…………。
辺りに静寂が満ちる。
「……爆発しねえ……?」
つぶやく影子の声もまだいぶかしげだ。ハルも切断した黄色のワイヤーを握りしめたまま、ようやく固くつむっていた目をおそるおそる開いた。
「……止まっ、た……?」
知らず、息を止めていたことに気付く。ちぎれた黄色を見詰め、影子を見詰め、そして『街の灯』……ミシェーラを見詰め。
「……アナタの勝ちヨ、ハル」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪めながら、ミシェーラが笑う。
そこでやっと、自分が賭けに勝利したことを確信した。
緊張から急に安堵に転じて、からだじゅうのちからが抜ける。ハルはワイヤーを握ったままその場にへたり込んでしまった。
「……『影爆弾』は……?」
「全部、止まった」
『影使い』であるミシェーラが言うのだから、本当にすべてが解除されたのだろう。
すべてが、終わった。
『猟犬部隊』も『十字軍』も銃口を下げ、影子は何も言わずにチェインソウを自分の影の中に沈める。
もう誰も死ななくていいのだ。
安堵のあまり目の端に涙を浮かべるハルを見て、ミシェーラは小さく苦笑した。
「本当に、アナタってすごいネ。最後までワタシを信じ抜くだなんて。ものすごいおひとよし」
「……君を信じてよかったよ、ミシェーラ」
ここにきて、ようやくハルも笑みを浮かべることができた。
他のなにがウソであっても、あの涙だけはウソではないと信じることができた。
ミシェーラが発した、最後のSOS。
ハルは間違えることなく、その救難信号をキャッチすることができたのだ。
「もし全部がフェイクだったらどうしたノ?」
「それでも、君を信じたことに後悔はないよ。たとえだまされたとしても、信じたことに変わりはないんだからね」
「そういうとこ、おひとよし。でも、好きヨ」
そう言って、ミシェーラはハルに手を差し伸べた。へたり込んでいたハルはその手を取り、立ち上がる。
ミシェーラと向き合って、ハルは言った。
「君はウソが下手だって、もうわかってるんだ……僕を『ライムライト』の座に就けることに失敗した君は、『影の王国』からすれば用済みだ。もう『街の灯』の名前は捨てよう」
「……そうだネ。きっと近いうちに、ワタシにも追手がかかる。ワタシが殺した旧『ライムライト』みたいに、ワタシもどこかで殺されるんだ」
「そうはさせない」
強い意志を秘めたハルの声が響く。うつむいていたミシェーラが顔を上げた。
「僕たちは友達になれる。そうは思わない?」
「……トモダチ……?」
「そう。改めて、友達になるんだ。友達を守るのは当然のこと、君を『影の王国』から守る。なんたって友達だからね」
「……ハル……」
「聞いてただろう、逆柳さん!?」
ハルは無線の向こう側にいる逆柳に向かって叫んだ。
「あんな殺戮のためだけに生まれた『影』である『影爆弾』の主が、『陰』に対する『陽』が、危険なわけないですよね! ミシェーラも平和な世界を望んでる! 僕の友達は、あなたにとっても貴重な駒になるはずだ!」
こと駆け引きに関して、逆柳は異常に鼻が利く。『影の王国』に属していた旧『街の灯』であるミシェーラを利用しない手はない。
案の定、逆柳は鼻を鳴らすように笑って、
『……いいだろう。私は、ASSBは、旧『街の灯』……ミシェーラ・キッドソン君を歓迎する。せいぜい私の駒となって働いてくれたまえ』
それだけ言うと、逆柳は『猟犬部隊』の撤収指示に移った。
「……だってさ」
無線機の電源を切ったハルは、苦笑いを浮かべながらミシェーラに告げた。
「ASSBも君を守ってくれる。君はもう、『街の灯』じゃない。僕の友達のミシェーラだ。いっしょに『影の王国』の計画をぶっ壊して、平和な世界を作っていこう」
今度はハルが手を差し伸べる。満面の笑みを浮かべて、
「おいで、こわくないよ」
どこか懐かしい言葉を口にする。まぶしそうに目をすがめるミシェーラがその手を取ろうとしたとき、横合いから影子がその手を払いのけた。
「なっ、なにするんだよ!?」
急な妨害にあったハルが抗議すると、影子はふてくされたような表情で、
「……そういうのは、アタシだけにしときな」
そう言って、そっぽを向いてしまった。
盛り上がりに水を差されたような気がしたが、ハルは改めてミシェーラに向き直り、
「ともかく、大丈夫だから、こっちの世界に戻っておいでよ。案外楽しいよ?」
「……うん……!」
涙ぐむミシェーラが、ハルの手を取る。
ふたりで握手を交わしながら、微笑み合った。
これで晴れて友達だ。
