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№18 敗戦のあとで

 影子はハルの影の中で眠り続けていた。


 秋赤音から受けたダメージは甚大だ。コアを貫かれたのだ、あのまま消滅していなかっただけマシだった。


 少しでも早く最前線に復帰するために、今は眠り続けなければならない。眠りから目が覚めたら、そのときはすべてにケリをつける。


 あの秋赤音の勝利宣言、まだはらわたが煮えくり返っていた。


 自分のあるじを蔑んだ、それは万死に値する。


 なにがあってもあの『影』は打ち倒さなければならない。


 それが従者である影子にとってのケジメだった。


 ……しかし、従者としてではなく、ひとりの女子高生としても、影子は激怒していた。


 自分の思い人をけなされたのだ、それはいち乙女としては憤激するところではある。


 従者としての自分と、ただの少女としての自分。


 そうだ、自分はたしかに恋をしている。認めよう、それは事実だ。


 自分のあるじに、ハルに恋をしている。


 求めて、欲して、焦がれてほしかった。実際、自分はハルを求めて、欲して、焦がれている。ハルには自分と同じ思いになってほしかった。


 『影』のくせに、いっちょまえに両想いなどというものを望んでいるのだ。


 ……しかし、果たして自分には恋をする資格があるのだろうか?


 ハルのことを考えていると、いつもその問題にぶつかる。


 かつてあるじに恋をして、食った自分がまた恋をする?


 そんなもの、同じ轍を踏まないという保証はどこにもない。


 恋をすれば、またあるじを食ってしまうような気がした。


 それほどあの件は、影子の中のトラウマとして刻み込まれていた。


 それだけではない。影子はハルに出会うまで大勢の人間を食ってきた。何人ものいのちを食らってきたのだ。


 ハルとの平穏な日々を過ごす今になって、ふとした瞬間に、奪ってきたいのちの重さに押しつぶされそうになる。


 あるじに恋をして食った罪。


 たくさんの人間を血肉にしてきた罪。


 この罪をあがなうためにはどうすればいい?


 この身を潔白にするにはどうすればいい?


 ……簡単なことだ。


 この恋ごころを封じ込めてしまうのだ。


 重しをつけて、この広大で深遠な暗い海の中へと沈めてしまおう。


 誰にも告げないし、もちろん本人にも悟られてはいけない。


 思いにふたをして、ぎゅうぎゅうに押し込める。それは窒息しそうなくらい苦しいことだったが、影子はそれを甘んじて受け入れた。


 この恋は実らせずに終わらせる。


 それが、影子なりのケジメの付け方だった。


 罪をあがなうための罰だ。


 いつか破裂して気が狂ってしまうまで、ずっとずっと、思いを隠していよう。


 そんな罪滅ぼししかできない自分に自嘲の笑みを浮かべる。


 まどろみの中でそう決めて、影子はまた、深い深い眠りの海へと沈んでいった。




 一方で、ハルもまた悩んでいた。


 影子が大ダメージを負って三日、いまだに影から出てくる気配はない。


 逆柳から待機を命じられて、ハルは今、自室に閉じこもってベッドの上で丸くなっている。


 その間、ずっと考えていた。


 『自分は影子のあるじにふさわしいのか?』と。


 秋赤音のあの言葉が、ハルの中に深くわだかまる。


 『影使い』として、そしてあるじとして、ハルは『モダンタイムス』の足元にも及ばなかった。だから、負けた。


 覆ることのない圧倒的事実を前にして、ハルはすっかり打ちのめされていた。


 影子は、強い。それこそ、自分などよりずっとふさわしいあるじがどこかにいるだろう。この手を離した方が影子のためになるのではないか?


 影子のあるじであり続けることに、ハルはひどい不安を抱いてしまった。


 やいばは、ふさわしくない使い手の手中にあればいつか折れてしまう。


 もし今度、『モダンタイムス』に接敵して、今度こそ影子を失ってしまったら……?


 考えただけでもぞっとした。


 自分が影子を死なせるのだ。


 ふがいないあるじのせいで。


 たとえば、あの『モダンタイムス』のように、自分は影子の絶対的な王として君臨することはできるだろうか?


