戦場と化した街に、光と影が入り乱れた。
『曳光弾』に引き裂かれた『影爆弾』の欠片が『十字軍』の隊員の影に入り、小爆発を引き起こす。オモチャの兵隊の侵入を許した『猟犬部隊』の隊員が爆炎と共に弾けて消える。それでもなお、隊員は最期のちからを振り絞ってフラッシュバンの手りゅう弾を『影爆弾』たちのさなかに投げ入れた。オモチャの兵隊の一角が消し飛ぶ。
そうしている間にも、遊撃手の影子は次々と街中の影を斬っていった。時にはオモチャの兵隊の『影』をぶった斬り、その破片が影に入って起こった小爆発で吹っ飛び、骨をやられたのか喘鳴のような荒い呼吸を繰り返す。黒い血だらけでもう使えない左腕を放棄し、右腕だけでチェインソウを操った。
逆柳と雪杉の決着がついた時点で一般市民には避難勧告が発令されており、辺りには戦争をしているものだけが残されている。
「そうだ! 雪杉さん! 本体……『街の灯』は!?」
ハルが無線機に問いかけると、雪杉が返す。
『拘束はしとる。けど、『影爆弾』だけは解除せえへんつもりらしい。だんまりや』
「『街の灯』とつないでください!」
その呼びかけに、雪杉は無線機を『街の灯』に渡した。
「『街の灯』……いや、ミシェーラ! もうやめてくれ!!」
『…………』
悲痛な叫びを上げるハルだったが、『街の灯』は黙り込んだままだ。
「思い出してよ! あんなにいっしょにいたじゃないか! いっしょに笑って、楽しく過ごしただろ!?」
『……情に訴えても無駄ヨ』
「そんなつもりは……!」
『ワタシたちが望むのはただ一つ、塚本ハルが次の『ライムライト』の座に就くこと。アナタがうなずきさえすれば、『影爆弾』は解除する』
「……っ!」
ここにきて、すべての生殺与奪の権利はハルに託された。
いきなりそんな重いものを背負わされて戸惑うハルの耳に、また爆音と悲鳴が届く。時折肌を焼き焦がす熱風は、限りなくリアルだ。
時刻はもうすぐ夕暮れ。タイムリミットまであと一時間といったところか。
『各分隊、状況を報告せよ』
『第一分隊、損害甚大!』
『第四分隊もほぼ全滅です!』
『『十字軍』、応答せえ!』
『もう第三分隊は全滅しました! 第一分隊もすでに……わぁぁぁぁぁぁ!!』
続く言葉は爆発の轟音と悲鳴にかき消される。またひとり、ひとが死んだ。その事実がハルの肩に重くのしかかる。
あと一時間でやれるか?
……残念ながら、無理だろう。戦力はすでに半減しており、影子もぼろぼろだ。
街の影に残った『影爆弾』は爆発し、一般市民に害が及ぶ。
……そうだ、ハルがうなずきさえすれば。
そうすれば、『影爆弾』は解除される。もう誰も死ぬことはない。
それは砂糖を煮詰めたような甘すぎる誘惑だった。
今すぐにでも首を縦に振りたい。そうすれば、丸く収まるのだ。
『向こう側』に行くことを了承しさえすれば。ハルさえ我慢すれば。
無線機の向こう側にいる『街の灯』に答えようと、震えるくちびるを開きかけたそのときだった。
「日和ってんじゃねえ!!」
鋭い影子の声にはっとする。
影子はあちこちから黒い血を流しながらも果敢にチェインソウを振るい、
「どうせ、『僕さえ我慢すれば』とかくだらねえこと考えてんだろ!! しゃらくせえ!! アンタが我慢する必要なんかなんもねえんだよ!! 忘れるな!! これは街の人間を人質に取ったテロだ!!」
「……でも、影子……!」
「屈するな!! 信じろ!! 必ず活路はある!! アンタは、アンタだけは、折れるな!!」
強い言葉にさらされて、ハルはねばつく誘惑をなんとか断ち切った。首を横に振り、
「……ごめん、ミシェーラ。僕は、そっち側に行く気はない」
『……そっか……』
