逆柳との甘い会談が済んでから一週間後。
とうとう体育交流祭の当日がやって来た。
朝から号砲が打ち鳴らされ、近所迷惑な大音声が今日限りとばかりにスピーカーから鳴り響いている。
とはいえ、場所は両校の間にある運動競技場だ。観戦客もいる辺り、案外許容されているのかもしれない。
「おら、てめえら!! アタシらは祭と名のつくもんにはノるんだ!! そして、勝負事には必ずかぁつ!!」
「だからその釘バット置いて!!」
二年B組のクラスメイト達に檄を飛ばしながら、影子はハルの声を無視して豪快に黒いとげとげバットを天に掲げた。相変わらずブルマ姿である。
「勝ちに行くぞ、二年B組!!」
『おおおおおおおお!!』
すっかり影子の独裁政権下に置かれた二年B組は、統率の取れたときの声を上げた。しかも、一部他のクラスのファンも混ざっている。影子政権は今後ますます発展を遂げそうだ。
かくして、対ヤンキー高校との体育交流祭が開始された。
開会式にラジオ体操、この辺りは粛々と行われ、やがてあちこちで各種目が始まる。一般的な陸上競技に加えて、大玉転がしや玉入れ、借り物競争やパン食い競争、そしてメインの無差別級棒倒しなど、様々な競技が行われる予定だ。
「なんだあの女子!?」
「速すぎるだろ!!」
「ウサイン・ボルトかよ!!」
早速上がった歓声に、ハルはいやいやながら視線を向けた。
見れば、影子がダイナミックな走りで200m徒競走をぶっちぎっている。走り終えて勝者の余裕で後続を眺め、息ひとつ乱さずこちらにピースサインを送ってきた。他人のフリをして、ハルは視線を逸らす。
「あの女子もすげえ!」
「しかも巨乳外国人だ!」
「うおー、乳が揺れてるぞ!!」
視線を逸らした先では、今度はミシェーラが側転競争でぶっちぎっている。華麗に側転で転がりながら、圧巻のスピードでゴールテープを切る。
「ハルー! ワタシやったヨー!」
わあわあと両手を振るミシェーラに、苦笑いを浮かべながら手を振り返した。なんでこう、自分の回りはハデなのだろうか。自分はこんなにも地味な小市民なのに。あまり目立ちたくないのに。
軽くため息をつきながらも、ハルは自分の出る種目を粛々とこなしていた。成績はどちらかというと悪い部類だ。とてもあのふたりのようにはいかない。点数ボードを見てみると、今のところ僅差でこっちが勝っている。いくら突出した個人がいても、全体で見るとやはりこちらの体力は劣っていた。
まあ、ハルは正直、勝っても負けてもどっちでもいいのだが。
「よう、塚本! やってるか?」
「あ、先輩。僕はなかなか……」
三年生の競技に出ている倫城先輩とばったり出くわした。先輩のことだ、おそらくは華々しい成績を残しているに違いない。
倫城先輩はさわやかに笑うと、
「だよな。運動できないところがまた、守りたくなるっつーか」
「ちょっ、先輩! やめてくださいよこんなひと前で……!」
「なんだよ、ひと前じゃなきゃいいのか?」
「そういうことじゃなくて!」
慌てるハルを見て、先輩は声を上げて軽やかに笑った。
「ははっ、冗談冗談。それより……この体育交流祭にまつわる『伝説』、って知ってるか?」
「……『伝説』?」
あまり聞きたくはなかったが、先輩が肩を組んで間近に顔を寄せてきたのでいやでも聞くことになった。
「棒高跳び、あるよな。あれで飛ぶときに告白して、跳べたら恋が実るっていうのが『伝説』だ」
「……まさか、先輩……」
「もちろん、俺も出るよ?」
当然のように言う先輩に、ハルは顔を青くした。
マズい、これはホモバレのピンチだ。先輩はもちろん、下手をすればハルまでおホモだちと思われかねない。
『伝説』を実行する気満々であろう先輩は、そんなハルにはにかんだ表情を見せながら、
「お、そろそろだな。毎年この競技、誰が誰のこと好きなのか聞きに来るヤツが大勢いるんだ。ギャラリーは満員御礼だな」
「せ、せんぱい……!」
「じゃあな、塚本! 俺の跳びっぷり、見といてくれよ!」
「ああああああああああ!!」