 ……無理だ。今の自分の器ではそれは叶わない。


 失うことに怯えて、後悔がこわくて、ハルは玉座から降りようとしていた。


 そういったことをおそれて一歩を踏み出せない辺り、やはり自分は王の器ではないのだな。


 ベッドの上で膝を抱えていたハルは、もう何度目かもわからないため息をついた。


 そんな折、隣に置いてあったスマホが着信を告げる。


 逆柳から新しい指示でも来たか、と画面を見ると、そこにはミシェーラの名前が表示されていた。


 一体何の用事だろう、と通話に出て、


「……もしもし、ミシェーラ?」


『ハルー! 大変だったって聞いたヨ!』


 ハルの声にかぶるようにしてミシェーラの声が聞こえてくる。これはこころから心配してくれている声だ。ウソが下手なミシェーラらしかった。


『大丈夫? カゲコは? ハルも落ち込んでナイ?』


「……うん、平気」


『ウソ。その声は平気じゃナイ』


 どうやら相当参っているらしい。ミシェーラにまで空元気を見破られてしまった。ばつが悪そうに笑いながら、


「……うん、ちょっとキツい」


『だと思った!』


 こつん、と部屋の窓に何かがぶつかる音。閉め切っていたカーテンと窓を開けると、そこにはいつかのようにミシェーラが立っていた。


『来ちゃった!』


 スマホ越しに話しながら、すぐ近くで手を振るミシェーラ。ハルは苦笑しながら通話を切ると、簡単な身支度をして外へ出る。


「お待たせ」


「ハルの強がりなんてワタシにはお見通しなんだカラ! ちょっと話、しヨ」


 ハルの腕を取ると、ミシェーラはゆっくりと歩き始めた。夕暮れの街中を連れて歩き、たどり着いたのはおなじみの公園のベンチだ。


 もうそろそろ夜が来る時間帯。自販機でジュースを買って渡してくれるミシェーラに小さくお礼を言うと、ハルは缶を開けて口をつけた。


 ふたりの間に、つかの間の沈黙が訪れる。近くの草むらでりんりんと鈴虫が鳴いていた。


「……ごめん、気を遣わせちゃって」


「いいヨ! 同じ『影使い』としてなにかちからになりたいナ、って思って!」


 同じ『影使い』、か……ジュースを飲みながら、ハルは何気ない風を装ってミシェーラに尋ねてみた。


「……『影』のあるじとして、ふさわしく振舞うにはどうすればいいんだろうね……?」


 影子とのことは口には出さず、あくまでハルは『影使い』としてのミシェーラに質問をした。


 ミシェーラはしばらくの間うなっていたが、


「……ワタシは『影』のあるじって言えるほどの自覚はないナ。ホラ、ワタシの『影』、ほとんどひとを食べてないからあんなに漠然とした『影』でしょ? 次々生まれては爆発していくし」


 たしかに、ミシェーラの『影』には人格らしきものはない。ただのオモチャの兵隊の『影爆弾』だ。あるじ、という感覚が薄いことも理解できる。


 やっぱり、自分にしかわからないよな……とうつむくハルの肩を、ミシェーラが叩いた。


「ケド、『影使い』としてのプライドはあるヨ。誇り、っていうのかナ。そういうの、全部ハルが気付かせてくれたんだヨ」


「……僕が?」


「ソ。自分にはちからがあって、それを使いこなしてひとのために戦うことが自分の使命なんだナ、って。ちからを持ってるひとはみんなそう。ただ持ってるだけじゃ意味ナイ。なにかのために使わなきゃいけナイ。ひとのためでも、自分のためでも」


「……ミシェーラ、僕は……」


「だから、ハルもそのちからを無駄にしちゃダメヨ。たとえ一回負けたからって、くじけることないヨ。次こそは勝つ!って思わなきゃ。カゲコもきっとそうおもってるヨ」


 あきらめかけていたハルに言葉を浴びせ、必死にちからづけようとしているミシェーラ。


 たしかに、これはちからだ。ちからはただ持っているだけでは無意味。使いこなさなければならないのだ。


 たとえそれが、何のためであっても。


 戦うことが自分に与えられた『ちから』なら、それが影子という形をしているなら、自分は向き合っていかなければならない。


 それがちからを持つ者の定めなのだ。


「だから、負けるな、ハル!」


 もう一度、今度は少し強く肩を叩き、ミシェーラが笑う。


「……君には慰めてもらってるばっかりだ」


 ゆるいため息をついて、ハルが苦笑する。


 そんなハルの頭を、ミシェーラはやさしくなでてくれた。


「……『親友』、だからネ」


 なぜか少し目をそらしてそうつぶやくミシェーラ。


 ちからをもつものの宿命。それはわかっている。


 しかし、そこから逃げ出したい自分がいるのも事実だ。


 本当はもっと弱音を吐きたかったが、きっとミシェーラを心配させてしまう。


 内心のもやもやを抱えたまま、ハルはミシェーラに頭を撫でられ続けていた。


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