「……そうか、そうだったんだな……」
胸倉をつかみ上げられながら、ハルは苦い笑みを浮かべる。目前にある影子の顔はあちこち腫れていて、眼鏡もただの針金細工になっているが、それでもなお美しい闘争の赤を宿していた。
「……なにを怖気づいてたんだ……僕には影子がいる。それで充分じゃないか」
「今更気付いてんじゃねえよ、おっせえよバーーーーーーーカ!! ちょうバカ!!」
「……ごめん、影子」
「しょぼくれてんじゃねえよ、ご主人様!」
胸倉から手を離し、肩をどつく影子。痛がるハルをにやにやと眺めながら、もう動いているのもつらいだろうに、それでも問いかける。
「それで? この状況、どうするってんだ?」
命令を待っているのだ。あるじであるハルの命令を。
ならば、相応の覚悟を持って口を開こう。
「……影子。君のあるじとして命じる」
影子は西洋の騎士のように片膝を突いた。
「『総攻撃』だ」
「イエス・マイロード」
なんの疑問も抱かず、なんの讒言も口にせず、なんの不安も浮かべず、影子はただまっすぐな声音で短く答えた。
「……話は終わったか?」
久太が声をかけると、影子はすっくと立ちあがる。背後にハルをかばうように立ち、にぃ、と真っ赤な戦いの笑みを浮かべた。
「わざわざ待ってくれてるたぁ、ありがたいこって」
「別れのあいさつになるだろうからな」
「はっ、言ってろ。こちとら負ける気がしねえんだ」
「なら、その自信、叩き潰してやるよ……『メイド』!」
「了解ですぅ、ご主人様♡」
答えた『メイド』が、その足を大きく振り上げて影子を踏みつぶそうとする。
その足が影子に届くより先に、影子の影からありとあらゆる無数の真っ黒な刃物が飛び出してきた。
包丁・ハサミ・カッター・ナイフ・ドス・キリ!
その刃物たちを従えて、影子のチェインソウがトップギアでいななきを上げる。
「いっっっっっっっくぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
いびつなほどに満面の笑みを浮かべて、影子はやいばを携え『メイド』に突っ込んだ。
ずぅん!と大地を割る足をアメフトのチャージのようにかわし、全身ばらばら一歩手前とは思えないほどの動きで『メイド』の背後に回る影子。
その背中、心臓の裏辺りに黒いやいばの雨が降り注いだ。
「……ううっ……!」
すり鉢状に削れた穴は、開いたそばから回復しようとする。
が、影子はそれを許さなかった。
「まだまだぁ!!」
またしても、刃物の群れが『メイド』の背中を穿った。そのコアである心臓が、徐々に露出していく。
「このぉ!」
振り向きざまに裏拳を叩き込もうとするメイドをよけて、影子は飛込競技の逆再生のように回転しながら飛び上がった。
「これで……終わりだぁっ!!」
雄たけびのようなうなりを上げるチェインソウが、『メイド』のコアである心臓を貫く。
『メイド』はその大きなからだをしならせて、声なき悲鳴を上げた。
「も、戻れ、『メイド』! 早く!!」
久太が叫ぶ。自分の『影』を失いたくないのは久太も同じだ。コアを傷つけられて瀕死に陥った『メイド』を自分の影に収めようと近くまで走り寄る。
すたっ、と着地した影子の右腕が、小さな音を立てて地面に落ちた。見れば、その全身が黒い灰のようになって風に流されようとしている。
「影子、もういい! 戻って!」
「……わぁってるよ、いちいちうるせえなぁ……」
同じように影子を自分の影に押し込みながら、ハルは内心安堵していた。
あの『メイド』を撃破した。
難敵である相手を圧倒したことは、影子の主人としてとても誇らしい。
おやすみ、影子。少し眠って。
こころの中でそうつぶやいて、ハルはほっとため息をついた。
そして、改めて久太と対峙する。
お互いの『影』を失い、これでようやく話ができる。