『街の灯』はかなしみに沈んだような声音でつぶやいた。
もはや交渉の余地はない。ハルたちはただひたすらに『影』を潰していくしかないのだ。
夕焼けに燃える夏空の下、影子が踊る。『猟犬部隊』が、『十字軍』が『曳光弾』を放ち、そして爆音とともに散っていく。
そこは紛れもなくいくさ場だった。誰もが勝利への道を無理矢理に信じ、いのちを落としていく。
『あきらめる』という選択肢はないのだ。
勝つか、死ぬか。ただそれだけだった。
『猟犬部隊』も『十字軍』も、残すところあと十数人となった。影子も動けているのが不思議なくらいに消耗しきっていて、チェインソウのやいばもすっかり鈍っている。
もう、日が落ちる。決断しなければならない。
突然、ハルはきびすを返して元来た道を走り出した。
「おい! なにやってんだよ!?」
慌てた影子がついてくる。
滝のような汗を流しながら、疲れ切った足で地面を蹴って、前へ。
……たどり着いたのは、『十字軍』に拘束されている『街の灯』の目前だった。喘鳴のような息を弾ませ、汗をぬぐい、ハルは周囲を銃口で固められている『街の灯』と対峙する。
「……賭けをしよう、『街の灯』」
かすれた声で語り掛けると、『街の灯』はかなしげに苦笑した。
「今更だヨ」
「この状況、僕もそっち側に行くかどうか、決めかねてる」
「おい! ハル!」
「黙ってて、影子……だから、賭けをしよう。僕が勝ったら、『影爆弾』はすべて解除してもらう。君が勝ったら、僕は次の『ライムライト』の座に就こう。どう? 君にとって悪い話じゃないと思うけど?」
今度はハルが『街の灯』に選択を突き付ける番だった。交渉の余地はまだあった。最後の最後、取って置きの奥の手が。
『街の灯』はうつむいて少し考えた後、顔を上げ、
「……賭けの方法は?」
乗ってきた。内心ガッツポーズをしながら、第一段階をクリアしたハルは『街の灯』に向かって言った。
「君に任せるよ。イカサマを疑われちゃ困るからね。なんだっていい」
「……わかった」
『街の灯』が沈んだ声音で応答する。
どこからかオモチャの兵隊が列をなしてやって来て、やがてそれはひと固まりの四角い箱になった。目覚まし時計のようなものがついたそれは、まるで時限爆弾のような姿をしている。
かち、かち、と秒針がタイムリミットまでの時間を刻む音の中、『街の灯』が告げる。
「ワイヤージレンマ……『赤を切るか、青を切るか』、映画の『ジャガーノート』が有名かナ」
「……君相手の賭けにはぴったりだ」
「正しい線を切れば、すべての『影爆弾』は無効化される。けど、間違った線を切れば、その時点ですべてが吹き飛ぶ」
確率は二分の一。オッズとしては上々だ。
ハルが黒い時限爆弾に手を伸ばそうとしたそのときだった。
「……けど、ここは『七人の喜劇王』が支配する『影の王国』の領域」
マジシャンのように時限爆弾の上に手を滑らせる『街の灯』。その手が過ぎ去った後の時限爆弾には、赤、橙、黄、緑、青、紺、紫の七色のワイヤーがつながれていた。
「『七人の喜劇王』の虹色のワイヤージレンマ。こっち側に来るために、アナタの手でその色をすべて消して」
「そ、そんな……!」
確率は七分の一になってしまった。あまりに分の悪い賭けだ。小さな悲鳴を上げ、ハルは躊躇した。
どうする? 異議を申し立てて別の方法を提案するか?
しかし、ここまで来て『やらない』という答えを出せば、『街の灯』は気持ちを変えるかもしれない。せっかくステージの上まで引きずり上げてきたのに、その苦労がすべて台無しになるかもしれないのだ。
タイムリミットに間に合う可能性が限りなくゼロに近い『影爆弾』掃討作戦に戻るか、七分の一の賭けに乗るか。
……答えは、明白だった。