今日は待ちに待ったお小遣い支給日だ。
決して多くはないが、男子高校生の平均くらいの金額を手にして、ハルはほくほく顔で帰り支度をしていた。
「よう、ご主人様。いや、お大尽っつった方がいいか?」
「な、なんだよ影子?」
さっそくカネのにおいを嗅ぎつけた影子に絡まれる。影子はハルの肩に片腕を回し、
「んん? しらばっくれんなよ。あからさまにオカネモチのにおいぷんぷんさせやがって、自慢か? 自慢なのか?」
にたにた笑いながらなれなれしく顔を寄せる影子から、さっと顔を逸らすハル。
「……今月は買いたいものがあるから……」
「おーい! ケツデカパツキン! これからウチのご主人様が遊びに連れてってくれるってさ!」
「か、影子!」
「ワーオ! 本当デチカ!? ワタシまだ駅前の方行ったことないデツ!」
勝手に呼び寄せたミシェーラが期待の声を上げる。ミシェーラを巻き込めば断りづらいと踏んだ影子のカンは正解だった。
もう退くに退けない状態になったハルは、今月発売の初回限定生産豪華デラックスフィギアの予約をあきらめる決意を早々に済ませた。
重いため息をついたハルを見て、けひひと怪鳥じみた笑声をこぼす影子。
「ん、そうこなくっちゃな! 今日はぱあっとハデに遊ぶぜ!」
「ゴショウバンに預かりマース!」
「……ったく、ひとの財布当てにしてるとロクなことにならないぞ」
「ま・そうけちけちすんなって。金は天下の回り物、ってな」
こういうとき、女子というのはおそろしい。女の物欲に果てはないのだ。
ハルは影子に連行されて、ミシェーラと共に駅前の繁華街へと繰り出した。
スタバで甘ったるい限定フラペチーノを飲み、ショッピングモールで服や雑貨を見て、ゲーセンに寄って新作のアーケードゲームやクレーンゲームを楽しむ。
たちまちハルの財布から諭吉が消えた。なんなら漱石も消えた。
ずいぶんと寒くなってしまった懐を抱えて歩きながら、影子たちといっしょにタピオカを飲むハルの肩を、晴れやかな笑顔の影子が叩く。
「ん! いやぁ、青春ですなぁ! アタシはこういうのやりたかったんだよ! アンタも美少女ふたりに囲まれて両手に花だろ? うれしいだろ? んん?」
挑発するようにハルの顔を覗き込む影子と、同じくタピオカを飲みながら歩くミシェーラ。
「んー! 楽しかった! 駅前ってこんな楽しいところあるんだネー! ハル、アリガト!」
「……うっ……!」
礼を言われてしまったら、もう男として見栄を張らなければならないではないか。影子はすべて計算づくだったらしく、イチゴミルクタピオカを飲みながらにやにやとこちらを見ている。
「……もう! どういたしまして!」
すべてをあきらめたハルは、ヤケクソのようにタピオカを喉に流し込んだ。
それを見て、ふたりが愉快そうに笑っている。
……たしかに、両手に花なのはちょっとうれしかったりする。それがまた悔しい。
もうそろそろ夕方だ。影子は眠らなければならない。同じ『影使い』であるミシェーラもそこはわかっているらしく、アーケード街の外れで解散という流れになった。
「また明日ネ、ハル、カゲコ!」
「うん、また明日、ミシェーラ」
「……ふぁ、眠ぃ……アタシは疲れ……っ!」
とろんとしていた影子の目に、らんらんとした赤い光がともる。
一気に覚醒した影子は、うろたえるハルたちを置いてどこかへと駆け出した。
「ま、待ってよ影子!」
「どしたカ!?」
慌てて後を追うふたりに向かって、影子は振り返らずに言い放つ。
「におうんだよ!」
「におうってなにが!?」
「察しが悪ぃな! 『影』のにおいだよ!!」
「『影』だって!?」
