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№4 跳べ、ミシェーラ

 ほどなくして、ハルは走り幅跳びに挑んでいるミシェーラを見つけた。


 助走をつけて、地面を蹴り、理想的なフォームで跳躍。砂地に足跡がつくと、周りから拍手が巻き起こった。


「ミシェーラ・キッドソンさん、3.8メートル!」


「すごーい!」


「塚本さん抜いたら女子で一番じゃない?」


「ミシェーラさん、懸垂もがんばってたよね!」


「女子の総合二位はミシェーラさんだろうな」


 ざわめきに取り囲まれて、ミシェーラははにかんだような笑みを浮かべている。どうやら『影使い』であるか否か以前に、ミシェーラの身体能力はかなり高いらしい。正直、ハルの記録よりもよっぽどいい成績を残しただろう。


 賞賛の声の中でハルの視線を見つけたミシェーラは、その渦中から抜け出して笑顔でハルに手を振った。


「ハーイ、ハル! 調子はどう?」


「うーん、僕はあんまり振るわないかな。君はすごいんだろ、ミシェーラ?」


「ボチボチデンナ?」


 覚えたてらしい関西弁を操り、ミシェーラは照れ隠しのようにぱたぱたと手で顔をあおぐ。


「ちょっと張り切りすぎちゃったヨー」


「いいじゃないか。うらやましいよ」


「フフ、サンキュー」


 結果を誇るでもなく謙遜しすぎるでもなく、ミシェーラはその言葉をありのままに受け止めた。素直である。


「ほら、ワタシ、転校生じゃナイ? 外国人だし。それに、『影使い』」


 ないしょ話をするようにハルの耳元でミシェーラがささやく。


「だからなかなかクラスに馴染めないのかナ、って思ってた。ハルたち以外の前ではちょっと浮いてたしネ。ワタシ頭も良くないし、取り得は運動だけだし。その運動でカッコつけない手はないヨ」


「ああ、だからあんなに張り切ってたのか」


「ソ! おかげで、みんなに認められた気がするノ。運動部からもいっぱい勧誘されたヨ。みんなと仲良くできるきっかけになればいいナ、って」


 そんなわけで、ミシェーラはこの体力測定に全力で臨んだ。


 実に健気な話だ。みんなに認められるためにがんばるなんて。


 かつては『影の王国』に籍を置き、不穏な計画に加担していたミシェーラ。そんなミシェーラが、友達を増やそうとひたむきにがんばっている。


 傍若無人の影子とは大違いのミシェーラの姿に、ハルは思わず目頭を押さえた。


「ドシタノ、ハル?」


「……いや、同じ女子高生とは思えなくて……」


「?」


 頭に疑問符を浮かべるミシェーラの前で、ハルはかぶりを振って湧き上がる感情を制御した。


「ともかく、すごいよミシェーラ! こんな女の子と友達だなんて、僕も鼻が高いよ!」


「フフ、ホント?」


「本当だよ!」


「だったらうれし。それと、『友達』じゃなくて『親友』だから」


「……う、うん……?」


 いまいちその違いがよくわからなかったが、ミシェーラ的には大事なことらしい。否定するのも野暮だと思って、ハルはおとなしくうなずいておいた。


 ミシェーラはそんなハルの両手をぎゅっと握りしめ、


「ワタシたち、こころのお友達、ズットモだヨ!」


 はじけるような笑顔でそう告げた。


 …………果たして、男女の友情というUMAじみたものが本当に存在するのだろうか?