「……久太。話をしよう」
ハルが静かに語り掛けると、久太はうつろな顔を上げた。すっかりやつれてしまったその表情には、以前握手を交わしたはつらつとした様子はない。
「……ハル……」
しゃがれた声でつぶやく久太を安心させるように、ハルがうなずく。
「……俺、どうしたらいいんだよ……?」
「大丈夫、僕は敵じゃない。君と分かり合える同じ『影使い』だよ」
「……同じ、じゃねえよ……俺は、罪を犯しすぎた……」
「同じだよ。誰だって、生きていれば罪を犯す。それどころか、生きていること自体が罪だって言うひともいる。罰を受けるのがこわいなら、あがなえばいい。罪を重ねた分だけ、いいことをすればいいんだ。君にはそれができる」
「……ハル、俺は……おれは……」
久太のこころがまた揺れている。ハルの言葉が届いているのだ。
わななく両手をじっと見つめながら、久太は歯を食いしばった。
「……おれは、おまえとともだちになりたい……!」
その答えに満足して、ハルはにっこりと笑いかける。
「その気持ちだけでうれしいよ。いっしょに戦って、罪をつぐなおう。『影の王国』なんかに行っちゃダメだ。『モダンタイムス』の言葉に踊らされるのはもうやめよう」
「……ハル……」
「大丈夫だよ、ASSBが保護してくれる。彼らも一枚岩じゃなくて、中には『影』と仲良くしようとしてるひとたちもいるんだ。僕だって、ミシェーラだって、そういうひとたちといっしょになって戦ってる。だから、久太も」
「いやぁ、そうされちゃあ困るんだよねぇ」
急に横合いから聞いたことのある声が割り込んできた。
はっとしてふたりが視線を向けた先で、いつか見た極彩色が一本歯の下駄を鳴らしながら歩み寄って来る。そばには忍び装束の少女もいた。
ハルたちの近くまで歩いてきた『モダンタイムス』は、くすくすと愉快そうに笑いながら、
「君たちの戦い、見せてもらったよぅ。いやぁ、実に楽しかったね! 小生血沸き肉躍っちゃったぁ! 何なら勃起までしちゃったぁ! ね・秋赤音?」
「さようでございます、あるじ様」
あるじの言葉にいさめる言葉ひとつ投げかけず、ただ付き従う秋赤音。絶対的な主従関係がそこにはあった。
「だってさぁ! あはは、面白かったぁ!」
愉悦にまみれた表情で哄笑する『モダンタイムス』に、ハルの中で怒りがわいてくる。
『面白かった』だと?
ハルが、影子が、ミシェーラが、そして久太がどんな思いで戦っていたかも知らないくせに。
それなのに、まるで見世物のように手を叩いて笑って見ていたのか?
久太のこころを壊し、ハルたちをもてあそび、すべてを自分の手のひらで転がして神様気分か?
ペテン師じみた甘い言葉だけでなにもかもを奪っておいて?
……ふざけている。
つくづくふざけきっている。
ハルは震えるこぶしをぎゅっと握りしめて、絞り出すような声音で問いかけた。
「……お前か? 久太を壊したのは」
その問いかけに、『モダンタイムス』はへらりと肩をすくめてうそぶく。
「えー、なんのことぉ? 小生、長良瀬久太君と仲良くなりたくて、ただちょっとしたアドバイスをしただけだよぅ? こうした方が生きやすい、こうした方がラクできる、ってね?」
どこまでもへらへらとうさんくさい男に、かっとなったハルは、
「……この、ペテン師め……!!」
握ったこぶしを携えて、『モダンタイムス』にその身ひとつで殴りかかった。
完全に素人のパンチだったが、そのこぶしは『モダンタイムス』の頬にめりこみ、枯れ木のように痩せたからだを吹き飛ばしてしまう。
静寂が訪れる前に、秋赤音がクナイを構えた。
たしかに、軽率な行為だった。そのせいで、ハルは秋赤音に消されるだろう。
だが、どうしても我慢ならなかった。
久太のこころをもてあそんだ『モダンタイムス』に、一矢報いたかった。