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№27 七色のワイヤージレンマ

 ハルはがくがく震える手を七色のワイヤーに伸ばそうとする。


「おい、やめろ!! こんな不利な賭けに乗る必要はねえ!!」


「……た、宝くじに当たるよりは、簡単だよ……」


「どこまでバカなんだ!? ひとが死ぬんだぞ!?!?」


「……まだ、そうとは決まってないよ……」


 震える声で抵抗するハルの胸倉を、影子は右手だけでつかんで揺さぶった。


「いいか!? これはゲームじゃねえんだよ!! 負ければ何もかも失う、どうしようもないリアルだ!! アンタが『影の王国』と仲良しになりたいってんなら話は別だがな!!」


「……影子……」


「ぶっちゃけ、アタシはアンタさえいれば他の人間なんてどうなったっていいんだ!! 何人死のうが構わねえ、ただアンタがかなしむ顔を見たくねえから戦ってるだけだ!! そのアンタが!! 『影の王国』なんつう腐れた組織にいやいやどっぷり浸かるってんなら、話は別だ!! アンタ、それでいいのか!?」


「……まだ、そうなるって決まったわけじゃ……」


「決まってるようなもんだろ、このアホが!!」


 影子と押し問答をしているさなか、無線機からも逆柳の声が聞こえてきた。


『塚本ハル君、その賭けに乗る必要はない。七分の一。時間内に『猟犬部隊』と『十字軍』が『影爆弾』を掃討する確率とほぼ同等だ。見くびってもらっては困る』


「……けど、またひとが死ぬ……」


『以前も言ったが、彼らにはいのちを賭する覚悟がある。駒に徹する覚悟がね。君が気にする必要はない。逆に、そこを慮ってしまえば彼らを侮辱することになる。塚本影子君の言う通り、君は屈することなく信じていればいい』


 無線の向こうから、冷静な逆柳の声と、またしても爆音や悲鳴が届いた。


 今まさにこの一瞬、ひとが死んでいるのだ。


 ハルも無力なままではいられない。


 なにかしたかった。それは自己満足のエゴでしかなかったが、この騒動を収めるためにハルができることは、これくらいしかなかった。


 震えるハルの指先が、七色のワイヤーにゆっくりと伸びる。


「やめろっつってんだろ!!」


「……お願いだから、黙ってて……!」


「……っ!!」


 覚悟を孕んだハルの言葉に、影子は思わず胸倉から手を離してしまった。


 ハルの指が、時限爆弾に届く。黒い箱の手触りはつるりとしていて、とてもこれがすべての『影爆弾』の起爆装置だとは思えなかった。


 虹色のワイヤーは、色が違うだけでどれも同じに見える。どれを切ったらいいかはわからなかった。


 ……いや。


 確率は、実は七分の一ではないのかもしれない。


 ハルは黄色のワイヤーを触りながら『街の灯』の表情を伺った。


 無表情を装ってはいるが、たしかにそこには安堵のような色が漂っていた。


 どうやら『街の灯』……ミシェーラは、ポーカーフェイスが苦手なようだ。


 これなら、確率は七分の一でなくなる。『街の灯』の顔色を見ていれば、おのずと正しい答えにたどり着くことができるのだ。


 しかし、『街の灯』がそこまで読んでいるという可能性もなくはない。ハルを間違った方に誘導するための演技かもしれない。


 『街の灯』の真意はどこにある?


 胸中で問いかけながら、今度は青色のワイヤーに触れてみる。『街の灯』の表情に緊張が走った。この緊張が意味するものはまだ分からない。


 緑のワイヤーに触れながら、ハルは『街の灯』に語り掛ける。


「……ミシェーラ……君が転校してきてから、僕の日常は輪をかけて非日常じみてきた」


「…………」


「……騒がしくて、退屈しなくて、ちょっと危険な非日常だ。いっしょにご飯食べたり、海へ行ったり、ホテルに泊まったり……影子がいないときは慰めてもらったよね」


「…………」


 『街の灯』は表情を消そうと努めていたが、その表面上には明らかな揺らぎがあった。


 その揺らぎに付け込むように紫のワイヤーに触れて、ハルは続ける。


「……はは、もうね、みんな好き勝手なんだよ……僕は振り回されっぱなしで。けど、みんな僕の中では欠けちゃいけないピースなんだ。非日常じみた日常のためには、誰ひとりとして欠けちゃいけない……君もだよ、ミシェーラ」


 揺らぎがどんどん大きくなる。橙のワイヤーを触って、ハルはまっすぐに『街の灯』の目を見上げた。かなしみに揺れるその青い瞳に向かって、言い聞かせるようにハルは言う。


「いつの間にか、君は僕の中に深く根を張ってた。ミシェーラ、そんな君がいなくなるなんて、さみしいよ。『街の灯』である君には難しい問題かもしれない。けど、僕は『影の王国』とは何の関係もなく笑ってる君が好きだったんだよ」


