先制攻撃は逆柳からだった。
「この度、『影の王国』対策本部の本部長に就任する運びとなったよ。ASSBは総力を挙げてこの問題に取り組もうとしている。その急先鋒が私、というわけだ」
まだ甘みの残るであろう口で告げられるのは、淡々とした事実だった。
「部下はすべて信用の置ける身内で固めてある。足元は盤石だ。今後は君たちを軸に『影の王国』たるテロ組織に対抗していく所存だよ」
「……また僕たちをエサにして、ですか?」
「相変わらず、話が早くて助かるよ、塚本ハル君」
安物の紅茶をさも高級茶葉を使った一杯であるかのように口に運ぶ『閣下』。その口元にうっすらと冷徹な笑みを浮かべて、
「キーとなるのは『影使い』……そう、君たちのような、ね。『影の王国』の『七人の喜劇王』もそれぞれが『影使い』なのだろう。そして、同じような仲間を集めるべく動いている。これはもはや、駒の取り合い、陣取り合戦なのだよ」
「『影使い』を敵に渡さず、味方につける。そうですよね」
「やはり君は理解が早いな。まだ発見されていない『影使い』を探し出し、『影の王』に先んじてこちら側に引き込む。ミシェーラ・キッドソン君のようにね。そのために対策本部は『影使い』捜索に全力を投じている。もっとも、そう簡単に見つかれば苦労はないのだが」
「そして、そうしている間にも『影の王国』は攻めてくる」
とんとん拍子に話が進んでいく。これも逆柳が敷いたレールの上なのだろうか。
逆柳は余裕の表情でうなずき、
「その通り。その点を突くための『君たち』だ。『影の王国』は彼らにくみしない『影使い』を潰そうとする。そこを迎撃して、芋づる式に『七人の喜劇王』全員を叩く。そのためにASSBは君たちをできる限りサポートしよう。粗雑だが、シンプルな作戦だ」
たしかに、わかりやすい。
敵に取られる前に『影使い』を見つけ出し、味方につける。
そして、ハルたちを叩きのめそうとやってきた『七人の喜劇王』をひとりひとり撃破していく。
七つの玉座がすべて空席になればこちらの勝ち。
『影の王国』がハルたちを叩き潰して、邪魔ものがいなくなった『計画』が発動すればこちらの負け。
至ってシンプルな構造だった。
しかしその分、難しくもある。
食材がシンプルな分、スパイスを加えれば料理はどんなものにでもなるだろう。そしてそのスパイスの使い方やそのタイミング次第で、戦局はいかようにも変化する。悲劇風味にも喜劇風味にも仕上がるのだ。
手持ちの札を慎重に切って、すべての『影使い』を保護して、『七人の喜劇王』を打倒し、大団円でことを終わらせる。これが今のところのハルたちの最重要課題だった。
言葉で表すのは簡単だが、そこに至るまでには様々なプロセスがある。たとえたどり着く先が同じでも、過程がどんなものになるかはわからない。不謹慎ながら、ゲームのようだ、とハルは漠然と考えた。
「さて、そのシンプルな作戦にも少々難関があってね」
「難関?」
イヤな予感がしたが一応聞いておく。
逆柳は大げさにため息をついて肩をすくめた。
「なに、雪杉なぞるの置き土産だよ。『対ノラカゲ法案』……聞いたことは?」
「ないです」
「だろうね。水面下で駆け引きが繰り広げられている案件だ。『対ノラカゲ法案』とは、一般人の『ノラカゲ』に対する攻撃を認め、武器弾薬を支給するという法案だよ」
『ノラカゲ』の中にはおそらく『影使い』の『影』も言外に含まれているのだろう。『影の王国』との戦いに、一般市民というノイズが入ってしまうわけだ。
「先のテロ事件もあって、国民は相当に『影』に対して過敏になっている。この法案はいわば、テロ行為に対して一般市民による鎮圧を認めるという法案なのだよ」
「それのなにがいけないんですか? 武器弾薬まで支給してくれるって」
