『……あくまでも、己の正義を優先するのだね、雪杉なぞる』
「逆柳さん!?」
ノイズ交じりの無線越しに、逆柳の声が聞こえた。『猟犬部隊』の通信係から無線をむしり取って、ハルは無線に向かってがなり立てた。
「どうなってるんですか!? 今の状態わかってるんですか!?」
『落ち着きたまえ、塚本ハル君』
逆柳はどこまでも冷静だった。そして、再び言葉の先を雪杉に向ける。
『君は市民の安全を脅かそうとも、己の正義を貫き通すつもりなのかね?』
「……市民は守る。やけど、『影』も狩る。それだけの話や」
『それだけのちからが君の『十字軍』にあると?』
「せや。『影』にくみしたあんたには、絶対に負けん」
『やれやれ、私の『猟犬部隊』もずいぶんとみくびられたものだ』
無線機の向こうで『閣下』が肩をすくめたような気がした。
『『猟犬部隊』は決して『十字軍』の妨害に屈することはない。そして私は市民を、この街を守るためならば、『影』を利用することもいとわない。価値観の相違だ、雪杉なぞる』
「せやな、逆柳律斗。どっちが勝っても恨みっこなし、『猟犬部隊』と『十字軍』の戦争といこうやないか」
「だから! ちょっと待ってくださいよ!! そんなこと言ってる場合じゃ……」
『塚本ハル君。おそらく君にならできるだろう。雪杉なぞるの正義を折ってくれたまえ。かつて、私を口説き落としたときのように、ね』
至極簡単に言ってくるが、そんなことできるとは到底思えない。ハルは無線機に向かって悲鳴を上げた。
「無理です! 逆柳さん、なんとかならないんですか!?」
『それは君の役割だ。指揮官は決して現場に出しゃばらないものだよ』
「そんな……!」
『私は『猟犬部隊』を指揮する。君はこの無線を持ったまま、塚本影子君と共に『影爆弾』を処理してくれたまえ。『十字軍』の攻勢をかわしながら、だ』
「無茶苦茶だ……!」
『安心するといい。安請け合いはしない私が請け負っているのだ、活路はある。健闘を祈るよ』
それっきり、無線の声は『猟犬部隊』に向けられた。
この絶望的な状況で、ハルたちにできることは……?
「しゃらくせえ!」
肩から黒い血を流しながらも、影子のチェインソウが檄を飛ばすようにうなりを上げた。
「出世争いだなんだと勝手垂れやがって! そういうことなら、こっちも好き勝手暴れさせてもらうぜ!」
「影子……!」
「行くぞ!!」
言い放った影子は、チェインソウを引っ提げながら『十字軍』を蹴散らすように飛び出した。慌ててハルもそれに続く。あちこちから影子を拘束しようと『十字軍』の手が伸びてきたが、そのことごとくを影子はかわした。
やがて包囲網を抜け、
「おい、犬っころども!!」
『十字軍』と鍔迫り合いをしている『猟犬部隊』に向かって声を上げる影子。
「アタシたちは街中の影を斬りまくってくる! てめえらはその真っ白オバケどもをどうにかしろ! 手が空いたらこっち回れ!!」
この事態、影子のちからだけで収めるには規模が大きすぎる。『猟犬部隊』の協力は必須だ。なんとかして『十字軍』を制圧して、影をしらみ潰しに当たってもらわなければ。
『猟犬部隊』もそれは重々承知しているらしく、一戦交える覚悟を決めたのか、各々腰から特殊警棒を引き抜き『十字軍』に抗う姿勢を見せている。
完全なる内ゲバ状態だったが、雪杉は頑として譲らない。逆柳もまた、『猟犬部隊』に指揮を飛ばし続けていた。
混迷を極めた場から弾丸のように抜け出した影子とハルは、手近な影から斬りつけてみることにした。集まり始めた野次馬の影にチェインソウが走る。
途端、野次馬の影からあぶくのような『影』が弾けた。
「……やっぱり、街中に仕込んであるんだ……!」
「ハッタリかましてるだけじゃなさそうだな! 次行くぞ、次!」
すり抜けざまにすべての影を斬って回る影子。ところどころで『影爆弾』が弾けて消えた。
ハルは猛スピードで疾駆する影子を何とか追い、息を切らせながら、
「……タイムリミットは日没だろ……?……こんなので間に合うのか……!?」
「ま、アタシだけじゃ無理だろうな、っと!」
ざしっ!とまた新たに影を切り裂きながら、影子が口にした。そうしている間もずっと演武のように舞っている。
「けど、あの犬っころどもがいれば話は別だ! シャクに障るがファックしてでもあの真っ白オバケどもを押さえつけて、アタシと合流してもらう! そっからだ!」
「……わかった!」
あの傲岸不遜な影子が無理だと言い切ったのだ、おそらくは影子ひとりの手に負えないことになっているのだろう。
