってなんですか?」


「どうだろうね。たとえば、ASSBに対する宣戦布告、たとえば、カモフラージュ、たとえば……」


 続けようとした師匠の影に、ふとなにかが入り込むのが見えた。一瞬だったのでなにがあったのかはわからなかったが、想像することはできる。


「師匠!」


 とっさに彼のことを古い名で呼び、ハルが警告を発しようとしたそのとき。


 師匠の影が大きく爆発し、爆炎を上げてはじけ飛ぶ。


 ハルはテーブルや椅子ごと吹っ飛ばされ、爆心地はもうもうと煙でかすんで見えなかった。


「し、ししょ……!」


 軽いケガを負ったハルが、からだを引きずりながら爆心地に近づく。熱いビル風が土煙を払いのけていくと、そこには……


 ハルは目を見開いた。


 すり鉢状にえぐれたウッドデッキから少し離れたところに、片腕だけが落ちている。グラスを握った形のままの焼け焦げた腕だけが。


 あとには、なにも残っていなかった。


 さっきまでハルと言葉を交わしていたはずの師匠は、『影爆弾』によって跡形もなく爆殺されてしまった。


「……あ、」


 呆然として手を伸ばすことしかできないハルを、近くにいた男が制する。


「下がって!」


 どうやら、客に紛れ込んでいたASSBの護衛らしい。五六人がせわしなくスマホで連絡を取ったり店に説明をしたり、ハルを保護したりと動き回っている。


 油断なく辺りを警戒する護衛たちの向こう側に、ぽつりと落ちた片腕が遠のいていった。


「……う、」


 なにか衝動めいたものに突き動かされ、たまらなくなったハルは、目に激情の涙を浮かべて叫んだ。


「あああああああああああ!!」


 頭を抱えてその場にひざまずき、動かなくなる。


 師匠は疑いようもなく、死んでしまった。


 もうこの世には存在しない。


 無邪気に慕っていたあのころを、苦い事件のことを思い出し、ハルはただ、かなしみでも怒りでもない、言い知れぬ感情に憑りつかれて喚いた。


 どれほど喚いたところで、師匠という存在がこの世界から消えてしまった事実は揺るがず、ただハルをさいなむのだった。


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