秋赤音がハルに牙をむく寸前、殴り倒された『モダンタイムス』から声が上がる。
「いいんだ、秋赤音!」
「ですが、あるじ様……」
「小生がいいと言ってるんだから、ね?」
「……委細承知」
そう答えると、秋赤音はクナイをしまって『モダンタイムス』の瘦身を助け起こした。
「……いてて……ああ、口の中切れちゃったよぅ。なんかすっごい懐かしい味がするぅ」
「……どういうつもりだ?」
『モダンタイムス』がその気になれば、ハルを消すことぐらいわけないはずなのに、あえて秋赤音を止めた。そこにまたなにかしらの一計があると感じて、ハルは疑惑に満ちた眼差しを『モダンタイムス』に向ける。
「……重たぁい一発をありがとう、塚本ハル君」
頬を腫らし、くちびるの端から血を流しながら、それでも『モダンタイムス』は不敵に笑った。
「と・いうわけで、この一発でチャラにしてくれる?」
「……なんだと……!?」
再びハルのこぶしにちからが入った。もう一発くれてやろうか。今度こそ秋赤音に消されるだろうが、それでもかまわない。
このふざけた男のふざけた喜劇のマリオネットになるよりはマシだ。
「ねえ、長良瀬久太君?」
急に水を向けられた久太は、青い顔をして肩を跳ねさせた。それに付け込むようにねっとりとした口調で『モダンタイムス』の言葉の毒が流し込まれる。
「『罪はつぐなえる』? 本気でそう思ってるぅ?」
「……それはっ……!」
「あはは、そんなムシのいい話なんてないことくらい、君にもわかるよねぇ。罪は罰を受けることで初めて消える。なんの罰も受けずに今更罪をあがなえるなんてことはないよねぇ」
「……けどっ……!……ハルが……!」
「そりゃあ、そんな甘いささやきもするさぁ。君をASSB側に引き入れたくて必死なんだからねぇ」
「そんなことはない!」
すかさずハルが反論すると、『モダンタイムス』はけひひと笑った。
「本当にぃ? だって長良瀬久太君はリンチで仲間を殺して、『メイド』ちゃんを育てるためにひとを食わせまくって、それでも涼しい顔で君と友情ごっこしたがってたんだよぅ? 正直、ズルいよねぇ。罪が何なのか知らないことは、それ自体が罪だよぅ」
また『モダンタイムス』が言葉の魔術を使い始めた。吞まれまい、と思ってもどうしても揺らいでしまう。
久太は完全にうつむいて、ハルの方を見なくなってしまった。
「残念ながら、長良瀬久太君はもう、引き返せないところまで来ちゃったんだよぅ。君たちじゃもう、どうにもできない。どうにかできるとしたら、小生たち『影の王国』だけさ。もう、君の手は届かないよぅ」
「久太、しっかりしろ、久太! 僕がついてる! 大丈夫だから!!」
声をからして呼びかけても、久太はハルの方を見ようともしなかった。その代わり、『モダンタイムス』に一歩、また一歩と近づいていく。
すぐそばまでやってきた久太を、『モダンタイムス』は羽織った花魁衣装をひるがえして懐に入れた。男子高校生にしては小柄な肩を引き寄せて、
「ってことで、さっきの一発で手打ちにしてよぅ。もう答えは出てるんだからさぁ、往生際の悪いこと言わないで? 長良瀬久太君はもらっていくね」
「久太、久太!!」
最後の最後まで呼びかけ続けたハルと、久太は一瞬だけ目を合わせて苦く笑い、
「……ごめんな、ハル」
それがすべてだった。
立ち尽くすハルを置き去りにして、久太は『モダンタイムス』に連れられその場を後にする。
破壊され尽くした公園跡にがっくりと膝を突いて、ハルは地面を殴りつけた。
『影使い』を、友達を奪われた。
自分に影子ほどの強さがあれば。
あるいは、逆柳ほどの賢さがあれば。
そのどちらも持ち合わせていなかったせいで、ハルは『モダンタイムス』に久太を奪われた。
自分のちからの足りなさに、いらだちすら覚える。
『メイド』こそ退けたものの、これは事実上の負けだ。
またも屈辱の敗北を喫したハルは、悔しさに奥歯を噛みしめた。
影子に、ミシェーラに、逆柳に、なんと言って詫びればいいかわからない。
きっとみんなは『あなたのせいじゃない』と言ってくれるだろう。
だが、今のハルにとって、そのやさしさは逆に残酷だった。
友達になりたい、とまで言ってくれた久太を最後の最後で助けられなかったのは、他でもない自分のせいなのだから。
久太が罪を犯したと言うなら、自分だって罪を犯したのだ。
友達を助けられなかった、という罪を。
その罪に対する罰は、いずれ訪れるだろう。
悔しいが、『モダンタイムス』の言う通り、罪を償うには罰を受けるよりほかないのだ。
「……ちくしょう……!!」
悪態をついて地面を殴りつけているハルに、声がかかった。
「……ハル……?」
「ミシェーラ……? よかった、目が覚めたんだね!」
額から血を流しながら頭を抱えるミシェーラは、ぼんやりとした眼差しをハルに向けた。
「……ワタシ……そうだ、あの子は? それに、カゲコもいない……?」
「……っ!」
申し開きもなかった。どこからどこまで詫びればいいのかわからない。
悔しさと、申し訳なさと、自己嫌悪と。
今までずっと歯を食いしばって耐えてきたものがすべて決壊し、涙となって堰を切った。
ぼろぼろと涙をこぼすハルを見て、最初はぎょっとしていたミシェーラも、事態を察してくれる。
「……僕は、ぼくは……!」
「いいの、ハル」
「……けど、ぜんぶ、ぼくのせいなんだ……!……ぼくがよわいから……!」
「そうじゃないヨ」
やさしい否定をして、ミシェーラは泣きじゃくるハルの頭を片腕で抱きしめた。
「……きゅうたを……たすけられなかった……!……あんなに、くるしがってたのに……!」
「まだ助けられるヨ」
「……と、ともだち、なのに……!」
「そうだヨ、友達。だから、今度こそ助けてあげなきゃネ」
「……けど、それまでに、またつみをかさねてしまったら……!?」
「それは……」
ミシェーラが言いよどむ。
やはり、自分が犯した『友達を助けられなかった』という罪には罰が待ち受けているのだろう。
友達だったはずの久太が敵として現れる、という罰が。
「……う、」
ミシェーラの腕から滑り落ちたハルは、ぼろぼろと泣きながら膝を突いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
悲痛な慟哭が街に響き渡る。
久太はおそらく、もう帰っては来ないだろう。
そして、近い未来に敵としてハルたちの前に現れる。
そのとき、助けられるという確信が持てなかった。
それもまた、ハルの弱さだ。
……僕は、無力だ。
そう胸に刻み込むように頭の中で反芻して、ハルはしばらく駄々っ子のように地面を殴り続けた。