繋いでいた手を離し、真顔に戻ったハルがミシェーラに問いかける。
「『影の王国』……『七人の喜劇王』、そして『計画』について、知ってることを教えてくれる?」
問題はそれだ。『影の王国』がどのような組織で、なにを企んでいるのか。『七人の喜劇王』の一角、『街の灯』だったミシェーラならいくばくかの情報を持っているだろう。ハルたちにはそれが不足していた。
ミシェーラは真剣な顔でうなずき、
「『七人の喜劇王』……アナタの師匠だった『ライムライト』、そしてワタシ『街の灯』を除いて、あと五人。『犬の生活』、『モダンタイムス』、『独裁者』、『殺人狂時代』と『黄金狂時代』。みんなそれぞれ固有の『影』を持つ『影使い』ヨ。けど、基本的には顔を合わせないし、それぞれがどんな『影』を持ってるのかもはっきりしない……」
申し訳なさそうにミシェーラが眉尻を落とす。それを元気づけるように、
「『計画』については?」
ハルが尋ねると、ミシェーラが応じる。
「すべてのひとが持つ影の集合的無意識にアクセスして、強制的にその主人を食わせる。『影』となった『ノラカゲ』たちだけの世界を作り上げて、それを『七人の喜劇王』が統治する。いわばクーデターだヨ。モノクロームの世界の王様になることが、『七人の喜劇王』の目的」
「……『計画』はどれくらい進んでるの?」
「進んでる、っていうよりは後退してるネ。なにせ、『ライムライト』と『街の灯』が空席になっちゃったんだから。多分、まずはこのふたつの空席を埋めることからリスタートするんだと思う。『影使い』はそう多くない……今は排除するよりも、仲間に引き入れることを優先するだろうネ」
なるほど、王を七人に戻すために、『影使い』を探すのか。今回の件も、『ライムライト』の空席を埋めるために勃発した事態、ふたりも欠けてしまった今、『影の王国』は次なる王となる人材を求めるはずだ。
「僕らとしても、『影使い』の仲間は欲しいところだね……しばらくは陣取り合戦みたいなことになりそうだ。連中は手に入れ損ねた僕も、足抜けした君も、まとめて潰しにかかってくる。それをかわしながら、『影使い』を探す。今後の方針としてはそんな感じ?」
「んん! どこの業界も人手不足が深刻なようで!」
にひひ、と笑いながら影子が横合いから茶々を入れる。それからぼろぼろになった拳をぐっと握り、
「どっちにしろ、『七人の喜劇王』とやらがなに企んでるかなんて、知ったこったねえ。アタシはアタシのご主人様を守り抜くだけだ。戦い続けることで、な」
「君は僕の剣だもんね」
「そゆことー! ん、ちょっとからだキチィし、日も沈むからアタシは寝る! 寝てる間に他人のご主人様寝取るんじゃねえぞ、毛唐ウシチチ!」
「ふふ、それは約束できないナ!」
「ふはっ、言ってろ……そんじゃ、おやすみー」
それっきり、影子は影にもぐって出て来なくなった。ちょうど日が沈む。影子もあちこちガタが来ている、ゆっくり休んでもらわなければ。
これからの目標は決まった。あとはこれを逆柳に報告して、相談しよう。
『猟犬部隊』も『十字軍』も、負傷者を車に乗せて撤収しようとしている。じきに一般市民の避難勧告も解けるだろう。街はいつもの夜に戻ろうとしている。
「……大丈夫、だよネ……?」
不安げにつぶやくミシェーラの手を握り、ハルはうなずいた。
「きっと大丈夫だよ。『影の王国』なんて絶対にぶっ潰してやる。誰も死なせない。そのためには君のちからが必要なんだ。いっしょに戦おう」
「……戦うの、嫌いだけど……そうだよネ、戦わなきゃ、平和を勝ち取れない。意味のある戦いだってあるんだよネ」
「そう、君と僕がぶつかり合ったようにね」
お互いの正しさを争わせた結果、わかり合って、分かち合うことができた。時にはぶつかり合うことも必要なのだ。
きっと、『七人の喜劇王』にもそれぞれの正しさがあるのだろう。
今のところ、それはハルの正しさと相反していた。
いずれ衝突する時が来る。
そのときは、剣である影子と共に、そして友達になったミシェーラと共に健闘するしかない。
「……もう夜だ、ひとまず逆柳さんのところに行こう」
握っていた手を離すと、狙いすましたかのようにいつかのリムジンがやってきた。運転手がドアを開け、ハルとミシェーラが車内に乗り込む。
「……それにしても、疲れたなぁ……」
「……ワタシも……」
そうつぶやけば、自然と眠気がやって来た。
冷房の効いた快適な車内はひと眠りするにはうってつけの環境で、ほどなくしてハルとミシェーラは肩を寄せ合いながら、つかの間のまどろみの中に意識を溶かした。