そして迎えた次の日。この日は前日の曇り模様の空とは打って変わって、晴れ晴れとした快晴だった。そしてそれはまるで、僕の心の中とは正反対な天気だった。
「ふあぁ……」
そんな気持ちの良い朝だというのに、僕は眠たい目を擦って欠伸をしていた。理由は簡単。昨日は全く寝付けなかったからだ。原因は言うまでもなく、遅くまで電子書籍でダウンロードした本を読んでいたせいだ。そのせいで寝る時間が遅くなってしまった。
しかし、それでも何とか寝坊もせずにいつもの時間に家を出て、こうして学校に登校することが出来た。正直かなり眠いけど、授業中に居眠りをするわけにはいかないので、気を引き締めていかないと。
そう思いながら、僕は教室に入ると、真っ直ぐに自分の席へと向かった。そして鞄を置くと、椅子に腰掛ける。
まだ朝のホームルームまでは時間がある為、教室にはまだ人はまばらである。そして如月さんもまだ来ていなかった。
そうなると、今の状況では僕は手を余してしまう。どうしようかと考えた結果、とりあえずスマホを取り出して、昨日の小説の続きでも読もうと思った時だった。
「みんな、おっはよー! いやー、今日も良い天気だね!」
そう言いながら、元気いっぱいに教室に入ってきたのは、弥生さんだった。寝不足の僕とは全然違って、快活そうな笑みを見せている。
弥生さんが教室に入るなり、クラスの活気が少し上がった気がした。流石はクラスの人気者というべきか、一瞬でクラス全体の雰囲気が変わったような気がする。
そして彼女が自分の席に座ると、すぐにその周りに人垣が築かれる。男女関係なく、みんなが彼女の周りを取り囲んでいる状態だ。
「未来、おはよー。今日もテンション高いね」
「まぁねー! やっぱり朝から元気な方が一日楽しいじゃん?」
「確かにそうだね~」
「でしょ? モチベは大事だよ、うんうん」
「あはは、そっかぁ~。ところでさぁ――」
そうして彼女たちの話は続いていく。楽しそうに盛り上がるみんなのその光景は、僕にはどこか遠い世界の話のように思えてならなかった。
住んでいる世界が違う。同じ学校に通っていても、そんな隔たりを感じてしまう。きっと、それは僕だけが感じている錯覚なんだろうけど、そんな風に思えてならない。
多分、僕はあの空気の中では浮いてしまうだろうし、何より気後れして話し掛けられそうにない。そもそも、話し掛けたとしても相手にされない可能性の方が大きいだろう。
釜谷先生には如月さんだけでなく、他のみんなとも関われと言うけれども、ここまで築き上げられた既存のコミュニティに混ざるというのは難しいものがある。
だからこそ、僕はこうして今日も一人、自分の趣味や興味を惹く世界に没頭する。先生には悪いけど、僕にはまだそんな勇気は持てない。
でも、いつかは僕もこの輪の中に入っていけるのだろうか。そしてその時、僕が見ている景色はどんな風に見えるのだろうか。
そんなことを考えつつ、僕はスマホを起動させて電子書籍のアプリを立ち上げる。それから僕は物語の続きを追い始めた。
周りの喧騒を無視しつつ、僕は本の世界に集中する。視線がスマホの画面に釘付けとなる中、不意に誰かが僕の肩を叩いたことで集中が途切れてしまった。
誰だろうと不思議に思いながら振り返ると―――頬に何かが軽く突き立つ感触がした。
その感触の正体がわからず、僕が戸惑っていると、目の前にいる人物は悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「あははっ! 引っ掛かった~!」
「あ、え、えっと……」
「おはよー、立花くん!」
そう言ってきたのは、いつの間にか後ろに立っていた弥生さんだった。彼女は笑みを浮かべながら、僕に指鉄砲を向けている。どうやら、さっきの感触は彼女に頬を突かれたことによるものだったようだ。
突然のことに僕は動揺してしまい、上手く言葉が出てこない。すると、弥生さんは反応が返ってこないことを訝しんでか、首を傾げて不思議そうな表情で僕を見ていた。
「あれあれ? リアクション薄いなぁ。もしかして、驚いてない感じ?」
「い、いえ、そんなことは……ないんですけど。むしろ、ビックリして声が出なくて……」
「あーね。そういうことかー」
そう言うと、弥生さんは納得したようにうんうんと頷く。
「じゃあ、気を取り直して……もう一回やっとく?」
そして彼女はそう言いながら、僕に両手の人差し指を向けてくる。にししと悪戯染みた笑みを向けてくる彼女を見て、僕は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「え、遠慮しておきます……」
「えー、ノリ悪いなー」