今度はハルの理解も追いつかなかった。不出来な生徒をいさめるように鼻を鳴らした逆柳は、順を追って説明を始めた。
「これをごく一般的なテロに当てはめてみよう。たとえば、街中に爆弾が仕掛けられた。市民が危険にさらされる。市民たちは自力で爆弾を解除しなければならない。すると、警察の立場はどうなる? テロのために育成されたプロフェッショナルを使わず、素人の一般市民にすべてを任せておいてどうする? 守るべき市民を矢面に立たせておいて、警察は一体なにをすればいい?」
たしかに、そうだ。この場合は警察がASSBということなのだろう。
『影』に対しての一般人による攻撃を認めてしまえば、ASSBは面目丸つぶれだ。立つ瀬がない。ASSBを差し置いて、一般人を即席の兵士に仕立て上げる法案が、『対ノラカゲ法案』なのだ。
なるほど、逆柳が『難関』と称するのもうなずける。
ハルが理解したことを悟ると、逆柳は満足げにうなずき、
「この法案、あの雪杉なぞるが押し通そうとしていただけあって、かなり過激で強固なシロモノだ。高度に政治的な駆け引きが必要になる。おそらく国会とASSB、ひいてはその母体となる公安との間で折衝が必要になるだろう」
逆柳は言葉に最大の効果を持たせるための『間』を、紅茶を一口飲むことで作り上げた。
「その外交使節として、私が名乗り出るつもりでいる。相手のトップはタカ派で鳴らした国会議員だ。舌戦で負ける気はしないがね」
「ええ、あなたが口喧嘩で負けるところ、想像つかないです」
呆れたように言うハルの言葉に、逆柳は小さく吹き出して見せた。
「ふっ、口喧嘩とは、よく言ったものだ。そう、これは言葉によるボクシングだ。ノックダウンを取られれば負ける。そういう戦いなのだよ。この法案が可決されてしまえば、私の計画はめちゃくちゃになる。なんとしてでも阻止しなければならない」
ASSBの母体である公安と国会の、代理戦争をするつもりなのだ、この男は。話は一国の政治にまで及んでいる。逆柳があれだけ執拗に特級捜査官への昇進にこだわっていたのは、この法案に対する布石だったのかもしれない。
ハルたちが『影の王国』と戦っている中で、逆柳もまた、日本という国の政治と戦っているのだ。計画、とやらがどんなものかはわからないが、国を巻き込んでなにかをしでかそうとしているのだ、この男は。
「……あなたは、どこまで行くんですか?」
ハルの口からこぼれ出たのは、そんな疑問の声だった。
最初から最後まで勝ちはせずとも負けもせず、ただ淡々と勝ち点を積み上げていく。すべては逆柳の手のひらの上だ。最後に笑うのは誰か、と問われれば、逆柳だ、と答えざるを得ないことになるだろう。
そんな男の目指すものはなんなのか?
逆柳は安物の紅茶を優雅に楽しみながらうそぶいた。
「なに、ちょっと果てまでだよ」
果て。この男には地平線の彼方しか見えていないらしい。
もう何も言えなくなって、ハルは口をつぐんで紅茶を飲んだ。こころなしか苦い味がする。
「そのためには君たちの協力が不可欠だ。今後ともよろしく頼むよ、塚本ハル君」
「……不本意ですが、僕たちもASSBの支援が必要だ。共同戦線を張りましょう」
「そう来なくては」
ふいに、逆柳が右手を差し出してきた。なにかと思えば、どうやら握手をしたいらしい。
迷った末にその手を取ったハルは、がっちりと手を握られ、そして離された。
「さあ、もう制限時間だ。退店せねばこの楽園の住人たちに迷惑がかかる。安心したまえ、今回も経費で落ちる」
「……ごちそうさまでした」
「こちらこそ、有意義な時間だった。表に車を呼んである、送ろう」
なにからなにまで計算づく。それが逆柳という男なのだ。
何とも言えない居心地の悪さを感じながら、ハルは空になったティーカップをソーサーの上に置いて、甘い店内を逆柳と共に後にした。