翌日から、本格的に『影使い』探しが始まった。
『影の王国』対策本部は威信をかけて全力で捜索に当たった。
ハルたちも、放課後になるとあの巨大メイドの『影』と遭遇した地点を中心に繁華街や駅前を探して回った。
しかし、あれ以来『影使い』は文字通り影も形もなく、その行方はようとして知れなかった。
「……今日も見つからなかったな」
「……そうですね」
『影使い』探しに加わった倫城先輩、影子、ミシェーラと共に公園のベンチでぐったりとするハル。
一体どこに消えてしまったのだろうか?
一度は姿を現した以上、またやってくると思っていたが、アテが外れた。
空はすっかり夕焼け色に染まっており、そろそろ影子も眠る時間だ。
今日はもう解散か、と思っていると、ふと引っかかる点があった。
「……あの『影』、どうして僕たちの名前を知ってたんだろう……?」
「んなこたぁ、とっ捕まえて吐かせりゃいいんだよ」
「いや、ちょっと気になるんだ。僕たちの名前だけを知ってて、顔を知らなかった……どこから『塚本ハルは『影使い』だ』って情報を仕入れたんだろう、って」
「ついでにワタシもネ。ハルだけならともかく、ワタシが『影使い』なんて情報、知ってるのは……」
「……『影の王国』だけだね」
おのずと答えにたどり着いて、ハルはさらに頭を回転させた。
『影の王国』しか知り得ない情報を仕入れた、ということは、『影使い』はすでに『七人の喜劇王』と接触している……?
先を越されているという可能性が高い。
ひょっとしたら、もう懐柔されているということも……?
「塚本。今は考えるな。足だけ動かそうぜ」
「……はい」
内心を見透かしたような倫城先輩の言葉に、強制的に思考を中断させるハル。
そうだ、今はつべこべ言っているヒマはない。
一刻も早く『影使い』を見つけ出さなければ。
明日は見つかるといいな……と思いながら、ハルたちは解散した。
一方、そのころ。
久太はひとりで下校しながら、ぐるぐると止まらない思考を展開していた。
『モダンタイムス』の言う通り、ハルたちは『影使い』と『影』だった。
そして、『メイド』の攻撃に応戦してきた。
もし自分が『影使い』だと知られてしまったら、一体どういう反応をするのだろうか……?
やはりこれも『モダンタイムス』の言う通り、ASSBの手先になって久太を断罪しに来たのだろうか?
だとしたら、ハルはウソをついていたということになる。
あの握手も、交わした言葉も、すべてがウソだったのか。
疑念を膨らませながら、久太は親指の爪をがじがじと噛みながら歩いていた。
「……ご主人様ぁ……」
「バカ、出てくんな! 今は絶対に出てくんなよ!?」
「はっ、はい……!」
『メイド』にきつく言い含めると、久太は爪を噛みながら速足で家路を急いだ。
『モダンタイムス』の言っていたことはすべて本当だったのか?
現に、ハルたちは『影使い』と『影』だった。『メイド』に攻撃さえしてきた。ASSB側についているのは考えうることだった。
だとしたら、『メイド』を育てるためにひとを食わせてきた久太は裁かれる立場だ。ASSBからしてみれば、『ノラカゲ』も『影使い』の『影』もいっしょ、ひとに仇成す害悪だ。きっと『メイド』は消されるし、そのあるじたる久太も何らかの罰を与えられるに違いない。
それに、『あの件』のことだってバレているかもしれない。
だとしたら、ハルたちは自分を捕まえるために近づいてきたということになる。
久太は知らない内に『モダンタイムス』の術中にはまっていた。詐欺師だと疑ってかかっていたはずなのに、いつの間にか『モダンタイムス』の言葉を信じてしまっている。
どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?
