夏休みも残すところあと五日。
まだまだ暑さの厳しい昼下がり、太陽に焼かれるような心地で、ハルは近所の公園のベンチに座っていた。
雪杉と初めて遭遇したベンチであり、そして。
「ハルー!」
「ミシェーラ」
互いの名を呼び合い、ミシェーラは笑顔で手を振って駆け寄ってきた。ベンチの隣に腰を下ろし、
「どしたのハル? 急に話があるっテ」
「……もう、いいんだ」
「……ハル?」
かぶりを振ったハルを、ミシェーラが不思議そうな顔で見つめる。
「ミシェーラ……いや、『街の灯』。もうやめよう」
半分は鎌をかけていた。しかし、半分は確信だった。
すぅ、とかなしげに沈むミシェーラの表情を見て、すべてが確信に変わる。
「……そっか。わかっちゃったんだネ」
「最初から影子の嗅覚を信じるべきだったんだ。それに、今まで感じていた違和感を大切にするべきだった」
ずっとヒントはあったのだ。しかし、こころのどこかにミシェーラが『街の灯』であると認めたくない自分がいた。それが邪魔して、なかなか真相にたどり着けなかった。
が、もうおしまいだ。
「あのフェリーの事故は、身を隠していた師匠をおびき寄せるため、それにASSBを挑発するため、そして同乗していた君から疑いの目を逸らすために起こしたものだったんだね?」
「……そう。全部計算通りだった。『ライムライト』は始末できたし、ASSBだって手玉に取れた。わざわざ自分が乗ってるフェリーを自分で沈めようとしたのもアタリ」
湿っぽいため息をついて、ミシェーラは苦笑して肩をすくめた。
やめてくれ。そんな顔をしないでくれ。
それを口にすることはできず、代わりにハルの言葉はさらなる追及へと向かった。
「けど、君は僕たちにトドメを刺すことはなかった。この間の襲撃だって、『猟犬部隊』ばかりを狙って、僕の影を爆発させることもなかった。不自然な撤退だった」
蝉の声がじわじわと空を青く染め上げていくようだった。かなたには入道雲が立ち上り、雷雨を予感させた。
「教えてくれ。君は……いや、『影の王国』は、僕に一体どんな役割を求めてるんだ?」
しばしの沈黙。公園では子供たちがボールを追いかけてはしゃいでいる。遠くから聞こえる救急車のサイレンの音は、熱中症患者でも乗せているのだろうか。
辛抱強く答えを待つハルに、ミシェーラはようやく口を開いた。
「アナタは、VIP待遇だから」
「……VIP待遇?」
突然出てきた謎の言葉に、ハルは首を傾げた。
「そう。『影の王国』は、アナタを敵ではなく味方にしようとしてる。空席になった『ライムライト』の座に就く、『七人の喜劇王』の一角に仕立て上げようと」
「……僕が……?」
「旧『ライムライト』は死んだ。ワタシが殺した。次の『ライムライト』は、アナタ。世界をモノクロームに塗り替える『影の王国』の『七人の喜劇王』のひとりヨ」
その言葉に、ハルは思わず目を見開いた。
まさか『影の王国』がハルたちを味方に引き入れようとしているとは考えもしなかった。しかも『七人の喜劇王』の内、『ライムライト』……師匠のいたポジションを引き継がせようとしている。
だから『VIP待遇』か……ハル本人を傷つけまいとしていたのも、納得がいった。大切な次期『ライムライト』に何かあっては困る。『影の王国』はそう考えたのだろう。
故に、ミシェーラ……『街の灯』は、先日の襲撃の際もハルの影に入った『影爆弾』を起爆させなかった。目的はあくまで『猟犬部隊』を削れるだけ削ること。逆柳がハルを囮にしたように、『街の灯』もまた、ハルを生餌に『猟犬部隊』をおびき出したのだ。
まんまと作戦に乗ってしまったハルたちだったが、おかげで『街の灯』の正体にたどり着くことができた。
「ハル」
『街の灯』が吐息のような声音でささやく。
「この世界を変えたくはない? 争いばかりが起きるこのかなしい世界を。すべてがモノクロームのカートゥーンみたいになったら、きっと平和になる。もう誰も、かなしい思いをしないで済む」
いつか言っていた。『みんなが平和に暮らせる世界が、ワタシの正しさ』と。
あくまで、正しさと正しさはぶつかり合う定めにあるらしい。
ハルは首を横に振って、静かに告げた。
「ごめん。僕はこの世界が好きなんだ。たしかに争いは起きるかもしれない。けど、正しさは正しさとぶつかり合うことでより正しい方向へ向くと思うんだ。わかり合って、分かち合って、そうやってひとは生きていける。そんな世界が好きなんだよ」
「……残念だヨ」
ため息といっしょにそうつぶやいて、『街の灯』は立ち上がった。
「アナタとなら、仲良くなれる気がしたんだけどナ。ホントに残念だヨ」
「動くな!」
同時に、辺りを囲むように潜んでいた『猟犬部隊』が『街の灯』に銃口を突き付ける。『曳光弾』ではない、実弾が込められた拳銃である。
いくつもの暗い銃口を見やりながら、『街の灯』はかなしげに微笑んだ。
「少しでも『影爆弾』を動かせば、『猟犬部隊』は君を殺す。お願いだから、そうはさせないでくれ」
哀願するようにハルが言うと、『街の灯』は泣き顔じみた笑顔で返す。
「もう、遅いヨ」
「なんだって……!?」
その言葉に、『猟犬部隊』を含めたハルたちに動揺が走った。
『街の灯』はすでに何かしらの先手を打ってある。今回も裏をかかれたのだ。
「この街のひとたち、建物、いろんな物陰に『影爆弾』を忍ばせてある。ワタシのちからじゃこの街だけが精いっぱいだけど、ほぼ全域に『影爆弾』を潜り込ませた」
なんてことだ……!
