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彼女とする初めての買い食いは、思った以上にどこか甘い味がしていた。



 学校を出てから少しして、僕たちは近くにある公園の前に差し掛かった。この辺りでは一番大きい公園で、休日には家族連れや子供たちで賑わっている場所だ。しかし、平日の放課後ということもあって、人の姿はあまり見られない。


 そんな公園の前を横切っていると、ふと僕の嗅覚が甘い匂いを感じ取った。この匂い、どこかで嗅いだことがあるような……? 何だっけ……?


 僕は立ち止まり、その匂いの正体を探ろうと辺りを見渡す。すると、その匂いの元は直ぐに見つかった。それは公園内でひっそりと営業をしているたい焼き屋から漂ってくるものだった。


 小麦粉や卵、それと砂糖などの材料が混ぜ合わせた生地を鉄板の上で焼くことで発生する甘い香りが、風に乗って流れてきているのだろう。懐かしいような、それでいて食欲をそそられる匂いが辺りに漂っていた。


 そう言えば、たい焼きなんてここしばらく食べてないなぁ。最後に食べたの、いつだったかな。僕がそんなことを思っていると、隣を歩いていた如月さんも足を止めていた。


 彼女はじっと、たい焼き屋の屋台を見つめている。彼女もお腹が空いているのだろうか? そう思って僕は彼女に声を掛けた。


「如月さん、お腹空いてるの?」


「……別に」


 僕の質問に如月さんは素っ気なく答えた。しかし、視線はずっとたい焼き屋に向けられたままだ。何だかんだ言って、やっぱり食べたいんじゃないだろうか。そう思った僕は財布を取り出しながら彼女に向かって言った。


「あ、あのさ……僕、ちょっと食べたくなっちゃったから、買ってきてもいいかな? で、その……良かったら、如月さんの分も一緒に買ってくるけど……」


 僕が恐る恐る尋ねると、如月さんは少し考える素振りを見せてから静かに答えた。


「……私の分は別にいい」


「あ、そう……なんだ」


 断られてしまった僕は、そのまますごすごと引き下がることにした。まぁ、本人がいらないと言っているのなら仕方がない。ここで変にしつこく迫っても、彼女に悪いからね。


 僕はそう思い直して、一人で屋台の方へと歩いていった。すると、その横を何故か如月さんが着いてくる。あれ、どうしたんだろ? そう思いながら彼女の様子を窺っていると、彼女は真っ直ぐにある方向を見つめていた。その先にあるのはもちろん、あのたい焼き屋だ。


 まさかとは思うけど……本当は食べたかったりするのだろうか。いやでも、さっきは別に要らないって言ってたしなぁ……。うーん、どっちなんだろ? 僕が首を傾げていると、不意に彼女がこちらを向いてきた。そこでバッチリと目が合ってしまう。


「ど、どうかした?」


 僕は戸惑いながらもそう尋ねた。それに対して、如月さんはいつも通りの表情で口を開く。


「……私も行く」


「え?」


 突然、予想していなかった言葉が耳に飛び込んできたので、僕は驚いて聞き返してしまった。今、何て言った? いや、でも……どうして急に? 僕が困惑していると、彼女は続けて言葉を発してきた。


「自分の分は、自分で買うから」


「あっ、そういうこと……」


 僕は彼女の言葉に納得しつつ、自分の勘違いに恥ずかしくなった。てっきり、如月さんは食べたくないのだと思っていたけど、どうやら違ったみたいだ。


「じゃあ、一緒に行こうか」


 僕は気を取り直してそう言うと、如月さんと一緒に歩き出した。そして、二人で並んで屋台の前に立つ。


「いらっしゃい」


 すると、店主の中年男性が笑顔で出迎えてくれた。それに釣られるように、僕も軽く頭を下げる。


「えっと……味は何が……」


 僕はそう言いながらメニュー表に目を向けた。そこには様々な種類の餡子が写真付きで載っていた。定番のものから変わり種まで様々あるようだ。値段の方もそこまで高くはない為、学生でも気軽に買えそうだ。


