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№22 つるぎの守り手

 ハルは胸倉をつかむ手をぐっと握りしめ、同じような勢いで怒鳴り返した。


「バカにするな!!」


「……っ!!」


 耳をつんざく怒声に、意表を突かれた影子の赤い瞳が瞬く。


 その隙に、ハルは思いのたけをありったけ込めて喚き散らした。


「ただおとなしく守られてろ!? ふざけるな!! 僕にだって君を守る権利がある!! 権利であり、義務だ!! あるじとしての!! 君が主従関係を放棄したって、そんなの知ったことか!! それでも、君は僕のものだ!! 君は君のものじゃない、身もこころもなにもかもすべて、この僕のものだ!!」


 頬を腫らせて、いつの間にかハルの方が影子のセーラー服の首元を揺さぶっていた。殴った張本人の影子の方は急な反撃についていけず、ただぽかんとしている。


 そのどこかあどけない表情に毒気を抜かれて、ハルの手はだんだんと影子の胸元にすがるような形になっていった。


「守るものができて、僕は少し強くなった。守るものができて、君は少し弱くなった。だからこそ、補いあうべきなんだ。ふたりいっしょじゃなきゃ、意味がないんだ。光と影だろう……それなのに、もう知らない、なんて、かなしいこと言うなよ……!」


「……ハル……」


 影子がハルの名を呼ぶのはこれで二度目だろうか。闘争のほむらに染まっていた赤い瞳は、いつしか湖面のように静まり返っていた。


 ハルはその瞳をまっすぐに見つめて、ささやきかけるように言った。


「……お願いだから、守られて」


 懇願するような色を帯びた声音が、影子に伝わる。


 今まで矛となることばかりで、守られるなんて考えたこともなかっただろう。唐突すぎる言葉に、ひゅ、と喉を鳴らして影子はおじけづいた。


 一歩、退く。


 その分、一歩、迫る。


 どうやらこのあるじ様は逃がしてくれないらしい。


 いつの間にこんなに強くなったのだろう?


 こんな自分を守ると言い切るほどに。


 おそれを知らない自分をおののかせるほどに。


 ……ま、いっか。


 影子が出した結論は、至極勢い任せのものだった。


 しかし、こんな感情論もいいだろう。


 自分たちらしい。


「……ふはっ、」


「……影子……?」


 逃げることをやめて吹き出した影子に、ハルは怪訝そうな顔をした。


 その間抜け面に、影子はついに大爆笑してしまう。


「ふははっはははっははは!! ふはっ、はははははは!! やっぱアンタ、おもしれえわ! このアタシを守る!? ただの男子高校生のアンタが!? ひとりじゃ何もできねえアンタが!? えらい啖呵切ったもんじゃねえか!」


「そ、そうだよ! 戦うことはできなくたって、君を守ることくらいはできる! なにせ、僕は君のあるじだから!!」


「言ってくれんじゃねえか! ふっは、おもしれ! こんな笑える話があるか!? まあ、笑える話だけど、さ……」


 影子の声が尻すぼみに小さくなっていく。その表情を隠そうとハルの首筋に腕を回し、からだを密着させるように抱きしめた。


 その耳元でささやく。


「……アンタがそこまで言うなら、守られてやろうじゃねえか。オヒメサマ、ってガラじゃねえけどな。やっぱりアタシはアンタのもんだ。アタシはアンタの剣だ。けど、その剣を握るのはアンタの手だ。剣をどうしようが、アンタの自由だよ」


