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№15 『影』たちの戦い

 ……先に焦れて動いたのは影子の方だった。


 水面を滑空する水鳥のように低い姿勢で秋赤音に肉薄し、


「でええええええい!!」


 うなるチェインソウを振り下ろす。


 その一撃をクナイで軽々といなした秋赤音は、逃げるのではなく、より影子に密着するように一歩進み、みぞおちに肘を叩き込む。


 膝を跳ね上げるようにしてその肘をしのいだ影子は、今度はチェインソウを横なぎに振るった。


 しかしそのやいばは、地面ぎりぎりまで這うような姿勢になった秋赤音のポニーテールの先をかすめるに終わる。秋赤音はそのまま、低い姿勢からの足払いをかけた。


 チェインソウに重心を取られていた影子はその足払いで姿勢を崩し、苦い顔をする。その隙に、秋赤音は伸びあがるようにからだを伸ばし、全身のバネを使っての掌底を影子の横隔膜めがけて放った。


「……か、はっ……!」


 見事なコンボを食らってしまった影子は、呼吸を司る横隔膜に打撃を受けて呼吸困難に陥る。が、やみくもに振り回したチェインソウは秋赤音の片腕をえぐった。


「……ぐっ……!」


 ちぎれかけた片腕を放棄した秋赤音は、息を乱す影子にクナイによる斬撃を仕掛ける。しかし、質量でチェインソウに劣るクナイはそのまま弾かれてしまった。


 パワーでは圧倒的にこちらの有利だ。しかし、秋赤音には体術と超スピードがある。このまま畳みかけられると厄介だ。


 とにかく間合いを開けようと飛び退るが、秋赤音はそれを許さなかった。


 追いすがり、続けざまに回し蹴りを抜き撃つ秋赤音の速度に、呼吸を乱した影子は対応しきれなかった。鋭い蹴りがわき腹にクリーンヒットし、吹っ飛ばされる影子。


「……っく!」


 かろうじて受け身は取ったが、秋赤音の連撃は止まらなかった。チェインソウを構えて応戦しようとする影子の襟首を残った片腕でつかむと、そのまま背負い投げの格好で地面に叩き伏せる。


 今度は受け身さえ取れずにバウンドした影子の影に、秋赤音はクナイを投げ放った。黒いクナイが影に突き立つと、影子は魔法にかかったように身じろぎもできなくなる。


 娯楽小説の中でしか見たことがなかった忍術、『影縫い』。これが『影』としての秋赤音の能力らしかった。


 指の一本たりとも動かせなくなった影子の腹に、ずん、と小柄な秋赤音の足が突き立てられる。みぞおちを踏みつけにされて、顔を擦り傷だらけにした影子がその赤い瞳に怒りを宿してうなった。