堂々巡りの思考に陥った久太の足が自然に向いた先は、過去二回『モダンタイムス』と遭遇した路地裏だった。
目を血走らせながら爪を噛んでいた久太の行く先に、当然のようにいつかの極彩色が現れる。
「やあやあ、長良瀬久太君! 元気だったかい? 小生は元気に吐血していたよ!」
「……『モダンタイムス』……」
ハデな花魁衣装を羽織った男の名前をつぶやいて立ち止まる。
『モダンタイムス』のクマの浮いた目元が、にい、と笑みの形になった。
「そろそろ決めておくれよぉ。小生たちといっしょに『影の王国』、しよっ?」
それはひどく蠱惑的な誘いだった。
が、久太の中の最後のひとかけらの疑念がそれを拒否した。
「……まだだ……」
久太はまだハルを信じようとしている。
『モダンタイムス』はやれやれ、と肩をすくめてため息をつき、
「君も思い切りの悪い男だねぇ。もうわかっているだろう? 塚本ハルはASSBの指示で君を捕まえに来たんだよぅ」
「……違う……!」
「あぁ、なになに? まぁだ友情ごっこがしたいのかなぁ? ま・小生は別にそれでもいいけどぉ」
言いながら、転がっていた空き缶を蹴ってふてくされる『モダンタイムス』。そのそばには直立不動の秋赤音が立っている。
『モダンタイムス』の言うことは正しいのかもしれない。
ハルとの友情を信じたい自分もいる。
だが、久太の中にはいつしか罪と罰の意識が芽生え始めていた。今まで犯してきた罪、そしてそれに対する罰。後悔と疑心暗鬼。今の久太は、罪を重ねた過去の自分と、罰を与えられる未来の自分に怯えていた。
がじがじ、かじる爪がなくなり、血が出てくる。それでも久太は爪を噛み続け、呼吸を荒くした。
ハルを信じたい。が、現実問題、ハルは敵かもしれない。
敵。これではまるで、自分が『影の王国』の一員のような言い方ではないか。
いや、待て。いっそのこと、あっち側に行ってしまっていいのではないか?
だが、ハルは始めて出来た『共犯者』ではない『友達』だ。裏切るわけにはいかない。
しかし……
堂々巡りを続け、久太は完全に混乱していた。それを見て、『モダンタイムス』は黙ってにやにやと笑っている。
やがて久太は握ったこぶしを下ろして、苦汁を飲むような表情でつぶやいた。
「……あいつらを、どうにかしてくれ」
「了解ー♪」
『モダンタイムス』にとってはそれが色良い返事だったらしく、声が弾んでいる。まんまと口車に乗せられたわけだが、久太にとっての選択肢はそれしかなかった。
『どうにか』の内容にまでは言及せず、『モダンタイムス』が久太に背を向ける。
「君はかわいいねぇ、実にかわいらしい。まるで罪を知らない子供のようだ!」
「……っ!」
「それじゃあ、小生たちは塚本ハル君のところへ行ってくるねぇ」
ひらりと手を振って、『モダンタイムス』と秋赤音は路地裏から姿を消した。
がじがじがじがじ。久太はまだ爪を噛み続けている。とめどなく赤い血がしたたり落ち、それでも久太のこころは休まらなかった。
果たして、これは正しい選択だったのか?
それがわかるまでに大した時間はかからないだろう。
自問自答して、久太は爪先から血を流しながらその場を後にした。
結局、一週間かけても『影使い』は見つからなかった。
あんなに巨大なメイドの『影』も、どこにも見当たらない。ハルや対策本部をおそれているかのように、『影使い』は『影』を隠していた。
「……今日も収穫ナシ、か……」
いつもの公園のベンチでぐったりするハル一行。夕焼け空を見上げながら発した言葉には、誰も答えてくれなかった。
だが、よく考えてみるとまだ希望はある。
もし『影使い』が『影の王国』側についていたとしたら、また襲撃があるはずなのだ。
それがないということは、まだ向こう側には行っていないということだ。
『影使い』はハルたちにおそれを抱いているのと同時に、『影の王国』のこともおそれているような気がする。
現状、どっちに転んでもおかしくない状態なのだ。
ならば、ハルたちは脅威ではないことを話し合いでわかってもらうしかない。『閣下』でもあるまいに、こんなところで交渉術が必要になるとは。
だが、『影の王国』の手に落ちる前に、必ず救い出さなければならない。
自分たちは味方だと何とかして伝えなければ。
改めて決意すると、ハルの胸にやる気がみなぎってきた。
「今日はもう解散。明日からまた頑張ろう!」
「ん! ぜってーとっつかまえねえとな!」
「ワタシも頑張るヨ!」
「そうだな、しまって行こう!」
各々ハルの言葉に背中を押されたかのように気合を入れ直し、その場は解散となった。
絶対に助ける。『影の王国』には渡さない。
決意も新たに、ハルは帰宅の途に就いた。