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№2 きつねうどんの宴

「うっわあああああい♡」


 学食の机の上に並んだ九杯のきつねうどんを前にして、影子が黄色い悲鳴を上げた。目を輝かせ、今にもヨダレを垂らしそうな顔をしている。


 すっかりゴキゲンな影子をしり目に、ハルといっしょにランチを楽しんでいたミシェーラが影子を褒め称える。


「すごいヨ、カゲコ! たったひとりで野球部軍団全滅させるなんて!」


「ふふん、そうだろそうだろ。ま、アタシにかかりゃ朝飯前だけどな! さあ、もとアタシを崇め奉れ!」


「それもいいけど、せっかくのきつねうどん冷めちゃうヨ?」


「そうだった! んじゃ、満を持してのいっただっきまーす♡」


 手を合わせてから割り箸を割る影子。すごい勢いでうどんをすする影子に向かって、ハルはそっと耳打ちした。


「……体育交流祭のときもそうだったけど、君はもうちょっと普通のひととして振舞おうね」


 くぎを刺したつもりだったのだが、影子は素知らぬ顔できつねうどんを平らげ、


「は? 周りにいる衆愚のレベルが低すぎんだよ。格の違いを見せつけてやっただけだっつの」


「……君ってやつは……」


 呆れた顔でつぶやくと、ミシェーラに目を向ける。ミシェーラもオムライス大盛りを食べながら『お手上げ』と両手を上げていた。


 もはや味方はいないのか……と嘆息しながら、ハルも牛丼を食べ始める。


 牛丼並盛一杯を食べきるころには、きつねうどん九杯はあっけなく影子の胃に収まっていた。


「ふはー、食った食った! 勝利のきつねうどん、うまし! ごっそさんでしたー♡」


 まさか本当に完食するとは思わず、この細いからだのどこにきつねうどん九杯が収まったのかと不思議でならない。


 そんなハルは、大満足で腹をさする影子に向かってつい一言、引いたようにつぶやいてしまった。


「……女子がそんなに食べるなよ……」


 ぽそっと独り言のように言っただけのその言葉に、影子は内心どきっとしてしまう。


 あ、今の、こいつのNGだったんだ……


 やってしまったか……


 決して顔には出さないが、影子は反省した。


 最近の影子と来たら、いつもこうだった。ハルの地雷を踏んでしまってはこころの中だけで猛省する。ハルに嫌われないようにと必死だった。


 それは、完全に恋する乙女の行動だ。


 塚本影子は塚本ハルに恋をしている。


 それは少し前から自覚していた。


 しかし、これは決して実らせてはいけない恋だ。実らないことが決まっている、あだ花のような恋ごころ。そんな思いを胸に秘め、影子は今日もハルのそばでにやにや笑っているのだ。


 知っている、そういう運命なのだと。


 かつて恋したあるじを喰った影子には、とうていこの運命は覆せなかった。


 そのさだめをこうべを垂れて受け入れて、影子は日々悶々としているのだ。


 ハルに悟られないよう、至極下品で露悪的な仮面をかぶって。


 影子はそんな思いとは裏腹にハルのすねをげしっと蹴って、


「るっせ。アンタこそ、牛丼並盛一杯だけって女子かよ」


「……ううう……痛い……そんなの僕の勝手だろ! 運動部じゃあるまいし!」


「さっすが粗チン童貞」


「そ、粗チンかどうかなんで君が知ってるんだよ!?」


「ふはは、基本アンタのことはなんでも知ってるからな。『影』を通して」


「カゲコ! 粗チンかどうかは受け攻めで決まるヨ! 受けのチンは小さければ小さいほど……」


「あああああああもう! 君たち、粗チン粗チンって、女子の自覚あるの!?」


 ハルが頭を抱えているのを、影子は指をさして笑った。


 そうだ、これでいい。


 いつも通りで充分だ。


 恋だの愛だの、自分には上等品すぎる。


 平らげたきつねうどんの空の器をすべてハルの方に押しやって、影子はひとり席を立った。


「んじゃ、アタシはホームに戻るわ」


「ちょっと待って、自分で食べた分くらいは自分で片付けろよ!」


「頼んだ! トンズラ発動! サラバ!」


「あ、待ってヨ、カゲコー!」


 混乱に乗じてミシェーラまで席を立ってしまった。


 九杯分の器プラス自分の器プラスミシェーラの器、どうやら三往復くらいしないと返しきれないようだ。


 ひとり取り残され、ハルは粛々と器を片付けに行くのだった。




 教室というホームに戻った影子は、今日も女王として振舞っていた。


 自分の席に足を組んでふんぞり返り、自主便所飯から帰ってきた一ノ瀬に靴を舐めさせている。その様子を、クラスメイト達は遠巻きにちらちら気にしていた。


「か、影子様……今日こそおみ足をじかに舐めさせてください……! 足の指の隅々まで舐め尽します……!」


「図に乗ってんじゃねえよ、便所豚。アタシがてめえのために靴を脱ぐ? その程度の労力すら割くことに値しねえんだよ、ゴミカスが」


「し、失礼しました……!」


「わかったら、昼休み終わるまで靴舐めてるんだな」


「はい♡」


 これがかつてハルをいじめていたボスギャルの末路だとは。クラスメイト達は全員そう思っているだろう。影子に制裁を加えられてからというもの、変な扉を開けてしまったらしく、ずっとこのありさまだ。今では影子の従順なメス豚だった。


 そんな影子と一ノ瀬を横目に見ながら、ハルはミシェーラと昨日放送されたアニメの話をしていた。


「『スメダロ』の優香ちゃん、すごい良かったネー! ワタシもXのフォロワーさんたちといっしょに実況盛り上がったヨー!」


「僕はどっちかというとサロメ派なんだけど、たしかに昨日は優香ちゃん回だったね」


「だよネだよネ! ワタシ、今度の即売会で優香ちゃんコスしようと思うんだ!」


「ミシェーラにぴったりだ。準備はもうしてるの?」


「今日から完徹三日キメてイベントまで衣装間に合わせるネ……!」


「そっか、がんばれ」


「うん!」


 ふたりは出会った当初からアニメという共通の趣味で盛り上がっていた。影子はアニ豚どもとさげすむが、仲良くなるきっかけを与えてくれたのはこの話題だ。


 仲良くなった後ひと悶着と呼ぶにはあまりにも大きすぎる事件で対立したが、ミシェーラは結局ハルたちのもとへ身を寄せることとなった。


 今ではハルの大切な友人だ……本人は『親友』と言い張るが。


 そんなミシェーラと楽しく話をしていると、教師が教室に入ってきた。おしゃべりをやめておとなしく席に着く。一ノ瀬も名残惜しげに影子から離れ、自席へ戻った。


 委員長の椎名君が起立、礼の掛け声を上げ、授業が始まる。


 なんてことない日常だ。


 いつも通り、退屈しない日常。


 こんな日常がずっと続けばいい。


 もうかなしいことは起こってほしくない。


 ……しかし、そうも言っていられない。


 きっと、今にも何かが動き出そうとしているのだ。


 それは近々ハルたちを巻き込んだ大騒動に発展するだろう。


「こら、塚本ハル! ぼーっとしてるんじゃないぞ!」


 英語教師に名指しで叱られ、ハルはからだをすくめて思考を中断した。


 そしてしばらくは普通の真面目な生徒のフリをしてノートを取るのだ。


 まだ見ぬ大騒動に不安の種を膨らませながら。


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