「……ハル……」


 吐息のようなつぶやきが聞こえた。赤いワイヤーに触れば、『街の灯』の表情が固くなる。


 『街の灯』が勝利するためには、ハルが間違ったワイヤーを切らなければならない。何度もいろいろなワイヤーを触りながら、ハルは『街の灯』の顔色を観察した。


「……ミシェーラ、僕は今、君がなにを考えているか、わからない。『影の王国』に加担して、モノクロームのカートゥーンの世界を作る? それが本当に正しいことだと思ってる?」


「……ワタシだって……!」


 血を吐くような声音で、『街の灯』が叫んだ。


「ワタシだって、どうすればいいのか、もうわかんないヨ!! なにが正しいのか、もうワタシにはわからない!! たしかに、ワタシの正しさはモノクロームのカートゥーンの世界だった!! けど!! そのためにたくさんのひとが傷ついてる!! ハルやカゲコにだってひどいことした!! だからもう……わかんないヨ……!!」


 髪を振り乱して吠えてから、『街の灯』は肩を丸めてうなだれた。ほろ、と『街の灯』の頬に一滴の涙が伝う。


「……助けて、ハル……!」


 たましいから振り絞るようなSOSを受けて、ハルはその涙にふさわしいだけの覚悟を示そうと決めた。


 今までの観察で分かったのは、黄色のワイヤーで安堵が、赤のワイヤーでかなしみと緊張が特に強く表情に出てくるということだ。あくまでハルがその表情を読み違えてなければ、『街の灯』が演技をしているのでなければ、だが。


 『街の灯』がこの賭けに勝利するためには、間違ったワイヤーを切らせなければならない。となると、黄色は危険だ。赤色がもっとも正解に近いと考えられる。赤を切ればハルが勝利し、すべての『影爆弾』は解除されるだろう。


 しかし、ハルはどうしてもある考えを捨てきれなかった。


 もしも、『街の灯』……ミシェーラが、この賭けに負けることを望んでいたら?


 ハルを『影の王国』に引き入れることなく、『影爆弾』を全解除することを望んでいたら?


 そうなると、答えは真逆になる。


 赤を切ればミシェーラの望みは断たれ、『影爆弾』が炸裂し、ハルの身柄は『影の王国』のものとなる。


 しかし、黄色を切れば『影爆弾』は解除され、ハルは『影の王国』側に行くことなく終わる。


 ……どっちだ?


 ミシェーラのこころは今、どっちにある?


 究極の選択を突き付けられて、ハルは迷いに迷った。


 この選択を誤れば、大勢のひとが死ぬ。そしてハルは『影の王国』に属して、人間を影に食わせる計画に加わることとなる。


 最悪の事態だ。それだけは避けなければならない。


 そのためにはミシェーラの真意を読み解く必要がある。


 どっちだ?


 ミシェーラが望む世界は、どっちにある?


「……ミシェーラ」


 肩を震わせて泣く『街の灯』に、ハルが語り掛ける。


「君からの救難信号、たしかに受け取ったよ。僕にも正しさがあるとすれば、それは『みんなが正しいと思えることを信じられる世界』だ。それがどんな正しさであれ、信じたことにすべてを賭ける、そんな世界だ。ぶつかり合うこともあるだろう。けど、僕らは、人間は、それぞれの正しさをわかり合って、分かち合うことができる」


「…………」


「今の君は正しさを見失ってる。かわいそうな迷子だ。僕は君に手を差し伸べたい。正しい方へ導きたい……っていうのは、ちょっと傲慢が過ぎるかな。とにかく、君がまた自分の正しさを信じられるようにしてあげたい」


 ついには嗚咽し始めた『街の灯』は、口元に手をやって必死に涙を止めようとする。が、それは無理な話だった。


 ハルの手が、決意を持ってワイヤーに伸びる。


「僕は君を信じる。わかり合って、分かち合えると信じてる。だから、僕は行くよ」


 いつものようにへらりと笑って、ハルは震える手で黄色のワイヤーを握った。


 ばくばくと心臓が早鐘を打つ。冷たい汗が背中を伝い、頭の中がきんきんと鳴っている。


 間違えればひとが死ぬ。何度も何度も、これでいいのか?と自問した。


 しかし、結局出てきた答えはこれだった。


 黄色いワイヤーをしっかりとつかみ、ハルはぎゅっと目を閉じた。震えが大きくなる。


「……わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 恐怖を叫びでごまかしながら、ハルは手にちからを込めて、黄色いワイヤーを思いっきり引きちぎった。


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