影子が影にこもってから一週間が過ぎたころ。
ハルのもとに一通のラインが届いた。
交換はしたものの、使ったことのなかったIDからだ。
長良瀬久太からのメッセージは一言。
『駅前のオフィス街にあるヒノキ公園まで来い』、それだけだった。
用件も何も書いていない。
正直、『モダンタイムス』や新たなる『影使い』のことで頭がいっぱいだったので、久太とラインを交換したこと自体を忘れていた。体育交流祭のあの日に交わした握手がありありと脳裏によみがえってくる。
きっと、なにか困りごとだ。そんな予感がした。
影子はまだ本調子ではないので、一応はミシェーラにいっしょに行ってくれないかと尋ねてみる。
ミシェーラからの返信は快諾だった。ハルの家の前で待ち合わせて、ヒノキ公園まで行くことになった。
ミシェーラと落ち合ったハルは、そのままオフィス街のヒノキ公園へと急いだ。まだ少し汗ばむ陽気の昼間、言葉少なにふたりは歩いていく。
たどり着いたヒノキ公園はオフィス街の中にしてはかなり大きかった。幅の広い遊歩道があり、そこかしこに遊具が点在している。木々が覆い茂り、まさに都会のオアシスのような場所だった。
しかし、今ここにはだれもいない。まるで人払いをしたかのごとく無人だった。だだっ広い公園には、ハルとミシェーラしかいない。ふたりはベンチに腰掛けて待ち人を待った。
しばらくすると、見覚えのある小さな金髪坊主が現れた。だが、以前とは明らかに様子が違う。がじがじと爪を噛み、目の下には陰が落ちていた。パーカーのフードを目深にかぶり、青白い顔でぶつぶつと独り言を言っている。
「……久太……?」
ただならぬ様子におそるおそるハルが声をかけると、久太はばっと顔を上げ、ぎらついた眼差しでハルを凝視する。
「……何かあった?」
「うるせえ! 今更友達ヅラすんな!!」
差し伸べようとしたハルの手を振り払い、久太が絶叫する。急に拒絶されたハルは手のやり場がなく、やはりただ事ではないと久太に声をかけた。
「なにがあったのかは知らないけど、僕は久太の友達だよ?」
「ウソだ!! ウソだウソだウソだウソだウソだウソだ!! 全部全部、ウソだったんだ!! 知ってるんだぞ!! お前が俺に罰を与えに来たってことくらい!!」
「……罰……?」
「とぼけんな!! お前は最初からそれが目的だったんだ!! 友達ヅラしてんのも俺に近づくためだ!! 俺の罪を裁くために、お前は……!!」
「落ち着いて、久太、なにを言ってるのか全然わからないよ!」
「今更知らんふりすんなよ!! 俺がなにも知らないと思ったら大間違いだ!! 『モダンタイムス』が言ってたんだ!! お前はASSBの手先の『影使い』だってな!!」
「『モダンタイムス』……!?」
まさかこの場面でその名前が出てくるとは思わなかった。ひっくり返った声でその言葉をなぞるハルを、久太はあざけるように笑った。
「ははっ!! 図星だろ!!」
「ちょっと待って! 話を整理しよう! 『影の王国』とつながりのある『影使い』って、まさか君だったのか……!?」
「ああ、そうさ!! お前らに『メイド』をけしかけたのは俺だ!! 『モダンタイムス』にお前をなんとかしてくれって頼んだのもな!! 俺は全部知ってるんだ!! 『モダンタイムス』が教えてくれた!! お前が俺の罪を裁きに来たんだってこともな!!」
「待ってよ! さっきから罪とか罰とか……! 僕はそんなこと知らないよ!!」
「もうすっとぼけんな!! 三年前のリンチ事件も、俺が『メイド』を育てるためにひとを食わせまくってきたことも、全部知ってんだろ!? だから俺に近づいて、罰を与えに来た!!」
三年前? ひとを食わせた? なにを言っているのか、ハルにはまだ理解できなかった。
しかし、ひとつはっきりしたことがあった。
久太は『モダンタイムス』の口車に乗せられて、ハルを敵だと勘違いしている。
あのうさんくさい男の策にまんまとはまり、ハルと潰し合おうとしているのだ。
「誤解だよ! 話し合おうよ!」
なんとか歩み寄ろうとハルが一歩踏み出す。
が、久太は怯えたように一歩退いてしまった。
