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№1 秋の全力野球大会

 かきーん!


 秋の蒼穹に高らかな金属音が響き渡った。


 と、同時に。


「ぐはぁ!!」


「よ、吉井ー!!」


 悲痛に満ちた悲鳴が上がる。


 バッターボックスからまっすぐに放たれた打球は、あやまたず一塁手の股間に直撃した。粉砕されかけた男のシンボルを押さえながら崩れ落ちるのも、駆け寄るピッチャーも、すべてが野球部員だ。


「んん! 残すはピッチャーのみだな!」


 お約束のようにブルマ姿の影子が、フルスイングした金属バットを肩に担いでにやにやと笑う。


「悪ぃな、球技苦手でさぁ。ボールはひとにぶつけるもんだって認識が抜けねえんだよなあ」


「塚本、お前ー!」


 涙目で詰め寄るピッチャーの鼻先にバットの先端を突きつけて、物騒なホームラン宣言をする影子。不敵な笑みを浮かべながら、


「さあ、残るはてめえひとりだぜ? 負けを認めて降りるっつーんなら、アタシの勝ちってことで見逃してやんよ?」


「ち、ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょおおおおおおおおおう!!」


 もはやヤケクソになったピッチャーは、白球を握りしめずかずかとマウンドに上がった。ちなみにキャッチャーも殺られているので、ボールは打たれるかすり抜けるかしかない。


 今のところ打率十割で打たれているのだが。


「うおおおおおおお!! 燃え上れ俺のコスモおおおおおお!!」


 もはや悲哀さえ感じる雄たけびを上げながら、ピッチャーが渾身のちからで投球する。ボールは魔球のような軌跡を描きながらバッターボックスに迫り、そして。


「よっ、と!」


 かきーん!


