そして数時間が経過して昼休みに突入。僕は購買に行って買い物を済ませると、そのまま教室には戻らずに屋上へ直行した。というのも、実は事前に如月さんから呼び出しを食らっていたからである。
何でも大事な話があるらしく、出来れば他の人には聞かれたくないということだった。だからこうしてわざわざ人気のない場所までやってきたというわけだ。
僕が屋上の扉の前に辿り着き、扉を開けると、そこには既に如月さんが待っていた。屋上の端、フェンスの傍にあるベンチに腰掛ける彼女は僕を見つけるなり、小さく手招きしてきた。
僕はそれに応えるように、購買で勝ったパンと飲み物を持って彼女の元へと向かう。
「ごめんね、遅くなって」
「大丈夫」
僕が謝ると、如月さんは首を横に振って応えた。そんな彼女の様子を見て、僕は少しホッとした気分になる。どうやら怒ってはいないみたいだ。良かった。
ホッと胸を撫で下ろす僕に、如月さんは自分の隣を軽く叩いて示す。そこに座れということだろうと判断し、僕は大人しく従うことにした。
そうして少し間の空いた状態ではありつつも、二人並んでベンチに座る形になる。それからしばらくの間沈黙が続いた後、僕が如月さんに話し掛けた。
「えっと……それで話って何かな?」
僕がそう尋ねると、如月さんは無言のまま視線を僕に向け、正面で見つめてきた。その真剣な眼差しを受け、思わずドキリとする僕だったが、どうにか平静を装って彼女を見つめ返す。
すると次の瞬間、如月さんの口から出たのは驚くべき言葉だった。
「お腹」
「……えっ?」
「お腹空いた」
唐突なその言葉に一瞬呆気に取られるも、すぐに我に返る僕。そして同時に彼女が空腹であることを察することが出来た。おそらくだが、話を始める前に、先に昼食を摂りたいということなのだろう。そう思って、僕は彼女に尋ねた。
「そ、そうなんだね。じゃあ……先に食べる?」
「うん」
コクンと頷く彼女を視界に収めつつ、僕は早速買ってきたパンを取り出すことにした。ちなみに今日のお昼に選んだのはホットドッグと中にあんこの詰まった揚げパンだ。どちらも購買で売っているパンの中では好きなものであり、だからこそ迷わず手に取ったわけだ。
そして如月さんも自分が食べる昼食を、持ってきていた袋の中から取り出した。どうやら如月さんも持ってきたのはパンではあったけど、それは購買で売っているものとは違った。見た事が無い無駄に赤い包装で包まれたパンだったのだ。
気になって僕はその中身について尋ねてみることにした。
「それって……何?」
すると如月さんは包みを開けながら答えてくれる。
「カレーパンだけど」
そう言いながら包みの中から出てきたのは、綺麗なキツネ色をした丸い形のパンだった。見るからに美味しそうな見た目をしているそれを、彼女は大事そうに両手で持ち、小さな口で齧り付くようにして食べていた。
ゆっくりと咀嚼しながら美味しそうに頬張るその姿を見ると、何だか微笑ましく思えてきて自然と笑みが溢れてくる。それと同時に、僕のお腹が小さく音を立てた。
「……食べないの?」
ジッと見つめられながらそう言われると、どうにも食べ辛いものがあった。とはいえ、このまま見られているだけというわけにもいかないため、僕も意を決して自分の買ったものを食べ始めることにした。
「いただきます」
一言告げてから、僕はまず一口目としてホットドッグを口にする。本当は温めた方が美味しいけれども、ここに電子レンジなんてものはないので、そのまま頂く。
食べた途端、ソーセージとキャベツ、ケチャップとマスタードの味、それらが合わさって、口の中に美味しさが広がる。それを味わうようにゆっくりと咀嚼してから飲み込むと、僕は一息吐いた。
「ふぅ……」
「美味しい?」
「う、うん、まぁね」
そう答えてから、再びパンを食べる作業に戻る僕。そして如月さんも食べるのを再開しだした。お互いに無言で食事を進める中、ふと僕は視線を彼女の方に向けた。
まるで小動物のように少しずつ食べている姿を見ていると、何だか微笑ましい気持ちになる。そのせいか、無意識に口元が緩んでしまう。するとそんな僕を不思議そうな目で見ながら、彼女は首を傾げていた。
「……どうかした?」
「え? ううん、何でもないよ」
「本当に?」
僕は首を横に振りながら答えると、如月さんはジト目になって僕のことを探るように見つめてくる。それに対して僕は苦笑いを返すしかなかった。
「ふーん……?」
しかし、彼女からはまだ疑っているような目を向けられてしまう。どうやらまだ納得していないようだ。どうしたものかと考えていると、不意に彼女が口を開いた。
「もしかして、食べたいの?」
突然そんなことを言われ、キョトンとしてしまう僕。しかし、すぐに彼女の言葉の意味を理解した。どうやら僕があまりにも熱心に見つめていたせいで、彼女も勘違いしてしまったようだ。慌てて否定する。
「ち、違うよ! そんなんじゃないから!」
慌てて否定していると、彼女は黙って持っていたパンを僕に差し出してきた。これはつまり『食べてもいいよ』という事だろうか?