コンビニの建物の影に潜んでいた『影爆弾』を斬殺して、影子とハルは街中を走る。
今、こうすることが正しいのだと信じて。
「おとなしくしていろと言ったはずだぞ!」
「雪杉さんには悪いけど、お前たちにかかずらってる暇はねえの」
地面に押さえつけようとする手を特殊警棒でしたたかに打って、倫城一誠はヘルメットのバイザーの下でいつも通りさわやかに笑った。腕を押さえて飛び退る『十字軍』と対峙して、周りの『猟犬部隊』とアイコンタクトを交わして陣形を取る。
さて、結局は柳についてしまったわけだが。
この事態、まったく予測がつかない。故に、この選択が正しかったのかどうかはわからない。
だが、塚本影子と関わってきた以上、雪杉の正義には賛同しかねた。杓子定規に『影』を敵対視する雪杉とは分かり合えない気がしたのだ。
決断はした。あとは結果次第だ。
『第一から第三分隊は『猟犬部隊』制圧、第四、第五分隊は塚本影子を追跡しつつ『影爆弾』の処理に回れ』
無線から雪杉の声が聞こえてくる。こんな混乱した状況下でも冷静なところは、さすがは『閣下』のライバルといったところか。
『おや? 戦力をそちらに割いていいのかね?』
『閣下』の声を聞きながら、倫城一誠は『十字軍』の攻撃を警棒でいなし、足払いをかけた。銃器は使うなとのお達しだ。
『かまへん。言うたやろ、『影』は残らず駆逐する、市民の安全も守る。もちろん、『影』に加担するつもりやったら『猟犬部隊』も押さえる』
『二兎を追う者は一兎をも得ず、とはよく言ったものだね、雪杉なぞる。欲を張りすぎれば破滅する、自明の理だ。わざわざ前線に出てきたのも君らしくない』
『あんたとは違うんや、逆柳律斗。僕は正義の執行者、逃げる理由も隠れる道理もあらへん。出し惜しみもせん』
『昔から、君は感情的になりすぎるきらいがある。つけこませてもらおう』
無線の向こうで『閣下』が笑ったような気配がした。倫城一誠は『十字軍』が伸ばしてきた腕を取り、背負い投げを決める。
『全分隊、総力で『十字軍』を無力化せよ。双方とも被害は最小限に抑えるように』
『……市民を見殺しにする気か? 逆柳律斗』
雪杉の声が責めるような色を含む。しかし『閣下』は微動だにせず、
『私は二兎を追わない。ただそれだけのことだよ』
『まずは『十字軍』をなんとかして、それから塚本影子といっしょに『影』を殲滅する気か? 時間がいくらあっても足りんぞ』
『そうだ、我々には時間がない。私も、君もだ』
指示通り『十字軍』に必要最小限の攻撃を仕掛けながら、周りの仲間たちとアイコンタクトを取り、自然とニ三人がひと固まりになって対応することになる。仲間をカバーしつつ、無線機のやり取りに耳を傾けた。
『このままでは共倒れになることが予想される。君の『十字軍』は壊滅し、街は焦土と化し、『影』はのうのうと生き延び、市民が死ぬ。最悪のバッドエンドだ。それでも君は、己の正義に固執するつもりかね?』
『……懐柔しようとしても無駄やで。僕はすべてを解決する。『猟犬部隊』を速やかに制圧して、塚本影子ともども『影』を消して、『街の灯』を拘束して、市民を守る。それだけのちからが、僕にはある』
『自己の過大評価を、ひとは『傲慢』と呼ぶのだよ。もう少々客観的になりたまえ。賽は投げられた。そして、我々は神ではない。万能ではないのだよ』
『あんたが言うか。それこそ、らしゅうないやないか。昔から『傲慢』はあんたの特権や思てたんやけど?』
『私は自己を過小評価も過大評価もしない。オプティミストでもペシミストでもない。自分が神ではないことは、私自身が最もよく知っているのだよ。その上で、最善を尽くすにはどうすればいいか、それを考えている』
『で、その邪魔になるのが僕っちゅうわけや』
『邪魔になるのも、ならないのも君次第だ。見たまえ、『十字軍』の有り様を』
どうにかして『猟犬部隊』を押さえようとする『十字軍』だったが、やはり頭数が足りない。倫城一誠をはじめとした隊員たちは、徐々に『十字軍』を圧しつつある。影子たちに数を割いていなければあるいは渡り合えたかもしれないが、時すでに遅しだった。
『これでもまだ、茶番を続けるつもりかね?』
『……茶番、やと……?』
こちらもヒートアップしつつある無線越しの会話を耳に、倫城一誠は『十字軍』を次々と拘束しながら、今もこの街のどこかを走り続けているであろうハルたちのことを思った。
頼むぞ、塚本……!
彼らならやってくれる、そう信じて、倫城一誠はただ粛々と己の仕事を全うするのだった。