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№21 『王の器』

「もうやめてくれ、久太!」


 涙交じりに悲鳴を上げ、ハルは爪をかじっていた久太に向き直った。


 ハルにできること、それは『いのちごい』だ。


 とてもではないが、ヒーローのやることではない。非常に無様で、情けない選択肢だ。


 しかし、ハルにやれることと言えば、もうこれしか残されていない。


「……あぁ?」


 目深にかぶったフードの下の視線が、ようやくハルに向けられる。


「もう勝負はついただろ! これ以上僕たちを蹂躙してなんになる!?」


「……うるせえ。お前らは敵だろ? だったら、徹底的に叩き潰す」


「敵じゃないよ! たしかに、僕たちはASSBと共同戦線を張ってる、けど、それは『影使い』を『影の王国』から保護するためなんだ!」


「『影』を駆逐するASSBにとっちゃ、俺らなんて敵以外の何物でもないだろ」


「それは違う! 君は知ってるのか!? 『影の王国』がなにをしようとしているのかを!」


 ハルの問いかけに、久太の視線がわずかに揺らいだ。がじがじと爪をかじるスピードが上がる。


「……『影』や、俺らみたいな『影使い』をASSBから守るんだろ? そのために集まったって……」


「『モダンタイムス』が言ってた、か?」


 言葉の先を越され、久太が口をつぐんだ。その隙に、畳みかけるようにハルが言葉を連ねる。


「まさか、本気であの男のこと信じてるわけじゃないよね? そんなもの、いくらだってウソをつける! 『影の王国』の真の目的は、全人類を『影』に食わせて『影』だけの王国を作り、自分たちがその王国の王様になることなんだよ!」


「……ウソだ」


 感情を抑えるように、わざと平板な声音で否定する久太。


 ハルは首を横に振り、


「僕たちはそれを阻止するためにASSBといっしょになって『影の王国』と戦ってる。だから、『七人の喜劇王』の空席を埋めさせないためにも、君のような何も知らない『影使い』を保護してるんだ。君は『罪』と言っていたね? このままこれ以上の『罪』を重ねるつもりか?」


「…………」


「僕と、『モダンタイムス』。君はどちらを信じる? いや、信じたい?」


 今度こそ、久太は目を見開いた。究極の選択に呼吸が荒くなり、爪を噛むペースがまた上がる。


 久太は、この局面でもまだ迷っているのだ。


 『モダンタイムス』についていくか、ハルとの友情を信じるか。


 あのうさんくさい男の言うことだ、たしかにウソは含まれているかもしれない。ハルの言うことが本当なら、いっしょに戦いたいのも確かだ。


 久太は日の光の下に戻りたかった。


 ……だが、『モダンタイムス』の言う通り、なにもかもがもう遅いのだ。


 久太は罪を重ねすぎた。今更ハルと友達になる資格などない。


「……うるせえよ」


 ぼそり、久太がつぶやいた。


「わかり合おうよ。僕たちは、同じ『影使い』同士、分かち合えるものがあるはずだ!」


「うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえ!!」


 頭を抱え、もだえ苦しむようにからだを折って久太が叫んだ。


「同じ『影使い』なら、俺は『影の王国』に行く!!……もう誰も、信じられねえよ……!!」


「お願いだ、僕を信じてくれ!!」


 ハルの必死の願いに、ふ、と糸が切れたように久太の動きが止まった。脱力してうなだれ、


「……俺だって、お前のこと信じてえよ……けど、悪い、無理だ……俺はもう、そっち側には戻れねえよ……!!」


「そんなことない! 罪はあがなえる! 汚れた手は洗い流せばいい! 君にはまだ選択肢が残されてる!」


「……いいや、もう遅いんだよ……もう、罰に怯えるのも、何を信じるのか迷うのも、疲れた……『影の王国』に行けば、もう何も考えなくてもいい……」


「そんなのはただの逃げだよ! 君は向き合わなきゃいけないんだよ!」


「わかってるよ、ただの思考停止だってことくらい!! けどな、お前に俺のなにがわかる!? 毎日毎日、過去の自分がしてきたことを後悔して、未来の自分が受ける罰をおそれて、まわりはみんなウソつきに見えて、味方なんていなくて!! 俺はこんなちから、欲しくなかったんだ!! なのにわけわかんねえことに巻き込まれて、もういやなんだよそういうのは!!」