 僕がそうやって悩んでいると、横からスッと手が伸びてきて一つのたい焼きを指差した。


「これ」


「えっ?」


 如月さんは短くそれだけ言うと、僕の方を見た。僕はその指先を辿って、彼女の選んだものを確認する。


「えっと……粒あん?」


「そう」


「その……それで良いの?」


「良い」


 如月さんはそう言って頷く。その表情はいつもの無表情なのだけれど、どこか満足気な雰囲気が感じられた。


「分かった。それじゃあ、粒あんを二つください」


「はいよ!」


 僕がそう注文をすると、おじさんが威勢の良い返事をして、手際よく商品を包んでくれた。そしてそれを袋に入れて僕に渡してくれる。


「どうもありがとうございます」


「じゃあ、これ」


 そして如月さんが代金を支払う為に、財布から小銭を取り出して金銭トレーに置いた。その金額はちょうど一人分の料金だった。僕も財布を取り出してから、同じ金額をトレーに乗せる。


「はい、ちょうどね。毎度あり! ありがとうな、若いカップルの兄ちゃんと嬢ちゃん!」


「は、ははは……」


 僕はおじさんに向けて愛想笑いを浮かべつつ、その場を後にした。如月さんは相変わらず無表情で何も言わない。ただ黙って僕に着いてきているだけだ。


 それから僕と如月さんは公園内にあるベンチに腰掛けた。そして袋からたい焼きを一つだけ取り出すと、それを僕は如月さんに渡した。彼女はそれを受け取ると無言で見つめ始める。


「……」


 両手で頭と尻尾をしっかりと掴み、まじまじとその姿を観察しているようだ。そんな彼女を横目に、僕も自分の分を袋から取り出した。久しぶりに食べるたい焼き。作り立てではなくて作り置きだけど、それでも美味しそうに見えるのだから不思議だ。


 僕もたい焼きを眺めつつ、ある話題がふと頭の中で思い浮かんだので、それを如月さんに振ってみることにした。


「ねぇ、如月さん。如月さんは……たい焼きは頭からいく派か、それとも尻尾から食べる派か、どっち……」


 そう言いながら僕は如月さんの方に視線を向けて―――途中で言葉を止めた。僕が全てを言い終える前に、彼女はなんとたい焼きのお腹の部分からかぶりついていたのだ。


 如月さんはもぐもぐと口を動かしながら、ゆっくりと咀嚼する。そして、ゴクンと飲み込むと一言だけ呟いた。


「……美味しい」


 彼女はそう口にしてから、またお腹の辺りから食べ進めていく。頭か尻尾からなんて定石に捉われない、まさかの第三勢力の登場であった。


 僕は呆気に取られつつも、そんなことを考えていた。しかし、よくよく考えてみれば彼女らしいと言えば彼女らしいのかもしれない。彼女は人とは違う感性を持っているからこそ、定石には捉われないのだろう。


「そっか。良かったね」


 僕は苦笑しつつもそう言った。彼女はそれに答えることなく黙々とたい焼きを食べ続けている。その姿はまるで小動物のようだと思った。なんだか可愛いなぁ、と思ってしまう僕だった。


 僕も彼女に続くようにたい焼きを尻尾の方からかぶりついた。その瞬間、口の中に広がる甘さ。それはとても幸せな気持ちになれるものだった。


「うん、美味い」


 僕は自然とその言葉を口にしていた。すると、それを聞いていたのか、如月さんはポツリと呟く。


「……これ、好き」


 相変わらず表情に変化は無いものの、心なしかいつもより柔らかい雰囲気を纏っている気がした。そんな彼女の様子を見て、僕も思わず笑みが零れる。


 そうして僕たちはしばらくの間、たい焼きを食べることに集中していたのだった。


「ごちそうさまでした」


 僕は最後の一口を飲み込んでから、そう口にした。如月さんもほぼ同時に食べ終わったようで、僕に続いて「ごちそうさま」と口にする。


「美味しかった」


「そうだね。久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しかったよ」


 僕は隣で座っている如月さんの言葉に頷いた。確かに、この味はいつ食べても変わらない美味しさがある。だからこそ、たまに食べたくなってしまうのだ。


 僕は空になった袋を鞄にしまうと、隣で如月さんが立ちあがった。それを見て、僕も慌てて立ち上がる。すると、彼女は何も言わずに歩き出した。どうやら帰るつもりらしい。僕もそれに続くようにして歩き出す。


 そうして僕達は公園を出て、また帰り道を無言のまま歩き続けたのだった。



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