「はーい、じゃあ今回はこれでおしまいでーす」
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、教室中に号令が響き渡る。それと同時にクラス中がざわつき始める。昼休みとなったからこそ、みんなが浮足立って行動をし始めた。僕はそのざわめきを聞きながら静かに席を立った。
そしてそのまま足早に教室を出ると、廊下を歩きながら小さく溜め息を漏らす。でも、そんなことで気分が晴れる訳もなく、心の中のモヤモヤは消えるどころか更に増していった。
その原因となっているのは、今朝の出来事だった。あの弥生さんからの謎のメッセージ。あの時の小さな紙の切れ端はまだ僕の制服のポケットの中に残っている。
『あーしと同じ班になって』
どうしてあんなことを書いた紙を僕の机に置いていったのか、全く理解出来ない。一体どういうつもりなのか。
もしかして、何か意味があるのではないかと思って何度も考えてみたが、結局何も分からず終いだった。
そもそも、彼女が何を思ってこんなことをしたのかすら分からないのだから、答えが出る筈もない。
「はぁ……」
思わず大きな溜め息が漏れ出てしまう。これのせいで授業の内容についても全く頭に入ってこなかった。……寝不足というのもあるけれども。
とにかく、今は少しでも気分を変えたかった。このまま教室にいても、弥生さんのことばかり考えてしまいそうだし、そう思った僕は、いつも利用している人気のない場所へと向かった。それはそう、屋上である。
如月さんと良く足を運ぶこの場所は、本当に人があまり来ない場所だ。不良が出入りしているという噂から、誰も近寄らないということもあるのだろう。ただ、そうした噂はあっても、目撃はしたことは一度もない。
彼女なんかは気軽に立ち寄ってはいるけど、それでも一応、安全の観点から立ち入り禁止にはなっているのだけれど、鍵は壊れていて誰でも簡単に開けられるし、教師陣もそれを黙認していたりする。
その為、この場所に生徒が来ようと思えば来ることは出来るのだが、わざわざここにやって来る人は少ない。そして如月さんしか利用をしているところを見ていないので、僕からすればここは彼女のプライベート空間みたいなものだと認識している。
つまり、ここは僕にとって一人でも入れて、如月さんとも過ごせる数少ない安息の地であり、誰にも邪魔されることのない空間なのだ。ここでならゆっくり考えることが出来るだろうし、気持ちを落ち着かせることも出来るかもしれない。
そう思って階段を上り、屋上へと続く扉のドアノブに手を掛けて、ゆっくりと回す。扉は軋んだ音を立てながら、少しずつ開いていく。そして完全に開いたところで、僕は外へ出た。
目の前に広がる青空と眩しい太陽。気温的には暑くなってきてはいるけど、少し涼しめの風が僕の身体を撫でて吹き抜けていく。僕はそれらを全身で感じながら大きく深呼吸をした。新鮮な空気が肺の中を満たしていき、僕の心を落ち着けてくれる。
そうして少しの間、空を見上げてから僕は周りを見回した。見慣れた何もない空間、広々とした灰色とフェンスだけがある光景。しかし、そんな世界の中で僕は何かが欠けていることに気が付いた。
「あれ? 今日はいないのかな……?」
いつもなら、この場所に如月さんがいるはずだ。でも、今日に限ってはその姿が見えなかった。僕が教室を出た時にはもういなかったから、ここに来ているものだと思っていたんだけど……おかしいな。
珍しいこともあるものだと思いながら、僕は如月さんを探すことにした。しかし、いくら探しても如月さんの姿は見当たらない。それどころか、人っ子一人いない状況だった。
「変だなぁ……いつもなら、ここにいるんだけどなぁ……」
僕はそう呟きながら、誰もいない屋上を歩き回る。まるで迷子になった子供のようにキョロキョロしながら辺りを見回すが、やはりどこにも彼女の姿は見当たらなかった。
今日はまだ如月さんと会話が出来ていなかったので、気を紛らわす為や昨日の帰り道に語ったことに対する返事を聞く為にも、彼女と話がしたかったのだけど、どうやらそれは叶わぬ願いのようだ。
「仕方ない……か」
僕は諦めて、帰ろうとして―――足を止めた。出入りの方へ視線を向けた時、僕はあることに気が付いた。それは……屋上よりもさらに高い場所、出入り口の上にある給水塔のところに誰かがいるということだ。