目下ハルたちが血眼になって探している『影使い』がいるかもしれない、ということだ。ただの『ノラカゲ』かもしれないが、わずかな可能性にもすがりたい。ぐん、と速度を上げた影子を追いかけて、ハルたちもまた加速した。
息が上がってきたころ、ハルたちは路地裏の空き地にたどり着いた。まわりを廃ビルで囲まれた、薄暗い忘れられた場所だ。
「ここに『影』が……?」
空き地と言っても、かなり開けた場所だった。なにかの建設予定地なのか、片隅には資材が積み上げられている。ビルの影がその敷地内に伸びていた。
今のところ、なにかが起こる気配はない。しかし、ほかならぬ影子が『におう』と言っているのだ、『影』は確実にいる。
上手くすると、ハルたちが、そしてASSBが必死に探している『影使い』と会えるかもしれない。
しかし、下手をすれば『影の王国』からの刺客に遭遇するかもしれない。
鬼が出るか蛇が出るか、賭けになるが、乗るしかない。
「……来るぞ!」
影子がハルたちをかばうように手を伸ばす。
その瞬間、ビルの影からすごい勢いで黒いものが生えてきた。『それ』はビルと同じくらいの高さまでそびえると、影から足を引っこ抜く。
たしかに、その『影』はひとの形をしていた。影子と同じくらい具体的な『影』だ。
しかし、ピンクの髪をツインテールにまとめたメイド姿の『影』は、巨大すぎた。15,6メートルはあるだろうか、そびえるビルに引けを取らない大きさだ。細部はあくまでメイド姿の女の子なので、その大きさがかえって不気味だった。
「……あのー」
巨大メイドの『影』が甘ったるい声を出す。空き地いっぱいに広がるスカートのすそを抑えながら、かがみ込み、
「塚本ハルさんと、影子さんと、ミシェーラさんですよね?」
「んだよデカブツ! アタシが塚本影子様だよ!」
その巨大さに張り合うように声を上げた影子に、メイド姿の『影』はほっと胸をなでおろす。
「よかったぁ。間違えてたらどうしようかと思ったぁ」
ハルたちのことを知らないとなると、『影の王国』の刺客である可能性は低い。これは賭けに勝ったか……?
ハルが内心ほっとしていると、巨大なメイドの『影』はにっこりと笑い、
「それじゃあ、ちょっと潰されてくださいね♡」
かわいらしい声でそう告げると、ぐわ、とこぶしを振り上げた。
「どいてろ!」
影子が叫ぶと同時に、巨大メイドの『影』のこぶしが着弾する。どぉん!と打ち上げ花火のような腹に響く音と共に地面が割れ、砕けた。
あんなものをマトモに食らったら、からだの原型をとどめてはいられないだろう。
しかし影子は果敢にも自分の影から真っ黒なチェインソウを引きずり出し、
「どういう道理かはわかんねえけど、やるってんならやろうぜ!」
真っ赤なくちびるに笑みを浮かべ、エンジンをかけた。いななきを上げたチェインソウの刃が高速で回転し、それを引っ提げた影子がメイドの『影』に向かって疾駆する。
「おるぁぁぁぁぁぁ!!」
その刃を思い切りメイドの『影』に突き立てると、そこから真っ黒な血しぶきが上がった。
「いったぁい!」
しかしその巨体からすればかすり傷だ。メイドの巨大な『影』は攻撃されたすねをかばうようにかがみこんだ。
「『影爆弾』!」
同じ『影使い』であるミシェーラもまた、自分の『影』を呼び出す。ミシェーラの影から続々と真っ黒なオモチャの兵隊が出現し、メイドの大きな影に向かって飛び込んでいった。
一拍置いて、メイドの影が連鎖的に大爆発を起こす。
「きゃああああ!?」
悲鳴を上げて爆炎の向こうに消えていくメイドの『影』。マトが大きい分、ミシェーラの『影爆弾』は効果を存分に発揮する。広大な影は、『影爆弾』にとってはうってつけの獲物だった。
手札に『影爆弾』がある限り、この巨大なメイドの『影』は制圧できる。
そうタカをくくったハルだったが……