とある休日。
ハルはなぜか駅前のスイーツビュッフェの一席に座っていた。
……いや、『なぜか』、というのは空々しすぎる。
その原因は、前回の件でも共闘した『閣下』からの呼び出しだった。
日時と場所、会いたいという旨だけを伝えた、ラインが苦手な逆柳らしい文章が送られてきて、ハルは今日ここに訪れたというわけである。
周りはみんな女性ばかりだった。きゃっきゃと甘いものを選んではスイーツとおしゃべりとインスタに夢中になっている。
以前のようなホテルのディナーならまだわかるのだが、なぜ逆柳はこんな場所を選んだのか? そこになにか意図があるのか?
勘ぐれば勘ぐるほど思考の坩堝に陥ってしまうので、とりあえず考えるのをやめる。少し早く来てしまったハルは、時間が来るまで逆柳を待った。
約束の時間のちょうど10分前に、逆柳はやって来た。
「失礼、会議が長引いてね」
それでも10分前には着席できるところが逆柳らしい。ピンクの合皮のソファにゆったりと腰を下ろした逆柳は、かわいいエプロンドレスをつけた店員からビュッフェの説明を受けてうなずいていた。
「…………あの、」
「皆まで言わなくてもいい」
ハルの言葉を遮って、逆柳が厳かに口を開く。
「なぜ会食の場としてこの店を選んだのか? 君が尋ねたいのはその点だろう」
「……はあ、まあそうですけど……」
そんな大仰な質問をするつもりはなかったのだが、逆柳的にはそういう問いかけを予想していたらしい。
かわいらしい店内に不釣り合いな神経質そうな眼鏡の男は、完全に周囲の風景から浮きながらあごの下で手を組んだ。
「かねてから興味があったのだよ。そう、このような店にね。こころゆくまでスイーツを楽しめる店は一体どのような楽園なのか? 私は膨れ上がる空想、いや、妄想を抑えきれなくなった」
『閣下』が悩ましげなため息をついていると、すぐそばをくすくす笑いながら女子高生たちが通り過ぎていく。
「しかしながら、このような店には私のような中年男性は、率直に言って似つかわしくない。場違いと言っても過言ではなかろう。私が単騎で乗り込むのはまったくもって愚策中の愚策だ。まず思いついたのは秘書を誘うことだが、彼女は甘味を好まない。そして、プライベートな時間まで上司に付き合うことを良しとしない主義の女性だ」
いつも隣で耳打ちしているあのスーツの女性のことだろう。たしかに、あまりこういう店に来そうな感じではない。飲み会の類などもきっぱり断りそうだ。
「ついては、第二候補の君を誘った次第だ。同じ男性といえど、君はまだ若い。はつらつとした高校生だ。君と共に席を囲むのならば、私という存在も巧妙にカモフラージュできるだろう。そう踏んで、本日の会食の場をここに選んだわけなのだよ」
……長々とまだるっこしい言い訳をしていたが、要するに、スイーツビュッフェに行ってみたいが自分ひとりでは恥ずかしいからハルを誘った、ということだ。
まさか逆柳がそうまでするほどの甘党だったとは。意外だった。こういう女子供の好むような店には近寄らないという勝手なイメージを持っていた。甘いクリームやジャムとは程遠い存在だと。
しかし当の本人は『猟犬部隊』を指揮するときのように、気合十分にくいっと眼鏡を上げ、
「さあ、説明は受けた。ウェブでの情報収集もぬかりない。存分に甘味を楽しもうではないか」
「……行きましょうか」
呆れた表情のハルの後ろに、逆柳はぴったりとついてきた。ひとり取り残されるのをおそれるように。
九割九分九厘女性でにぎわう会場へ向かうと、逆柳は意気揚々と一番大きな皿とフォークを手にした。ハルも中くらいの皿とフォークを取ると、適当に選んでいく。