 久太がわめく。これが本心か。ずっとひとりで抱え込んで、今になってそれが爆発したのだろう。せめて、ハルが相談に乗ってやれたら、ハルが『影使い』だと最初から宣言していれば、話は別の方向に転がっていたのかもしれない。


 だが、すべては過ぎたことだ。すべての状況は『モダンタイムス』のいいように利用され、その舌先三寸で久太は壊された。もうハルの手の届くところに久太はいないのだ。


「ご主人様ぁ、どうしますぅ?」


 『メイド』が腰をかがめて久太の判断を伺うと、久太はなにかを噛みしめるように目を閉じ、そして開いた。


「……構うことはねえ。『影使い』を叩け」


「了解ですぅ♡」


 それが久太の出した結論だった。


 『メイド』は大きな手のひらを天高く掲げ、


「じゃ、潰しちゃいますねー♡」


 そう言うと、ハルを血のシミにしようと手のひらを振り落とした。


 ハルはやって来るであろう痛みに目を閉じ、死の瞬間の恐怖に涙を浮かべ……


 しかし、いつまでたってもやってこない衝撃に、うっすらと目を開ける。


 そこには、かろうじて『メイド』の手のひらをチェインソウで受け止める、ぼろぼろの影子の背中があった。


「影子!!」


「……う、ぐ……しょーもねえ、押し問答、しやがって……!」


 いつの間に意識を取り戻したのか、影子はたしかにそこに立っていた。しかし満身創痍なのは相変わらずで、今も『メイド』の一撃を防ぐので精いっぱいのようだ。


「もういい、もういいよ影子!! このままじゃ君が消えちゃう!! ぼ、僕のことはいいから!!」


 震える声でハルが告げるが、擦り切れた黒い背中は一歩も退かなかった。


「僕には、君のあるじたる器がなかったんだ! いいから、こんな主人は見捨てて……!」


「くっっっっっっっっっっっだんねえんだよ、このヘタレが!!」


 怒鳴り散らす影子の声に、ハルはからだをすくませた。背を向けているので表情は見えないが、かなり怒っているらしい。


「アタシはアンタの剣だ! アンタが折れなきゃ決して折れねえ、けど、アンタが折れたそのときはいっしょに折れる! 誓っただろう! アタシはアンタの剣となり、アンタはアタシを守ると!」


「……か、影子……」


「アンタが折れてちゃ意味がねえんだよ! いいか、頼むからアタシを手放そうなんて思うな! アタシはアンタのなんなんだ!? たったひとりの臣下だろうが! 従う臣下がひとりいれば、アンタはそれで立派な王様だ!」


 傷つきながらも必死にハルを守ろうとする影子の言葉に、ハルの中にわだかまっていたもやもやが一気に晴れていく。ちから強い言葉に叱咤されるごとに、背筋が伸びる。


 ぎ……ぎ……ぎゅいん!とチェインソウが再びうなりを上げた。影子は『メイド』の手のひらを払い、振り返るとハルの胸倉をつかみ、至近距離からがなり立てた。


「胸を張れ!! 塚本ハル!!」


「……っ!!」


 まだその赤い瞳の闘志は消えていない。戦いのためだけに生まれてきた剣。


 そうだ、誓ったのだ。その剣を守ると。


 ハルが折れるということは、剣である影子も折れるということだ。


 それこそ、主人としてあるまじきことではないか?


 『モダンタイムス』のように振舞わなくとも、ハルにはハルなりの『王の器』があるはずだ。


 それを『器じゃない』などと逃げ出そうとして、まんまと『モダンタイムス』の術中にはまって。


 ……情けない。


 しかし、そんな情けないあるじにも、影子はついてきてくれると言う。


 あるじと認め、守ろうとしてくれている。


 それに応えることこそが、あるじたるものの使命ではないか。

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