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ノラカゲ!Season3 ~Sadist

№1 少年と『影』


 長良瀬久太は、いわゆるヤンキーである。


 伝統と格式あるヤンキー高校に在籍し、ヤンキー仲間たちとツルんで、未成年でありながらタバコを吸ったり酒を飲んだりしている。時には他のグループとケンカをして、教師たちさえも恫喝して我が物顔で街をのし歩いていた。


 そんな、ヤンキーである久太が、今。


 逃げている。ひとりきりで、半泣きになりながら路地裏を走っている。


 小柄な体躯はコンプレックスで、そのせいでより威圧的に見せるために短く刈った髪を金色に染めている。いくつも開けたシルバーのピアスがちゃらちゃらと鳴り、空手を習っていたおかげで引き締まったからだは今、疾走のために全力で稼働していた。


「……はっ、はっ……なんだよ……!……なんで、俺が……!!」


 涙交じりの声音でつぶやきながらも、逃げる。全力で逃げる。


 その後ろ姿に、地面を這うような影がひとりでに迫った。


 『ノラカゲ』である。


 『ノラカゲ』は主人を食った『影』であり、欲望のままに人間を食らう。


 久太は目撃してしまったのだ。『影』が主人を食い、『ノラカゲ』となる瞬間を。


 そして今、次なる獲物として追われているというわけである。


 不幸な偶然、そう言うより他なかった。ただそこにいた、それだけで、今久太はいのちの危機にさらされている。


 必死に『ノラカゲ』から逃げながら、久太は自分の足が徐々に重く鈍っていくのを感じていた。


 当然ながら、転ぶ。


 あとは足が震えて立てなくなる。


 そうしている間にも、『ノラカゲ』は水中を突っ切る魚雷のようなシルエットを地面に描きながら、久太を目指してまっしぐらに向かってくる。


「……ひ……!」


 情けなく悲鳴を上げた瞬間、『ノラカゲ』は地面から波濤のように広がり、久太を飲み込もうと襲い掛かってきた。


 ぎゅっと目をつむる。


 食われる、と思ったが、その瞬間はなかなか来なかった。


 おそるおそる目を開けてみると、そこには別の『影』がいた。


 久太自身の影から生えている『影』が、同じような波濤となって『ノラカゲ』とせめぎ合っているのだ。


「……はぁ……?」


 涙目のまま途方に暮れたような吐息をこぼす久太の『影』は、『ノラカゲ』を押し返すと、そのまま己の内側に取り込んでしまった。


 路地裏に静寂が訪れ、久太の前には自分の影から生えた黒い噴水のような『影』だけが残される。


「……なん、だ……これ……!?」


 スライム、という表現が一番近いだろうか? 自分の影から生えているのだし、自分を食おうとする気配もないし……


 久太がそっとその『影』に手を伸ばそうとすると、『影』は鎌首をもたげてその手に絡みついてきた。


「……ぅおっ!?」


 思わず手を引っ込める。冷たくはなく、むしろ生ぬるいひと肌の温度だった。ゼリーのような感触で、ぬるりとしている。


 まさか、やっぱり俺を食う気じゃ……?


 久太が危機感を覚えていると、『影』はまたもその手に触れた。


 ぬるぬるとその手を這い、それ以上はなにもしない。


 ……もしかして、これ、なつかれてるのか……?


 なんとなく家で飼っている犬の行動に似ている気がして、久太は戸惑った。


 自分の影から出てきた、『ノラカゲ』ではない『影』。


 そいつはどうやら、久太のことを慕っているらしい。


 こんなの、見たことも聞いたこともない。


 自分の影から『影』が出てくるなんて。


 一体どうすればいいのだ?


 久太は途方に暮れ、ぬるぬると絡みつく『影』をあやすように指をばたつかせる。『影』はもっともっととねだるように湧き上がり、久太はますます戸惑った。


 いくら『ノラカゲ』から助けてもらっても、いくらなつかれても、『影』は『影』である。


 正直、気味が悪い。


 うげ、と舌を出しながら、久太は『影』から手を離した。


「……お前、もうどっか行け」


 助けてもらった恩義はあるが、気分の悪さがまさった。しっし、と追い払うように手を振ると、『影』はそのまま久太の影の中へ吸い込まれるように消えていった。


「……まさか、俺の影の中にいるのか……?」


 つま先で己の影をちょんちょんと突いてみても、出てくる気配はない。言われた通り、引っ込んでしまったようだ。


 自分の影の中にあいつがいる。


 なんとも尻の据わりの悪い感覚だ。


 『ノラカゲ』に襲われたと思ったら自分の影から『影』が出てきて、助けてくれてなついて、自分の影の中に帰っていった。


 これを説明して理解できる人間がどこにいる?