 ハルはミシェーラの手のあたたかさを感じながら、しばし哲学めいた夢想をしていた。


「ん! おい、チチだけ女! なにひとさまのご主人に色目使ってんだ、んん?」


 ヤバい、影子に目撃された。友情を確かめるふたりの間にずかずかと割り込んできて、ブルマ姿の影子はつないだ手を強引に離した。


「言っとくけどな! アタシの許可なしにコイツをどうこうしようなんて思ってもらっちゃ困んだよ!」


「ズルーイ! カゲコだけ! ハルはワタシの親友ヨ!?」


「はっ! 友情にかこつけて徐々に攻め落とそうってハラかぁ? そうはいかねえぞ!」


「べ、別にワタシ、そんなつもり……」


「ん、けどちょっとは考えただろ?」


「…………ノーコメント!」


 それだけ言い残して、ミシェーラはきびすを返して走り去ってしまった。


「ああもう、影子……!」


「アンタもアンタだ、そんなにあの米国産チチウシがいいのか? んん?」


「そういうんじゃないよ!」


「どーだか、妄想狂のクセに。けど、オカズにすんならあの女じゃなくてアタシにしときな」


「君はまたすぐそうやって……!」


「よーし、じゃあ釘バット千本ノックだ! 相手はヤンキー高校、気合入れていくぞ!」


「お願いだからとげとげのバットはしまって!!」


 元気に釘バットの素振りを始める影子を止めようとして、ハルはミシェーラのことや、男女間の友情に関する問題をすっかり忘れてしまった。


 意図的にやったわけではないが、影子の完全勝利である。


 明らかに野球のフォームではありえない素振りをする影子から、必死に釘バットを奪い取ろうとするハル。そしてその手からぬるぬると逃げる影子。


 体力測定のあとのグラウンドで、しばらくその追いかけっこは続いた。




 同じころ、久太の通う高校でも体育交流祭に向けての準備が進められていた。


 しかし、決定的に違うのは、張り切っているのはごく一部の生徒だけという点である。


 大半の生徒は、今の久太と同じように、屋上や校舎裏で仲間とタバコを吸いながらサボっているのだ。


「あー、タリィ」


「マジこの行事いらねー」


「だいたい、練習なんてしなくても、進学校のお坊ちゃんたち相手なら余裕っしょ」


 ぼやきながら紫煙を吐き、仲間たちが虚ろな目をしている。


 だいたいの仲間はそうだ。いつだって空っぽの目をして日々を消化している。久太はそんな目に嫌気がさしていた。


 が、結局は同じような目をして屋上でタバコを吹かしている。同じ穴のムジナとはこのことだ。すっかりこのぬるま湯に慣れてしまっていて、今更一念発起する気はまったくなかった。


 が、そこへ『メイド』が現れた。


 そして、『モダンタイムス』が。


 それによって、久太の日常は目まぐるしく変化した。『メイド』にひとを食わせるたびに、生きている実感のようなものが沸いてきた。


 今ここでこうして仲間たちとだべっている自分は、当たり前ではないのだ。


 至極簡単なことで日常は突き崩される。それに気づいて、徐々に熱される鍋の中から抜け出したカエルが久太だ。仲間たちは茹でカエルになって行くが、自分は違う。気付いてしまったからだ。


「コンビニ行くけどなんか買ってくる?」


「あ、俺タバコ切れたわ」


「俺スタバの新作のやつ」


「キュー君は?」


「……俺?」


 空っぽの目をしたままの仲間に声をかけられて、久太は我に返った。


 気付いてしまった自分は異質なのだ。仲間といっしょにいられなくなる。だからこそ、あえて気付いていないフリをしなくてはならない。


「じゃあ俺、リプトンのレモンティー」


「ああ、パックのやつな。お前ら、使いっぱ代として10パーもらうからな」


「相変わらずケチくせえ」


「わかってるよ」


「じゃ、いってきまーす」


 仮にも体育の授業中だというのに、仲間のひとりは堂々と校外に向かって歩いていった。あそこのコンビニは年齢確認はしないと全校に知られている。酒もタバコも好きなだけ買い放題だ。


 くわえているタバコの煙の行方を目で追いながら、久太は思った。


 空っぽの目をしてないやつと友達になれねえかな、と。


 もしかしたら、今度の体育交流祭でそんなやつと出会えるかもしれない。


 それは期待に近い漠然とした予感だった。


 そんなやつと友達になれたら、きっと毎日に張り合いが出る。


 虚無感のぬるま湯から抜け出せるのだ。


「キュー君、ゲームやろ」


「……おう」


 仲間たちにアプリゲームに誘われて、久太はスマホを取り出した。


 今はまだ、そのときではない。


 ただただ、ぬるま湯で時が来るのを待つしかない。


 虚ろな目で笑う仲間たちといっしょにゲームをしながら、久太はその日を待ちわびていた。


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