半泣きで引き留めようとするハルに手を振り、倫城先輩は一陣の風のように去っていった。これから始まる棒高跳び、というか、大告白大会のために。
どうしようどうしようどうしよう。別にホモに偏見はないが、自分がホモだと思われるのはいやだ。しかし、このままではあの華麗なる倫城先輩の恋人認定されてしまう。
先輩が失敗するのを祈ろうと、ハルはギャラリーの後列に並んで競技を見守った。
一年が終わり、次は二年。こちらからの女子はなぜか一ノ瀬が出ていた。
芋ジャージをギャル風に着こなし、きりっとした表情で跳躍棒を構える一ノ瀬。ホイッスルと共に助走をつけて、充分にスピードが乗ったところで、跳躍棒を地面につがえ、大きく跳ぶ。
「愛しております影子様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
まあ、大方の予想はついていたが、一ノ瀬は盛大に影子への愛を告白しながら宙に舞った。
そして、ハードルに顔面からぶち当たり、クッションマットに無様に墜落する。
「ぶべらっ!!」
潰れたカエルのような体勢で落ちた一ノ瀬は、涙を呑んでマットにこぶしをぶつけた。
「ああ! 神さえ私たちの恋路を邪魔する!! でも、私、負けないから!! 必ず影子様と……!!」
「あー、ちょっと頭打ってるみたいだから、一応担架お願いしまーす」
マットを殴りながらぶつくさつぶやく一ノ瀬が、係員が呼んだ担架に乗せられて退場していった。前座はここまでだ。
やがて三年生の順番になり、大本命の倫城先輩が跳ぶ番がやってくる。ギャラリーは騒がしくうわさした。
「倫城君の好きなひとって誰かな!?」
「えー、やっぱ桜井さんとか? うちのアイドルじゃん」
「いやー、あの倫城のことだし、案外男だったりして?」
「ははは、やめろって!」
ハルが一瞬ぎくっとしたのは誰にも気づかれていない。好き勝手予想する観客を前にして、倫城先輩は戦いに挑む漢の顔をしていた。
やる気だ。先輩は逃げも隠れもせず、正々堂々と『伝説』に導かれて跳ぼうとしている。
そんな勇者の失敗をこころから願い、ハルは固唾をのんで競技の行方を見守った。
ホイッスルが鳴ると、先輩は跳躍棒を掲げて助走をつける。速い。跳躍棒が地面をえぐり、大きくぐにゃりとしなる。そのしなりを味方に地面を蹴り、倫城先輩は高々と跳躍した。
「好きだ、塚本ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
言ってしまった。もう終わりだ。
真っ青になるハルをよそに、先輩は軽々とハードルを越え、マットの上にきれいに着地する。
そして、実に好青年らしい爽快な笑みを浮かべて、ハルに向かってこっそりとピースサインを送った。
これでハルもホモ認定されることになる。別にいじめられるようなことはもうないだろうが、少なくとも好奇の目にさらされる。目立ってしまう。
だらだらと冷や汗を流すハルの回りの観客たちは、わぁ、と歓声を上げた。
「倫城のやつ、塚本影子のことが好きだったのか!」
「あー、塚本さんかぁ、まあわからなくはないけどねー」
「私、失恋しちゃった!」
「塚本さんなら仕方ないよなぁ」
心配するハルの予想を超えた展開だった。いつの間にか、というか当然の流れなのだが、倫城先輩の思い人は影子だと勘違いされたらしい。たしかに先輩は塚本、としか言っていない。影子だって塚本だ。
体育交流祭最高記録をマークしたと係員が告げると、ハルは安堵のあまりその場にうずくまってしまった。
よかった。危ういところだった。
ひょっとして先輩はこの展開を読んでいたのだろうか?
よろよろと立ち上がりながら先輩の方を見てみると、先輩はにやりといたずらめいた表情でその視線に答えた。
やはりASSBの高校生エージェント、『閣下』の『猟犬部隊』の一員。死線はいくつもくぐってきただけあって、一筋縄ではいかないらしい。
ギャラリーにバレずに告白して、しかも成功してしまった。『伝説』によると、この恋は実ってしまうらしいが……?
戦々恐々とするハルは、まだ興奮冷めやらない観衆たちから離れて、こっそりとため息をついた。