「もうやめてくれ、久太!」
涙交じりに悲鳴を上げ、ハルは爪をかじっていた久太に向き直った。
ハルにできること、それは『いのちごい』だ。
とてもではないが、ヒーローのやることではない。非常に無様で、情けない選択肢だ。
しかし、ハルにやれることと言えば、もうこれしか残されていない。
「……あぁ?」
目深にかぶったフードの下の視線が、ようやくハルに向けられる。
「もう勝負はついただろ! これ以上僕たちを蹂躙してなんになる!?」
「……うるせえ。お前らは敵だろ? だったら、徹底的に叩き潰す」
「敵じゃないよ! たしかに、僕たちはASSBと共同戦線を張ってる、けど、それは『影使い』を『影の王国』から保護するためなんだ!」
「『影』を駆逐するASSBにとっちゃ、俺らなんて敵以外の何物でもないだろ」
「それは違う! 君は知ってるのか!? 『影の王国』がなにをしようとしているのかを!」
ハルの問いかけに、久太の視線がわずかに揺らいだ。がじがじと爪をかじるスピードが上がる。
「……『影』や、俺らみたいな『影使い』をASSBから守るんだろ? そのために集まったって……」
「『モダンタイムス』が言ってた、か?」
言葉の先を越され、久太が口をつぐんだ。その隙に、畳みかけるようにハルが言葉を連ねる。
「まさか、本気であの男のこと信じてるわけじゃないよね? そんなもの、いくらだってウソをつける! 『影の王国』の真の目的は、全人類を『影』に食わせて『影』だけの王国を作り、自分たちがその王国の王様になることなんだよ!」
「……ウソだ」
感情を抑えるように、わざと平板な声音で否定する久太。
ハルは首を横に振り、
「僕たちはそれを阻止するためにASSBといっしょになって『影の王国』と戦ってる。だから、『七人の喜劇王』の空席を埋めさせないためにも、君のような何も知らない『影使い』を保護してるんだ。君は『罪』と言っていたね? このままこれ以上の『罪』を重ねるつもりか?」
「…………」
「僕と、『モダンタイムス』。君はどちらを信じる? いや、信じたい?」
今度こそ、久太は目を見開いた。究極の選択に呼吸が荒くなり、爪を噛むペースがまた上がる。
久太は、この局面でもまだ迷っているのだ。
『モダンタイムス』についていくか、ハルとの友情を信じるか。
あのうさんくさい男の言うことだ、たしかにウソは含まれているかもしれない。ハルの言うことが本当なら、いっしょに戦いたいのも確かだ。
久太は日の光の下に戻りたかった。
……だが、『モダンタイムス』の言う通り、なにもかもがもう遅いのだ。
久太は罪を重ねすぎた。今更ハルと友達になる資格などない。
「……うるせえよ」
ぼそり、久太がつぶやいた。
「わかり合おうよ。僕たちは、同じ『影使い』同士、分かち合えるものがあるはずだ!」
「うるせえうるせえうるせえうるせえうるせえうるせえ!!」
頭を抱え、もだえ苦しむようにからだを折って久太が叫んだ。
「同じ『影使い』なら、俺は『影の王国』に行く!!……もう誰も、信じられねえよ……!!」
「お願いだ、僕を信じてくれ!!」
ハルの必死の願いに、ふ、と糸が切れたように久太の動きが止まった。脱力してうなだれ、
「……俺だって、お前のこと信じてえよ……けど、悪い、無理だ……俺はもう、そっち側には戻れねえよ……!!」
「そんなことない! 罪はあがなえる! 汚れた手は洗い流せばいい! 君にはまだ選択肢が残されてる!」
「……いいや、もう遅いんだよ……もう、罰に怯えるのも、何を信じるのか迷うのも、疲れた……『影の王国』に行けば、もう何も考えなくてもいい……」
「そんなのはただの逃げだよ! 君は向き合わなきゃいけないんだよ!」