ここからだと全体像が見えないのではっきりとはしないけれども、誰かがいるのは確実だった。そしてこの間も確か如月さんはこの給水塔の横にいたことを思い出す。……それと同時に、あの鮮烈な赤い色の光景も、意図せずに思い出してしまったが。
それはともかく、おそらくは如月さんだろうと思い、僕は近付こうと出入り口の横に伸びる梯子に手を掛けた。それから梯子を使って登ろうとした―――けど、途中で躊躇して、その手を止めた。
正直、こうした梯子を上ったり、脚立を使って高所に上がるという行為は苦手だ。何かの拍子で落ちたらと思うと、どうしても怖いと思ってしまう。でも、いつまでもこうしていては何も始まらない。僕は覚悟を決めて、恐る恐る上っていった。
一気にいければ楽なのかもしれないけど、僕は慎重に手すりを一つ一つ掴みながら、一歩ずつ着実に上がっていく。そしてようやく最上段まで辿り着いた時、僕は一息吐いて顔を上げた。
「あ、あの……如月さん?」
僕はそこにいると思われる人物に向かって声を掛ける。しかし、その人物は僕の声に反応することなく微動だにしない。何故なら―――
「あれ……?」
そこにいたのは、如月さんでは無かったからだ。というか、性別からして違う。給水塔の横には、仰向けになって寝そべっている、僕の知らない男子生徒がいたのだ。しかも――その男子生徒は髪を赤く染めていた。
「ひ、人違い……?」
如月さんじゃないことに気まずさを感じたの同時に、僕はこの男子生徒が噂の出入りする不良じゃないかと思った。確かに髪の色は派手だし、見た目からもヤンキーっぽい雰囲気を感じる。けど、あれ……? この人、どこかで見たことがあるような……どこだっけ?
僕は記憶を辿るように彼の顔を見る。すると彼は突然目を覚ましたかのように身体を起こした。そして眠そうに欠伸をしながらこちらに顔を向ける。すると――僕と彼の視線がぶつかった。その瞬間、彼は目を見開いて驚いたような表情をした。
「あ……?」
「え……?」
僕もつられて驚きの表情になってしまう。まさか起きてくるとは思わず、動揺してしまう。そしてお互いに硬直したまま数秒ほど見つめ合った後、先に動いたのは彼の方だった。
「……お前、何してんの?」
不機嫌そうな口調でそう言ってくる彼に、僕は何と答えていいか分からず口籠ってしまう。すると、彼は更に不機嫌そうに表情を歪めると、舌打ちをして立ち上がった。
「え、あ、いや、その……」
「俺に何か用か? あ?」
「そ、そういう訳じゃ……」
僕は手すりに掴まったまま、戸惑いながらも何とか答えようとするが、上手く言葉が出てこない。それはそうだ。こんな不良みたいな感じの人と話す機会なんて、初めてのことだったから。
「じゃあ、何だよ」
苛立った様子で聞いてくる男子生徒に、僕は何も答えることが出来ない。こういう時、どう対応したらいいのかが分からないのだ。どうしよう、何て言えばいいんだろう、どうしたら良いんだろう、頭の中が真っ白になり、パニックに陥ってしまう。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ。聞いてやるからよ」
男子生徒はそう言いながら、僕の近くまでやって来た。僕は反射的に後ろに下がろうとするが、梯子を上っている状態なので、後ろに逃げ場はない。
「えっと……その……」
「だから、なんだよ」
男子生徒は苛立ちを隠さずに言う。僕はそれに怯えて、ますます何も言えなくなってしまった。でも、このままだとずっと気まずい空気が続くだけだ。それは嫌だし、何よりも、早く帰りたいという気持ちもある。
「ひ、人を探して、いまして……だから、その……ここにいると思ったら、違って……」
僕は緊張しながらも、正直に答えた。それを聞いた瞬間、目の前の男子生徒の表情が一変する。そして僕を睨むようにして見てきた。
「誰だよ、それ」
「え、ええと……同じクラスの女の子で、如月さんっていうんですけど……」
「如月?」
僕が名前を告げると、途端に男子生徒の表情は変わった。さっきまでの不機嫌そうだった顔から一転して、今度は目を丸くして驚いている様子だ。どうしたのだろうかと思っていると、男子生徒は少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「如月なら、今日は見てねえぞ。どっか別の場所にいんじゃねえのか」
「えっ、そうなんですか……?」
「ああ。どこにいるかまでは知らねえけどな」
そう言ってから男子生徒は僕から離れると、再び寝転がってしまった。