ハルは思わず頭を抱えた。
この街のあらゆる影に仕掛けられた『影爆弾』は、『街の灯』の意志ひとつですぐにでも爆発する。想像しただけでも被害は甚大だ。街は壊滅状態に陥るだろう。
しかし、『街の灯』はまだそうしない。それはきっと、ハルに猶予を与えているのだ。
『ライムライト』の座に就くか否か、『影の王国』側に加担するか否か。
いわば、これは街全体を人質に取った脅迫なのだ。
どうすればいい? こんな事態、想定すらしていなかった。
「なぁにうろたえてんだ、ウスノロ」
混乱するハルの影から、にゅ、と影子が姿を現した。口元に戦いの赤い笑みを浮かべ、赤い瞳をらんらんと輝かせている。手にはすでに真っ黒なチェインソウが構えられていた。
ハルに寄り添うように立った影子は、チェインソウの切っ先を『街の灯』に突きつけ、
「要は、この街の影全部、ぶった斬ってみりゃいいだけのハナシだろ。普通の影ならなんも問題はねえ。アタシのやいばやワンコロどもの弾は『影爆弾』だけに効く。タイムリミットは『影』が眠る日没まで。ワン公ども総動員してアタシが出りゃなんとかカバーはできんだろ」
「そう……なのか?」
「んん、たぶん!」
「たぶんかよ!」
「ま、やってみる価値はあると思うぜ? 見ろよ、あのファッキン毛唐女の顔!」
釣られて視線を向けると、『街の灯』は苦笑しつつ否定も肯定もしなかった。
つまりは、そういうことだ。
「い、今すぐ逆柳さんに連絡を……!」
「その必要はあらへんで」
割って入ってきたのは、聞いたことのある声だった。
『猟犬部隊』の包囲網の隙間から、長身のスーツ姿が歩み寄ってくる。束ねた長い髪を揺らせ、細い目をさらに細めて、雪杉なぞるはハルの前に再び立った。
「初めまして、塚本影子さん……そして、消えろ」
「……っ、影子!!」
ハルが声を上げるのと、影子に『曳光弾』が着弾するのはほぼ同時だった。光が弾け、影子の肩口が爆ぜる。
「……っ、このキツネ野郎……!」
肩を押さえながら、影子が憎々しげに雪杉を睨みつける。気付けば、辺りは黒の装甲で固めた『猟犬部隊』と、雪杉の配下である白の装甲で固めた『十字軍』が入り混じった状態になっていた。
「雪杉さん! どうして!!」
声をからしてハルが問いかけると、雪杉は相も変わらずひょうひょうと告げた。
「『影』はすべて敵、って言うたやろ? 塚本影子と『街の灯』の『影爆弾』、まとめて狩らせてもらうわ。『閣下』のワンちゃんたちも動かさへん。すべて僕の『十字軍』が処理する」
「……特級捜査官になるために、ですか……!?」
「そういうことや」
雪杉がうなずく。まさかこんなところで出世争いが響いてくるとは。
「そんなこと言ってる場合ですか!? 街が消し飛ぶかもしれないんですよ!?」
「…………」
噛みつくハルに、雪杉は読めない表情で黙り込んだ。それから、
「そうさせへんためにも、僕が『十字軍』を指揮する。塚本影子も『猟犬部隊』も、手は借りん。それだけのちからが、正しさが、僕にはある」
「そんな傲慢……!」
「勝てば官軍負ければ賊軍、や。必ず勝って、僕の正しさを突き通したる」
あまりにも正義に傾倒しすぎている雪杉の言葉に、ハルは奥歯を噛みしめた。ちょっとやそっとの説得ではこの男は揺らがない。だとしたら、戦うしかない。しかも、『街の灯』の『影爆弾』を処理しながら、だ。
すでに『十字軍』は『猟犬部隊』を拘束しようと動いている。こんな事態になっているのに、今更出世争いだと? ハルは思わず、ふざけるな、と叫びたくなった。