「わかってるよ、ただの思考停止だってことくらい!! けどな、お前に俺のなにがわかる!? 毎日毎日、過去の自分がしてきたことを後悔して、未来の自分が受ける罰をおそれて、まわりはみんなウソつきに見えて、味方なんていなくて!! 俺はこんなちから、欲しくなかったんだ!! なのにわけわかんねえことに巻き込まれて、もういやなんだよそういうのは!!」
久太がわめく。これが本心か。ずっとひとりで抱え込んで、今になってそれが爆発したのだろう。せめて、ハルが相談に乗ってやれたら、ハルが『影使い』だと最初から宣言していれば、話は別の方向に転がっていたのかもしれない。
だが、すべては過ぎたことだ。すべての状況は『モダンタイムス』のいいように利用され、その舌先三寸で久太は壊された。もうハルの手の届くところに久太はいないのだ。
「ご主人様ぁ、どうしますぅ?」
『メイド』が腰をかがめて久太の判断を伺うと、久太はなにかを噛みしめるように目を閉じ、そして開いた。
「……構うことはねえ。『影使い』を叩け」
「了解ですぅ♡」
それが久太の出した結論だった。
『メイド』は大きな手のひらを天高く掲げ、
「じゃ、潰しちゃいますねー♡」
そう言うと、ハルを血のシミにしようと手のひらを振り落とした。
ハルはやって来るであろう痛みに目を閉じ、死の瞬間の恐怖に涙を浮かべ……
しかし、いつまでたってもやってこない衝撃に、うっすらと目を開ける。
そこには、かろうじて『メイド』の手のひらをチェインソウで受け止める、ぼろぼろの影子の背中があった。
「影子!!」
「……う、ぐ……しょーもねえ、押し問答、しやがって……!」
いつの間に意識を取り戻したのか、影子はたしかにそこに立っていた。しかし満身創痍なのは相変わらずで、今も『メイド』の一撃を防ぐので精いっぱいのようだ。
「もういい、もういいよ影子!! このままじゃ君が消えちゃう!! ぼ、僕のことはいいから!!」
震える声でハルが告げるが、擦り切れた黒い背中は一歩も退かなかった。
「僕には、君のあるじたる器がなかったんだ! いいから、こんな主人は見捨てて……!」
「くっっっっっっっっっっっだんねえんだよ、このヘタレが!!」
怒鳴り散らす影子の声に、ハルはからだをすくませた。背を向けているので表情は見えないが、かなり怒っているらしい。
「アタシはアンタの剣だ! アンタが折れなきゃ決して折れねえ、けど、アンタが折れたそのときはいっしょに折れる! 誓っただろう! アタシはアンタの剣となり、アンタはアタシを守ると!」
「……か、影子……」
「アンタが折れてちゃ意味がねえんだよ! いいか、頼むからアタシを手放そうなんて思うな! アタシはアンタのなんなんだ!? たったひとりの臣下だろうが! 従う臣下がひとりいれば、アンタはそれで立派な王様だ!」
傷つきながらも必死にハルを守ろうとする影子の言葉に、ハルの中にわだかまっていたもやもやが一気に晴れていく。ちから強い言葉に叱咤されるごとに、背筋が伸びる。
ぎ……ぎ……ぎゅいん!とチェインソウが再びうなりを上げた。影子は『メイド』の手のひらを払い、振り返るとハルの胸倉をつかみ、至近距離からがなり立てた。
「胸を張れ!! 塚本ハル!!」
「……っ!!」
まだその赤い瞳の闘志は消えていない。戦いのためだけに生まれてきた剣。
そうだ、誓ったのだ。その剣を守ると。
ハルが折れるということは、剣である影子も折れるということだ。
それこそ、主人としてあるまじきことではないか?
『モダンタイムス』のように振舞わなくとも、ハルにはハルなりの『王の器』があるはずだ。
それを『器じゃない』などと逃げ出そうとして、まんまと『モダンタイムス』の術中にはまって。
……情けない。
しかし、そんな情けないあるじにも、影子はついてきてくれると言う。
あるじと認め、守ろうとしてくれている。
それに応えることこそが、あるじたるものの使命ではないか。