「近づくんじゃねえよ!! 俺はあっち側につくんだ!! あっち側の人間なんだ!! お前たちの言いなりにはならない!!」
「言いなりとかじゃなくて! 僕たちは君を保護しようとしてるだけなんだ! 『影の王国』に取り込まれる前に!」
「うるせえよ!! そうやって油断させておいて、俺からなにもかも奪う気なんだろ!? それくらい知ってんだよ!!」
「落ち着けって! 君はただ、『モダンタイムス』にだまされてるだけなんだよ!」
「いいや、だまそうとしてるのはお前の方だろ!! ASSBもきっとどっかに潜ませて!! 俺の罪を全部暴きに来たんだ!!」
マズい。ハルの言葉は久太にまったく届いていない。それどころか、神経を逆なでしている。このままでは逆効果だ。
助け船を出すようにミシェーラが声を上げた。
「アナタがどんな罪を犯してきたかはわからないけど、ワタシだってたくさん罪を重ねてきた! でも、ハルはその罪も受け入れてくれた! だから、ハルといっしょに戦える! アナタもまだ引き返せる! 取り返しがつかなくなる前に、戻ってきて!」
「お前のことだって知ってるんだぞ、ミシェーラ・キッドソン!! 元『街の灯』の裏切り者だ!! どんな手を使ってASSBに取り入ったかは知らねえけど、お前だって俺の罪を知ってるはずだ!!」
「ワタシはただ、ASSBに保護されてるだけ! 手先なんかじゃない! ハルもだヨ! だから、こっち来て!」
「いいや、もう無駄だね!!」
ミシェーラの言葉も、久太の耳には入らなかった。
『モダンタイムス』の口八丁手八丁に踊らされて耳をふさぎ、完全に疑心暗鬼に陥っている。言葉の魔術で混乱しているのだ。冷静に考えれば、ハルたちが敵ではないことくらいわかりそうなものなのに、『モダンタイムス』はよほど上手く久太のこころの隙間に付け込んだらしい。
何とかして誤解を解かないと……!
ハルは焦った。が、ハルには逆柳ほどの弁論術も、『モダンタイムス』ほどの煽動術もなかった。言葉を重ねるごとにそれが逆効果となり、余計に誤解が深まっていく。
なにか、なにか方法はないのか……!?
「……アホか。たったひとつの冴えたやり方は、もう決まってんだろ」
ハルの背後から声がした。背中側に伸びた影から言葉が届く。
ずぶん、と音がして、影が水面のように揺れた。
その影から、見慣れた黒いセーラー服のおさげ髪が伸びてくる。
久しぶりに見る影子は、チェインソウを構え、赤い闘争の笑みを浮かべ、すっかり戦闘モードである。
「影子! もう大丈夫なの!?」
ハルの心配をよそに影子は傲然と鼻で笑い、
「ったりめえだ。こちとらリベンジキメるって誓ったんだからな」
「けど、本調子じゃないなら……!」
「るっせ。このションベンくせえオスガキは『影使い』なんだろ? アタシのちからが必要なんじゃねえかなぁ? んん?」
わかり切っていることだ。
『影』には『影』でしか対抗できない。
ちからにはちからでしか応えられない。
それでもなお、ハルの中には躊躇があった。
自分にこのちからを使う資格はあるのか?
また負けて今度こそ影子を失うことになったら?
あるじとしての自信を喪失してしまったハルに、この決断は下せなかった。
その歯切れの悪い様子に焦れた影子が、代わりに久太へと挑発の言葉を投げかける。
「おいクソガキ、てめえも『影使い』だろう。とっとと『影』出せ。そして真っ赤な下痢便垂れ流してくたばれクソ野郎」
「か、影子……!」
挑発行動を制止するように声をかけたハルに、またも水が向けられる。
「アンタもアンタだ。まだあのペテン師のこと引きずってんのか? クソの吐くクソに踊らされてんのは、そこのドチビといっしょだな。あんなもん、クソ以外のなにもんでもねえ。いちいち揺らいでんじゃねえ」
「ぼ、僕だって揺らぎたくて揺らいでるわけじゃ……!」
「おい!! 内輪揉めはその辺にしとけよ!!」
言い争いになりそうだったふたりの間に、久太の声が割って入る。ふるふると眼球が震え、錯乱状態に陥った久太は、口元を引きつらせて言った。
「そんなに見たきゃ見せてやるよ!! 出てこい、『メイド』!!」