釜谷先生との面談というか、カウンセリングというか、説教を終えてから数時間が経過した現在。今は放課後となり、下校時間となっている。
「ふぅ……」
僕は一息吐いてから帰る為に荷物を纏めていく。しかし、もう帰るばかりという状況にも関わらず、僕の頭の中では今朝のやり取りのことがずっと引っ掛かっていた。
結局、僕のやらかしのせいで釜谷先生から盛大に説教を喰らう羽目になったのだが、何とか許して貰えた。
そしてその際に先生から注意をされたのが―――
『とにかく! あんたは人の話をちゃんと聞くのと、彼女ばかりに構っていないで、ちゃんと他の人とも関わり合いを持ちなさい!! 分かったら、返事!!』
『は、はい!!』
―――というものだった。僕はそれを思い出しながら溜め息を漏らす。
まぁ、確かに先生が心配するのも無理はない。実際、僕が話を聞いていなかったことも、如月さん以外とあまり交流を持っていないことも事実なのだから。
ただ、それでも……ちょっと言い過ぎなのではなかろうか、なんて思ってしまう自分がいるのも確かである。いや、別に僕だって好きで人と関わらない訳じゃないのだから。
むしろ、誰かと仲良くしたいという気持ちは持っているのだ。でも、どうしても周りが築いた輪に入る勇気が出ないし、自分から話し掛けることが出来ない。
如月さんの場合は彼女が好きだということもあって、頑張って声を掛けられるけど……あれはちゃんと話せていると言えるのだろうか。彼女とでもたまに意思疎通が取れない時があるくらいだからなぁ……。
そう考えると僕ってコミュ力低いのかな? いや、間違いなく低いと思う。何せ会話の為に天気デッキなんてものを採用しているぐらいだから。そう思うと少しだけ凹んでしまうが、そんなことを考えているうちに、荷物をまとめ終わったので席を立つことにした。
教室を出た僕が向かう先は決まっている。帰る為の昇降口じゃなくて、おそらく彼女がいると思われるいつもの場所。他の生徒たちが作る人の波から逆らって、僕は階段を上っていく。そして屋上へ続く扉を開くと、そこにはやはり一人の少女が佇んでいた。
彼女―――如月さんはいつものように空を見上げていた。今日は曇り空であまり良い空模様では無いのだけれども、まるで何かに想いを馳せるかのように。そんな彼女に向かって僕は声を掛ける。
「き、如月さん」
「……あ」
僕の声に反応して如月さんはこちらを振り返った。その際に見えた顔はいつも通りの無表情で、彼女は僕を見た後にまた視線を空にへと戻してしまう。
そんな如月さんの傍へ僕はゆっくりと近寄っていった。足音を立てるのは何だか彼女に申し訳なかったので、慎重に近付いていく。そして彼女の隣にまで辿り着くと、そこで足を止めた。
「……」
「……」
お互いに無言の時間が続く。その空気に耐え切れなくなった僕は、意を決して口を開く。
「え、えっと……さっきから、何を見てるの?」
僕の言葉に反応して、如月さんがこちらを見る。その視線は相変わらず鋭いものだったが、僕には何となく分かるようになっていた。それは決して不機嫌とかではなく、単純に質問の意図を探っているのだということを。
「……何で?」
「えっ」
僕が質問をすると、如月さんから逆に質問されてしまった。どうやら僕の意図が分からなかったらしい。
「そ、その……何を見ていたのか、気になったからさ」
「……」
僕の言葉を聞いて、彼女は再び黙り込んでしまった。僕はそれを黙って見守る。暫くの間、気まずい空気が流れていたものの、やがて彼女はポツリと呟いた。
「雲を見てた」
「雲……?」
「うん」
僕の言葉に肯定する如月さん。そんな彼女の言葉を受けて、僕も雲を見ようと空を見上げた。だが―――
「……どの雲?」
空は一面灰色で、厚い雲に覆われていて、とてもじゃないが綺麗とは言えない光景だ。そんな中で僕はどれを指しているのか分からない。なので素直にそう尋ねたところ、如月さんはすぐに答えてくれた。