そう思いながら彼女に問うような視線を送る僕に対し、彼女は何も言わずただじっと見つめるだけ。無言の圧力を感じるけど、気のせいだと思いたいところだ。
「……えっと」
「……」
「じ、じゃあ……頂こうかな?」
「……ん」
結局断り切れず、僕は差し出されたパンを食べることにした。そしてパンを受け取ろうと僕が手を伸ばそうとした―――その時だった。
「むぐっ!?」
いきなり僕の口に何かが突っ込まれたかと思うと、それが口の中に入った瞬間、一気に広がる旨味と辛味。
突然のことに驚きながらも、僕は何が起きたのかを理解する。どうやら僕が手を伸ばす前に、彼女が手に持っていたパンを僕の口に突っ込んできたらしいのだ。
完全に油断していたこともあり、避けることが出来なかった。その結果が今の状況である。そして僕が口に突っ込まれたパンにかじりつくと、彼女はようやく口元からそれを離してくれた。
口に入れたパンを僕は良く噛んで味わうように食べる。……というか、これ。結構……いや、相当に辛いなぁ。口内で猛威を振るう刺激的な辛さに思わず顔をしかめてしまう。しかし、吐き出すわけにもいかず、僕は仕方なくそのまま飲み込んだ。
「どうだった?」
首を傾げながら、そう如月さんが問い掛けてくる。対する僕は未だにヒリヒリと痛む舌を気にしつつ、何とか答えた。
「い、いや、美味しかったよ。ご馳走様でした」
「どういたしまして」
僕がお礼を言うと、如月さんは表情を変えずにそう言った。そしてまた、パンを食べることに集中しだす。そんな彼女の様子を見ながら、僕はあることに気が付いた。
それは―――さっきのって、間接キスなんじゃ……? というものだった。今まで意識していなかったことを改めて認識してしまい、途端に顔が熱くなるのを感じた。多分今鏡を見れば、赤くなっている自分の顔を見ることができるだろう。
いやいや、落ち着け! クールになるんだ、僕……!
内心焦りつつ自分に言い聞かせるも、そう簡単に熱が引くわけもなく、心臓の鼓動が激しくなるだけだった。僕はそれを落ち着かせようと、パンと一緒に買っていた紙パックのカフェオレを飲むことにした。
ストローを使って中身を吸い上げると、微かな甘い味が口いっぱいに広がり、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。そうしたところで、僕はようやく一息吐くのだった。
はぁ……ビックリしたな、もう。まさかあんなことをしてくるとは思わなかったし、何よりも不意打ちだったことが一番驚いた要因かもしれない。
それにしても……。僕は横目に隣に座る如月さんを見る。彼女は相変わらず無表情のまま黙々とパンを食べており、特に変わった様子はなかった。
何で急にあんなことをてきたんだろう? さっきの出来事を思い返しながら考えるも、答えは出なかった。如月さんが考えることを、僕が理解できるわけがないのだから仕方ないと言えば仕方がないのだが、それでも気になってしまうのが人間の性というものだ。
とはいえ、本人に直接聞く勇気はないわけで、結局のところ考えても分からないというのが結論なのだ。なのでここは気にしないことにしようと思う。……でも、やっぱり気になるんだよなぁ……。
そんなことを考えながら悶々としていると、如月さんはパンを食べ終えてしまったようだ。今は紙パックのいちごミルクを飲んでいる最中だ。
そんな姿を横目で見つつ、僕も急いで残ったホットドッグと揚げパンを一気に平らげて完食した。あまり待たせるのも悪いからね。そして紙パックに残るカフェオレを全て飲み干し、僕は昼食を終えるのであった。