僕の返答に対して、不満そうに頬を膨らませる彼女。そんな彼女にどう対応したら良いのかわからなくて、僕はただただ苦笑を浮かべることしかできなかった。
「というか、何でいきなりこんなことを……?」
「いや、だってさー。何か立花くん、ちょっち元気無さげだったからさー、景気づけにと思って」
「えっ……? そ、そうですか?」
「うん、そうだよー。こう見えても、あーし結構鋭い方なんだよ? なんたって、実家の看板娘だかんね。お客さんの顔色とかで何となくわかるんだ」
「そうなんですね……」
「で、どしたん? 何かあった?」
心配そうに僕を見つめてくる弥生さん。その視線から感じる真っ直ぐな想いが、何だかとても心地良かった。
「い、いや、ちょっと寝不足なだけで……特に大したことじゃないですよ」
「本当にぃ~?」
「ほ、本当です……!」
「ふーん、そっか。なら、いいけどさー睡眠はしっかりと取りなよー? 授業中に居眠りなんてしちゃったら、それこそ大変なんだから」
「はい、気をつけます……」
「うん、よろしい。くれぐれも気を付けたまえー」
僕の返事を聞いて満足したのか、弥生さんは満足そうに頷いた。そんな彼女の反応を見て、僕はやっぱり良い人なんだなと再認識する。一人でいる僕にも気に掛けてくれて、それでいて周りとも上手く付き合えている。
それに比べて、僕はどうだ。如月さん以外の誰かと話すこともないし、自分から誰かに話し掛けることもしない。弥生さんみたいな快活さが自分にもあれば……なんて、彼女を見ているとつい思ってしまう。
そんなことを思っていると、彼女は突然、何かを思い出したようにハッと目を見開いた。
「あっ、そうだ。そういえば立花くんはさー、今度の校外学習の班決め、どうするか考えてる?」
「え、えーと……まだ決めてないです」
「だよねー。実はあーしもまだなんだよねー。で、今みんなとどうするか相談してたんだけど、中々決まらなくってさ~」
「そ、そうなんですね……」
「そそ。それでさ、立花くんも一緒にどうするか考えない? みんなで良く考えて決めた方がさ、絶対楽しいと思うんだよね!」
弥生さんはそう言うと、自分の席に集まっているみんなに視線を向けながら、明るい笑みを浮かべる。その表情は、これから起こるであろう出来事を楽しみにしているようだった。
そんな弥生さんの笑顔が死ぬほど眩しかった。彼女の瞳の輝きが心底羨ましくて、僕は少しだけ目を逸らす。
「え、遠慮しておきます……」
「えぇー!? 何で!?」
「ぼ、僕はそういうの苦手なので……。それに僕が意見を出しても、みんなの邪魔になるだけだと思うので……」
「いやいや、そんなことないって! 一緒に考えれば絶対に楽しいから!」
「でも……やっぱり、僕はいいです」
僕は俯きながらも、弥生さんに向けて再び断りを入れる。彼女がせっかく誘ってくれたというのに、断ることが申し訳なく思えてならなかった。
「うーん、そっかぁ……。まぁ、無理に誘うのも良くないもんね」
しかし、彼女は気を悪くした様子もなく、あっさりと引き下がってくれた。そんな彼女の対応に感謝しつつも、罪悪感を覚えずにはいられない。
「あ、あの……すいません」
「ううん、気にしないでいいよー」
僕に向かって微笑む弥生さん。その笑顔はとても眩しくて、僕は直視出来なかった。
「でも、もし気が向いたら言ってよ? いつでも大歓迎だからさ!」
そして彼女はそれだけ言うと、他のみんなの元へ戻っていった。一人取り残された僕は大きく息を吐く。まさかあんな風に誘われるなんて思いもしなかった。正直、予想外だった。
別に嫌な訳ではないけれど、やはり積極的に関わりたいとは思えない自分がいた。それはきっと僕が臆病だからなのだろう。だからこそ、ああいう風に誘われたとしても尻込みしてしまうのだ。
そんな自分が嫌になって、僕はまた溜め息を吐いて俯いた。すると、僕は自分の机の隅に何かが置かれていることに気が付いた。それは小さな紙の切れ端だった。
何だろうと思って手に取ってみると、それは小さく折り畳まれていて、中には文字が書かれている。僕がそれを広げて読んでみると――そこには可愛らしい文字でこんなメッセージが書かれていた。
『あーしと同じ班になって』
たった一言だけの短い文章。それが誰からのメッセージなのか、愚鈍な僕にでも理解出来た。だけど、その意図がなんなのかまでは理解出来ない。
僕はすぐに視線を弥生さんの方に向けるが、彼女は周りの友達と班決めの話題で談笑していて、こちらを見ていなかった。
彼女はどういうつもりでこれを僕の机に残したのだろうか。僕にはその理由が全く分からなかった。そんな疑問は解消されないまま、時間は過ぎていき、やがてホームルームの時間を迎えることになるのだった。