「……ふむ、これは……ゼリーか? 飲み物なのか? 興味深い……これはチョコかね? 実に独創的な外観だ。このケーキのデコレーションなど実に愛らしいではないか。おっと、私としたことが、肝心のイチゴのショートケーキを忘れていた」
いちいちうるさい。この男はしゃべっていないと死ぬ病気にかかっているのだろうか。口から生まれたような男だが、テンションが上がっているせいか拍車がかかっている。
逆柳は次々とスイーツを皿に乗せていき、瞬く間にてんこ盛りにした。それを大事そうにテーブルまで運び、ハルも着席したことを確認すると、珍しく落ち着かない様子でフォークを手に取る。
「さて、いただこう」
「ですね」
なんとはなしにそう答えて、ハルはチーズケーキを食べ始めた。よくあるコンビニスイーツクオリティの、まずくもおいしくもない味だ。万人受けのために作られたものなので、それは仕方ない。
しかし、逆柳にとっては違ったらしい。ハート形のチョコが刺さったティラミスをおそるおそる口に運ぶと、はっと目を見開く。
「……これは……」
「よくある味でしょう。平凡ですよ、お値段なりです」
チーズケーキとブラウニーをかわるがわる食べながら肩をすくめるハルを、逆柳は一瞥もしなかった。ただ無心にフォークを動かし、ティラミスを口に運び、
「……チープでジャンキーだ……そして、実にキッチュでコケティッシュ……なんというか、下品に見えた女性が、その実可憐な乙女だったかのような……良い意味で裏切られた、してやられたよ……む、こちらもまるで羊の皮をかぶった狼のような……」
次から次へとスイーツを平らげていく逆柳。こころなしか、眼鏡の奥の尖った眼差しもやわらいできらきらしているような気がする。
あっという間にてんこ盛りを征服してしまった『閣下』は、ハルを急き立てるように咳ばらいをすると、またいっしょに甘味を取りに行く。
ハルはもうおなかいっぱいなのだが、せっかくなので付き合ってあげよう。ブドウのゼリーを取って戻ると、またしてもてんこ盛りを制覇しようとフォークを振るう逆柳がいた。
「……糖分はいい。脳を活性化させ、セロトニンを生み出す……私は今、満ち足りているよ、塚本ハル君……ふっ、このような姿、部下には見せられないがね」
いつもの逆柳節だが、しあわせそうに照れ笑いをする姿を見る日が来るとは思わなかった。たしかに、こんな顔は部下には見せられないだろう。逆柳は逆柳なりに、他人が自己に抱くイメージをコントロールしているのだ。こんな『らしくない』姿は、気ごころの知れた身内にしか見せられない。
ハルのことをそんな風に思ってくれていたのも意外だったし、そもそもこの男のこんな側面があること自体が意外だった。もっと堅苦しいだけのつまらない男だと思っていたが、実際は違うらしい。
逆柳の人間くさい一面を目にして、ハルの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「よかったですね」
「ああ、やはり君を誘って正解だったよ。思い切ったかいがあった」
テンションが上がっていても食べ方は上品に、逆柳は重々しくうなずいた。そこまで言われると悪い気はしない。
結局ハルは、逆柳に付き合って満腹になるまでスイーツを堪能することになった。
逆柳はようやく満足したようで、食後の紅茶を優雅に飲んでいる。コーヒーというといやでもあのひとのことを思い出すので、ハルも最近ではもっぱら紅茶だ。
ゆったりと時が流れる夕方の店内、制限時間の20分前に逆柳が口を開いた。
「……さて。スイーツも堪能したことだ、本題に入ろうではないか」
やっぱりそう来るか。イヤな予感はしていたのだ。本来の目的はやはり別にあった。ハルもそこをわかっていて、その上でなにか進展があったのかと期待してやってきたのだ。
互いに紅茶のカップを置いて、ここから丁々発止のやり取りの始まりだ。