 久太自身すら現状を把握しきれていないのに。


 戸惑うことばかりだったが、足だけはなんとか動いてくれそうだ。


 ようやく立ち上がった久太は、不気味そうに自分の影を見詰めると、そのままそろそろと路地裏を後にした。


 どこにいたってついてくる『影』。


 そんな厄介な存在が、さらなる厄介ごとを連れてくるなど、このときの久太は知る由もなかった。




 その日から、久太と『影』との切っても切れない共同生活が始まった。


 朝目覚めると隣でうごめいていて、夜日が暮れると影に帰っていく。どうやら日が出ている内しか活動できないようだ。


 最初の内はところかまわず出てきて辟易していたが、久太が『出てくるな』と言えばおとなしくそれに従った。おかげで周りにもまだバレていない。


 『影』は相変わらず不定形で、ぼこぼこと湧き出るスライムのような形状をしていた。ときおりぬるぬると久太に絡みついては甘えてくる。


 久太はそれを気味悪がって振り払っていた。そのたび、『影』はさみしそうに久太の影の中に引っ込んでしまった。


 そんな日常を繰り返していた、ある日のこと。


「おい、そこのチビ。キュー君ってお前だよなぁ?」


 ひとりで下校していると、唐突に声をかけられた。たしかに、不良仲間にはそう呼ばれている。気にしていることを指摘され、一瞬キレそうになったが、


「そうだけど?」


 振り返ると、そこには赤い頭に剃り込みを入れた少年と、前歯が欠けた少年が肩をいからせながら立っていた。これは対立する別のヤンキー高校の制服だ。


「前によぉ、俺らのツレがよぉ、お前に世話んなったってよぉ?」


「あん? そんなヤツ山ほどいるけど?」


 いつかのケンカのときにのした相手だろうか。思い当たる節がありすぎる。


 不良たちは久太を挟むようにして、


「とりあえず、俺らのツレがいっからよぉ、そこで落とし前つけようぜぇ?」


 久太を連行するように歩き出した。黙ってそれに従いながらも、このピンチをどう脱するか、考えた。


 ……おとなしくボコられよう。殴れば殴られる、ヤンキーのおきてだ。ここで騒ぎ立てて戦争を起こすようなことはしないでおこう。


 意外と冷静な久太が空地へと連れていかれると、そこには五六人の不良少年たちが待ち構えていた。みんな同じ制服を着崩している。


 さいわい、武器を持ってるやつはいない。これなら多少殴られるだけだ。


「キュー君? やっほー、元気ぃ? 俺らの後輩がさぁ、お前にやられたって言って聞かなくてさぁ」


 リーダー格らしい少年がへらへらと前に出てくる。


 途端、下から突き上げるようなこぶしが久太の腹にめり込んだ。


「……っ、」


「あはは、ごめんごめん。あいさつだって」


 小さいころから空手をやっていた久太にしてみればただのパンチだったが、それだって当たれば痛い。眉根を寄せて耐えていると、周りを不良少年たちに囲まれた。


「んじゃあ、あいさつも済んだことだし、本題に入りますかぁ」


 やる気満々の少年たちを前に、多少の痛みを覚悟した久太。


 そのときだった。


 久太の影が波打ち、『影』がずるりと出現する。


「な、なんだぁ!?」


 うろたえる不良少年たちのひとりを、『影』はたちまち食ってしまった。じゃぶん、と音がして、少年がひとり『影』の中に消えていく。


 『影』はもうひとり捕まえて、また食った。じゃぶん。もうひとり。じゃぶん。


「お、おい、やめろよ!!」


 久太が慌てて声をかけても止まる気配はない。次々不良少年たちを飲み込んでいった『影』は、ついに最後のひとりまで取り込んでしまった。


 じゃぶん。すべての不良少年たちを食ってしまった『影』以外には、久太しかいない。


 あまりの惨事に唖然としていた久太の前で、『影』が大きく震えた。


 次の瞬間、『影』は爆発的に形を変える。


 五階建てのビルくらいまで一気に膨れ上がった『影』は、ひとの形を取った。


 メイド服を着た女性の巨大なシルエット。


 それが『影』の行き着いた先だった。


「……なんだ、これ……」


 もしかしたら、『影』はひとを食って成長、というか、具体的な形を取ることができるようになるのか?


 大きなメイドの『影』の足元で、久太の中にある考えが芽生えた。


 ひとを食わせ続ければ、もっと具体的な形を取ることができるかもしれない。


 場合によっては、言葉を交わすこともできるかもしれない。


 『影』が単なる不気味な存在でなくなるのだ。


 それはかなり危うい発想だったが、正解に近いものではあった。


 ひとを食わせる、ということは、ひとのいのちを奪う、ということである。


 血しぶきが飛ぶだとか、悲鳴が聞こえるだとか、そういったリアリティの一切ない殺人。


 その感覚が久太の倫理観をマヒさせた。


 いいんだ、どうせ関わり合いのない人間だ。どうなろうと俺の知ったことじゃない。それよりも、今後永久に付きまとうこの『影』……『メイド』を何とかする方が大事なことだ。


 どこか後ろ髪を引かれる思いをしながらも、久太はそう結論付けた。


 俺は悪くない。


 ただそれだけを一心に念じながら、久太は以降、『メイド』にひとを食わせるようになっていった。


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