「……ああ、そうだ。君は僕のものだ。手放したりするもんか」


 ハルは影子の細いからだをぎゅっと抱きしめ返した。


 てっきり赤面して挙動不審になると思っていた影子は、不覚にもどきりとしてしまった。とくとくと黒い心臓が早鐘を打ち始める。


 それを悟られまいと影子はハルのからだを突き放し、いつもの意地の悪い表情でにやりと笑った。


「このアタシにあんだけ啖呵切ったんだ、このからだに宿るやいば、せいぜい丁寧に使ってくれよ?」


「もちろんだ」


「手放すんじゃねえぞ、ご主人様?」


「ああ!」


 強く言い切り、ハルはたしかに影子の重みを感じていた。


 影子もまた、ハルの重みを今一度再認識していた。


 互いのいのちは地球より重い。


 どんな犠牲を強いられようとも、どんな対価を払おうとも、こいつだけは絶対に守る。


 ふたりは同じように考え、思いをひとつにした。


 ハルと影子は似たような共犯者の笑みを浮かべ、盟約を交わす。


 その誓いの証が欲しくて、ハルは影子に笑って手を差し伸べた。


 ああ、こんな光景が、かつてあった。


 影子はハルと初めて邂逅したときのことを思い出し、あの日と同じようにまぶしげにその光を見詰める。


「おいで、こわくないよ」


 ハルもまた、その言葉に言い様のない懐かしさを感じていた。


 言葉にできない奇妙な既視感を覚えるハルの手を、影子がそっと取る。


「誓え。この僕の剣となることを、もう一度」


 影子のあるじにふさわしい威厳を持って、ハルが告げる。


「イエス、マイロード」


 影子は神妙な言葉で答え、ひざまずいてその手の甲にくちびるを落とした。


 ここにもう一度、主従の誓いが交わされた。もう二度と破られることのない誓いだ。


 厳かな儀式のあと、ハルは途端に相好を崩し、


「だから、あんまり無茶しないでね……?」


 いつも通りのどこか情けない声音でそう言った。


 虚弱と思えばたくましく、強引と思えば軟弱。


 そんなとらえどころのない主人の手を取って見上げながら、影子の中には祝福の鐘の音が鳴っていた。


 ああ、ダメだ。


 やっぱりダメだ。


 アタシは恋してる。


 もうひとに恋はしないと決めたが、それは無理な話だ。


 大好きだ。


 愛してる。


 かけがえのない、アンタ。


 影子は立ち上がり、ハルの手をぐっと引くと、その胸の中に閉じ込めるようにぎゅうぎゅうと抱きしめた。


「アンタのことが大事だ、好きだよ、ダーリン」


「きゅ、急に好きとか言い出すなよ! 君はもうちょっと、口に出す前に考えようね……!」


「うん、口の中に出していーよ♡」


「違う!!」


「てへっ☆」


 わざとらしく笑いながら距離を取る影子。


 この思いは、ハルには伝えないでおこう。自分の中にだけ取っておけばいい。


 伝えてしまったら、きっと歯止めがきかなくなる。


 密かにそう思う影子に、顔を引き締めたハルが背筋を正すように言った。


「……ひとまず、『猟犬部隊』のダメージが深刻だ。たぶん逆柳の想定以上に。けど、収穫はあった」


 ハルと影子のひと悶着の間にも無線で連絡を取っていた『猟犬部隊』。その隊員たちが到着した救護車両に乗せられていくのを見やりながら、ハルは言い切った。


「収穫ぅ?」


「うん」


 疑問符を浮かべる影子に、ハルがうなずき返す。


「敵の目的は、僕たちじゃないのかもしれない……いや、僕たちを消すことじゃないかもしれない、と言った方がいいのかな」


「はぁ? 『影の王国』にとっちゃアタシたちは邪魔者以外の何ものでもないんじゃねえのか?」


「まだどういう事情なのかはわからないけど、『影の王国』は僕たちになにか別の用があるみたいだ。だから、殺さなかった。あのフェリーの事故の時も」


「あの事故になにか他の意味があったってことか?」


「ああ。『街の灯』は僕たちを消そうとしたんじゃない。利用価値があるから、途中で『影爆弾』を引っ込めたんだ。その利用価値プラス、おそらくは師匠を表舞台に上げてトドメを刺すエサ、それに『猟犬部隊』を削るエサにもなる。おいしい話ってわけだ」


「ふはっ、アンタにしちゃうまいこと言ったもんじゃねえか」


「僕だってたまには、ね。もっとおいしい話をしようか」


「んん? なんだぁ??」


 辺りの『猟犬部隊』はあらかた撤収して、その場にはハルと影子だけが残されている。


 そんな中、ハルはないしょ話をするように影子に耳打ちした。


「あのフェリーには、『街の灯』が乗っていた。そのフェリーをあえて危険にさらすことで、僕たちの疑いの目を逸らすデコイにしたとしたら?」


「……『街の灯』は身近にいたってことか」


「そういうことだ。あんまり考えたくはないけど……」


 そう言いかけたハルのそばに、リムジンが横付けされた。車両の頭にはASSBの印章の旗が揺れている。


 おそらくは、『閣下』の迎えだ。話は逆柳を交えてから再開しよう。


 運転手が後部座席のドアを開き、ハルたちは何も言わずリムジンに乗り込んだ。車両はゆっくりと惨劇の舞台を後にし、逆柳の待つASSB本部へと向かう。


 核心へと乗り込むように。


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