「……てんめえ……!……この、アタシを、踏みやがったな……!?」


「わめくな、羽虫」


「……羽虫、だとぉ……!?」


 影子のこめかみに青筋が浮く。片腕を失いかけながらも、あくまで刃物のような冷たさで突きつけられる秋赤音の声音は、女の子のそれとは思えないほどに重々しく響いた。


「所詮、貴様のあるじと私のあるじ様とでは格が違う」


「……っ!!」


 こんなに激しく怒っている影子は見たことがない。怒りに目を見開き歯を食いしばり、ほんの少しだけでも動こうとする。が、『影縫い』は容赦なく影子を縫い留めた。


 まさに羽虫でも見るかのような一瞥を影子に投げかけたのち、秋赤音の視線がハルを射抜く。


「あるじ様の御前だ。身の程をわきまえろ、『影使い』」


 秋赤音はハルに向かってはっきりとそう伝える。本物のやいばで貫かれたようなここちになって、ハルはからだをすくめた。


「……か、は……!……逃げろ、ハル……!!」


 自分の方が絶体絶命のピンチだというのに、影子はハルの身を案じてその名を叫ぶ。しかし、ハルはすっかり膝が笑ってしまって動けなかった。


「わめくなと言ったはずだ、羽虫。今、トドメを刺してやる」


「や、やめ……!」


 ハルが震える声で手を伸ばし、止めようとしたが、遅い。


 秋赤音はかざしたクナイを容赦なく影子の心臓へ突き立てた。やいばが影子の中深くのコアを貫く。


「……っあぁ……!!」


 真っ黒な血が噴水のように吹き出した。びちゃびちゃと音を立てて、大量の墨汁のような血液が辺りに飛び散り、血だまりを作る。


 喘鳴のようにあえぐ影子に、秋赤音は冷徹に言い渡した。


「無様!」


 それは事実上の勝利宣言だった。びくびくと痙攣する影子は、


「……ちっくしょ……!」


 赤いくちびるの端から黒い血液を絶え間なくこぼし、歯を食いしばってうめく。


 ハルの頭が真っ白になったのち、冷徹なまでの現実がのしかかってきた。


 このままでは、影子はまた死んでしまう。


 『あのとき』と同じように、また喪失してしまうのだ。


 それだけは、いやだった。


 なにか、なにか打つ手はないのか?


 衝動に駆られるように思いついて、ハルはとっさにポケットからスマホを取り出す。


 そして、光量を最大にしてフラッシュを焚いた。


 まばゆい光に、ほんの一瞬だけ影子の影が消え、『影縫い』のクナイは無効になる。


 その隙に、ハルは影子に向かってがむしゃらに突っ走った。


「うわああああああああ!!」


「……くっ……!」


 思わぬ対応に歯噛みする秋赤音の脇を抜けて、影子の軽いからだを担ぐと、ハルは一目散に逃げだした。そのまま叫びで恐怖をごまかしながら、『モダンタイムス』たちに背を向けて脱兎の勢いで逃走する。


 紙細工のように軽くなった影子のからだを肩に乗せ、ひた走る。ともかく遠くへ、どこでもいいから遠くへ。


 やがてひと気の多い駅前までたどり着くと、もう追手の気配はなくなっていた。郵便ポストの影にへたり込み、影子を下ろして上がった息を整えるハル。


 その場しのぎの思い付きだったが、うまくいった。ハルだけ『影縫い』されていなかったことがさいわいした。が、次はないだろう。


「影子、大丈夫か!?」


 慌てて顔を覗き込むと、影子は黒い血まみれになり顔を紙より白くしながらも、赤い瞳を燃え滾るような怒りでらんらんと光らせていた。額には青筋が浮いている。


「……ちっくしょ……!!……あのウンコクズ、アタシのあるじをバカにしやがった……!!……ぜってえ、借りは返す……!!」


「もういい、影に戻れ!」


 影の中でなら多少は影子も回復するはずだ。ハルはちからをなくした影子をずぶずぶと己の影の中に押し込んだ。


「……くそっ……!!」


 悔しげにそうつぶやくと、影子はやがて影の中に溶け込んでいった。


 ようやく一息つき、ハルはへなへなと石畳の上に座り込む。道行く人たちが心配そうにこっちを見ていた。そんなことはお構いなしに、ハルはこぶしを握り締める。


 惨敗だった。


 影子は秋赤音に手も足も出なかった。


 そして、『影』の負けは『影使い』の負けでもある。


 『影使い』として、ハルは『モダンタイムス』に遠く及ばなかった。


 秋赤音の言う通りだ。『影使い』としての格が、あるじとしての格が違う。


 自分のあるじとしての器は、所詮その程度だったのか……?


 悔しさで握りしめたこぶしに爪が突き立つ。


 手痛い一敗だった。


 しかし、収穫はあった。


 いつまでも敗北感に浸ってはおれず、ハルはスマホを取り出して電話をかける。


 きっちり3コール目で出た相手に状況を告げると、ハルはそのまま脱力して、しばらく動けなくなった。


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