「ぐはぁ!!」


 再びバットをフルスイングした影子の打球が、ピッチャーの股間に吸い込まれるようにまっすぐに飛んで行った。ピッチャーもまた股間を押さえてマウンドに崩れ落ちてしまう。


「ふははははは! これで全員討ち取ったぜ! ざまぁ味噌漬け!」


 哄笑を上げ、影子はダッグアウトに座って観戦していたハルとミシェーラに向かってピースを送った。


 こうなると思った……尊い犠牲となった野球部員たちにこころの中で十字を切りつつ、ハルはため息をつく。


 そもそも、なぜこんな状況になったかというと、ことは昼休みまでさかのぼる。


 学食でハル、影子、ミシェーラのいつもの三人で昼ご飯を食べているところへ、倫城先輩率いる野球部軍団たちが通りすがった。


 いつものようにハルに絡む倫城先輩に向けて、いつものように影子が罵言を浴びせていると、珍しく野球部連中からブーイングが上がった。


 たちまち標的を野球部軍団に設定した影子は、言葉巧みに煽りに煽った。


 まんまとそれに乗っかってしまった野球部と、いつの間にか明日のきつねうどん九杯と野球部全員の昼食を賭けて勝負をすることになった。


 野球部VS影子ひとりの野球対決だ。


 さすがに甲子園まで行くくらいの野球部たちを相手に影子ひとりで立ち向かうのは無理だろう、そもそも野球のルール知ってる?と案じるハルに、影子はにたりと笑って告げた。


『安心しろ。アタシはホームランしか打たねえし、三振しか取らねえ。そもそも、相手の攻撃の回が回ってくるかなぁ?』


 その意地の悪い笑みを見やりながら、ハルが浮かべていた悪い予感が当たってしまったというわけだ。


 野球部全員の股間を打球で潰した影子は、金属バットを担ぎながら、


「んん、どうするぅ? もう部員残ってねえんじゃねえのぉ?」


 ひどくいやらしい言い方で、実質的な勝利宣言をした。


 死屍累々とグラウンドに倒れ伏す野球部員たちは、悔しげなうめき声を上げるばかりで言い返せもしない。


 影子がそれに満足したように傲岸不遜な笑みを浮かべてバッターボックスを去ろうとした、その時。


「……ったく、見ちゃいられねえな」


 野球部のダッグアウトに座っていた倫城先輩が、おもむろに腰を上げた。苦笑いを浮かべながらグラウンドに足を踏み入れる。


「んん? どうした、駄犬? 駄犬の飼い犬たちがかわいそうになったか?」


「ま、そんなところだ」


 新しい戦いの予感に赤いまなざしに炎をともしながら、影子はバッターボックスを去らずにそのまま倫城先輩の様子を眺めていた。


 倒れ伏したピッチャーからグローブと白球を受け取ると、先輩はこなれた手つきでボールを手のひらで転がし、


「引退した俺が出張るのも野暮ってもんだけど、仕方ねえよな」


「んん? やろうってのか、犬っころ?」


「さすがにここまでされて黙って見てるだけってのはなぁ。それに、お前とはいろいろと因縁があるしな」


「ふぅん……ま・いっか! 相手してやんよ、犬畜生!」


 バッターボックスでバットを構える影子と、マウンドで肩をあたためる先輩。


 いつの間にか、状況は影子と先輩の一騎打ちとなっていた。


「来いや、犬っころ!」


「腰抜かすなよ、塚本影子!」


 ぎゅ、とバットのグリップを握りしめる音がして、先輩が両手を大きく掲げる投球フォームを取った。脚を上げ、そして空を切る音を立てて指先から剛速球が放たれる。


 球は空気を切り裂き、まっすぐに影子の側頭部へと向かっていった。


「ビーンボール!?」


 思わずベンチから立ち上がったハルが悲鳴を上げるのと、影子が目を見開いたのは同時だった。


 即座にからだをのけぞらせ、投球コースから頭を守る影子。しかし、それだけでは済まなかった。


「でえええええええい!!」


 不安定な姿勢から、上から叩きつけるようにバットをボールに当てる。


 かろうじて球には当てたものの、打球はぼてぼてのピッチャーゴロだ。それでも、影子は一塁に向かって走った。


 一塁手がすでに殺られているため、送球はイコール影子にボールをぶつけるということになる。


 転がってきた打球をキャッチした先輩は、一塁を蹴ろうとしている影子に向かって鋭い投球をした。


 が、若干影子のほうが速く、ボールはむなしく空を切る。


 二塁に向かってまっしぐらに駆け抜ける影子の動きを目で追い、先輩は足元に転がっていた別の白球を握りしめた。もはやルールなどは関係ない、純然たるやり合いだ。


 瞬く間に二塁を蹴った影子に、間に合わないと判断した先輩は三塁へとボールを投げる。


 その一球も潜り抜けた影子は、三塁を取るとホームベースに向かって全力疾走した。先輩もまた、ボールを持ってホームベースへ走る。


 影子と先輩、どちらが早いか。


 勝負はそこで決まる。


 ほんの少しだけ早くホームベースにたどり着いた先輩が、影子を捕まえようと待ち構えた。


 いよいよホームベース、というところで、影子はスライディングをした。土がめくれ上がり、砂埃が上がる。


 早急に対応した先輩が、影子の足にボールを持ったグローブを叩きつけようとした。


 そして、砂埃が晴れた向こうに見えたのは……


 ホームベースをきっちり踏んだ影子と、その上にグローブを乗せている先輩の姿だった。


「……せ、セーフ?」


 審判もいない中、ハルがつぶやくと勝負は決した。


 一騎打ちの様子を見守っていた野球部員たちが愕然とした顔をしている。倫城先輩相手に、足だけで一点を取った。野球部の元エースを出し抜いた影子は、完全に野球部連中のこころを折った。


 ぱんぱんとブルマについた土を払いながら立ち上がる影子に、倫城先輩は手を差し伸べる。


「アジなマネしてくれるぜ、塚本影子」


 苦笑しながら差し出された手を思いっきり振り払い、立ち上がった影子はまた煽るように勝利の笑みを浮かべて、


「残念だったな、今回もアタシに勝てなくて」


「言ってくれるなよ、塚本影子」


「アタシにボールぶつけようとしたんだ、これくらいの勝利宣言くらいは許してくれるよなぁ?」


 やれやれ、と肩をすくめる先輩を置いて、影子はバットを放りながらハルたちの待つダッグアウトまで駆け寄ってきた。


「ふはっ! なっ、ホームラン!」


 たしかにホームランだが、とんでもないことをしてくれた。


 斜めピースをしながら『ほめて』と言わんばかりの表情の影子に、ハルは深々とため息をついて言った。


「……君ってやつは……」


「んん? ヒーローインタビューでもすっか?」


「しないよ!!」


 怒ったように叫ぶハルに、影子は口をとがらせながら、ちぇっ、と足元の石ころを蹴り飛ばした。


 ……そう、これがハルの日常だった。


 限りなく非日常に近い、日常。


 連続する日々を日常と呼ぶのならば、非日常が続くここ最近はそれが日常ということになる。


 そんな非日常的日常を過ごしながらも、ハルはいつも最後には小さな笑みを浮かべるのだ。


 この日常の尊さを知っているからこそ、いとおしい。


 非日常の予感があるのならばなおさらだ。


「ん! きっつねうどーん九杯げーっと♡」


「明日野球部のひとたちに謝るんだよ!?」


「えっ、なんで!?」


「大げさに驚愕した顔をするな!」


 そんなやり取りをしながら、ハルと影子は並んで教室へと帰っていく。


 そんなこんなで非日常的日常を過ごしながら、ハルはまた、困ったように小さく笑うのだった。


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