「全部」
「え?」
「あの雲、全部」
「えっ、あっ、そうなんだ」
僕は戸惑いながらも相槌を打つ。多分……僕の憶測だけれど、別にどの雲を眺めているというよりは、ただ単に空を覆う雲の流れを見つめている……という感じの解釈で合っているだろうか。
「……」
「……」
「……えっと、楽しい?」
「うん」
「そ、そうなんだ。へえ……」
「……」
相も変わらず無表情のまま、ジッと空を見据えている如月さん。彼女との会話は全くといって成り立っていないが、その横顔はとても美しく、思わず見惚れてしまう程だった。
「……綺麗だなぁ」
「……」
そして僕はそんな思ったことをそのまま口に出してしまった。しまったと思ったその時にはもう遅かった。それを聞いた如月さんは無言で僕のことを見る。その瞳には困惑の色が宿っていた。
ど、どうしよう……と、心の中で焦りを募らせていると、不意に如月さんが口を開いた。
「ねぇ」
「ひゃいっ!?」
「何で、そう思ったの?」
「えっ?」
突然の質問に僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、如月さんは特に気にした様子もなく、じっと僕のことを見つめていた。
「良く分からないから、教えて?」
「え、あの、その、えっと……」
突然のことに僕は戸惑ってしまい、上手く言葉を紡げない。そんな僕に如月さんは容赦のない追撃を加えてきた。
「何で?」
「うっ……その、ごめん」
「……どうして謝るの?」
「いや、だって、急に変なこと言ったから、迷惑だったかなって……」
「そんなことないから、早く教えて」
「う、うん……」
如月さんに急かされて、僕は何とか気を取り直して、自分の考えを纏めてから話し始めた。
「えっと、その……何て言うんだろう、す、すごく神秘的に見えたんだよね。こう……なんて言うのかな、この広がる灰色の世界で漂うように映るその在り方が、凄く綺麗に見えてさ。それで、その……つい、口から零れちゃったって感じかな……あはは……」
そう言って僕は笑って誤魔化した。正直、かなり恥ずかしいことを言っている自覚はあったし、自分でも何を言っているのか、いまいち分かっていなかったからだ。
しかし、そんな僕の言葉を聞いた如月さんは、首を小さく傾げた後で僕を見つめながらこう言った。
「ふぅん、そうなんだ」
「う、うん」
「曇り空が綺麗だなんて、蓮くん変わってるね」
「え?」
僕は彼女が何を言ったのか分からず、間の抜けた声を出してしまった。いや、言葉としてはちゃんと聞こえていたし、意味も理解していたけれど、それを受け止めることが出来なかったのだ。
曇り空……? あれ? 僕は如月さんのことについて語ったつもりだったんだけど、あれぇ……? もしかして伝わらなかったのかなぁ……?
僕がそんな風に考えていると、如月さんは相変わらず淡々とした口調で言葉を続けた。
「でも、分からなくはないかも」
「へ?」
「これはこれで、風情があって嫌いじゃない」
「え、あ、うん……」
如月さんの言葉に、僕は何とも言えない気持ちで頷いた。何だか想定していた感じとは違ったけど……まぁ、いいか。取り敢えず悪い印象を持たれていないだけ良しとしよう。
けど、如月さんから変わっているだなんて言われるとは思わなかったなぁ。他ならぬ、彼女の方がよっぽど変わっていると思うんだけどね。
僕はそう思いながら、未だに曇天の空を見上げている彼女の横顔を盗み見る。相変わらず何を考えているのか全く読めないその表情からは、彼女が今、何を考えているかは分からなかった。
それからしばらくの間、僕たちは何をするでもなく、ただただ空を見上げていた。その間、会話は一切なかった。それでも不思議と気まずさはなかったし、むしろ居心地が良いとさえ思えたのだった。