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第6話

 急ブレーキをかけて装甲車が停止する。

 その慣性を受けて僕がアワアワとよろめいている間にも、同乗する軍人たちはテキパキと装備の最終確認を行っていた。


「——ウグオオオオオオオオオオ!」


 突如として、獣のような雄叫びが耳朶を叩く。

 気になった僕は装甲車の小さな窓から外を覗いてみた。すると、そこには街中を暴れ回るスーツ姿の男性がいた。中肉中背、一見どこにでもいる一般人サラリーマンに見える。

 だが、その首から上は異様なほどに染まっていた。

 頭部を覆う燃えるような赤毛と、面部の病的な紅潮によってだ。


「ガアアアアアアアアァァァァ——!」


 その時、不意にボコボコとスーツの内側から突き上げるように彼の肉体が蠢き出す。

 次の瞬間——彼の肉体が弾けた。


「あ……! 更に胎化デヴォルした!」


 それは心胆を寒からしめる光景だった。

 弾けた内側から次々に新たな肉体が生まれ、さながら脱皮をするように肥大化してゆく。そうして体長三メートルほどにまで達しただろうか。肌に張り付いていたスーツの切れ端が剥がれ落ち、赤毛に覆われたその全身が露わになる。

 あれが、怒りに飲み込まれた現人神エヴォルドの末路——。


「真っ赤な大猿……まるで『猩々』だ」


 すると、その呟きが通信に乗っていたのか、竜胆が反応する。


〈ほう。確かに、あれは能の五番目物『猩々』のシテと似ている。上門礼士、経歴に見合わぬ教養があるようだな〉

「昔、少年院で能のビデオを見せられたことがあるんですよ」


 退屈で眠ってしまいそうだったが、猩々の真っ赤な外見はインパクトがあったのでなんとなく覚えていた。


〈ふむ。では、今回のターゲットは『猩々の鬼胎者デヴォルド』とでも仮称しようか〉


 あれほどまでに胎化デヴォルが進み、人間の姿を完全に逸脱してしまったものは『鬼胎者デヴォルド』と呼ばれ、ただの『現人神エヴォルド』とは区別される。

 無論、忌避と蔑みの意を込めてだ。


「キィアアアアア!」


 甲高い猿叫が辺りに響き渡る。

 今しがた見た目通りの安直な呼び名を付けられたとは露も知らぬ猩々の鬼胎者デヴォルドは、逃げ惑う街の住民を見境なく追いかけ回してはその余波で路上に瓦礫を量産していた。


〈報告によると……事の発端はロードレイジらしい。猩々の鬼胎者デヴォルドは煽り運転を側だ。元が被害者とはいえ、今は加害者だ。生死は問わん、迅速に処理しろ〉


 間髪入れず了解の声が装甲車内に響き、軍人の一人が僕たちの手錠を外してゆく。


「あれ、手錠を外しても良いんですか?」


 素朴な疑問を呈すると、一番偉そうなオジサンが怒鳴るように応えた。


「上門二等兵! 貴様に手錠を付けたまま戦う趣味があるとは知らなかったぞ!」

「ああいや……逃げちゃったりとか、そういう問題はないのかと思いまして……」

「問題はないッ! 貴様らゴミどもには、漏れなく日本の科学の粋を詰め込んだ高性能ICチップが埋め込まれている! 畜生たる犬猫と同じようになッ!」


 オジサンは僕の額を指先で強めにトンと叩いた。


(いつの間に……)


 心当たりがあるとすれば、刑務所に入る時に受けた身体検査だ。その時、僕は麻酔を打たれて一度意識を失っている。

 そのICチップとやらによって、僕たちは常時GPS衛星にその位置情報を捕捉され続けているのだという。逃げるのは、よしておいた方が良さそうだ。

 ここで、再び竜胆から通信が入る。


〈上門礼士、今回は貴様の初陣となる。今日のところは後方で先輩たちの仕事ぶりを見学しておけ〉


 おお、それはありがたい。

 いきなり戦えと言われても、僕は異能に目覚めただけの一般人だ。軍人だって最初は訓練から始めるもの。特務兵卒とて、それは変わりないということだろう。

 不安の一つが解消され、僕はほっと息を吐く。


「良いかッ! あの真っ赤な猿野郎の異能は口部より衝撃波を生じさせるものだそうだ! つまり、背後までは手が及ばない! さあ、一体何をすべきか理解したな!? あの無駄にだだっ広い背中を狙えということだッ! 作戦は以上! ——降車ッ!」


 オジサンの暑苦しいかけ声で、僕たちは装甲車の後部から降りる。

 そうして初めて気付いたことだが、僕たちが乗ってきた装甲車の横には更に二台、別の装甲車が停まっていた。合計三台、その全てに軍人がすし詰めにされていたため、かなりの大所帯だ。


「第一分隊は特務部隊の火力支援ッ! 第二分隊は警察の避難誘導に加わり周囲の安全を確保せよッ! 第三分隊は新入りの見張りも兼ねて後方待機だッ!」

「了解ッ!」


 命令を下された軍人たちが辺りに展開してゆく。その動きは淀みなく機敏で、とてもよく訓練されていることが一目で分かった。

 それに続いて、特務部隊の同僚である先輩二人も行動を始める。


「……ったく、メンドクセェ」

「礼士さん、先輩の勇姿をしっかり目に焼き付けておいてくださいなっ!」


 先輩二人は、赤色の線が刻まれたペン状の物体を自身の首に突き立てた。


「あれは……?」

「戦意高揚剤だ」


 意外にもオジサンが親切に教えてくれる。

 戦意高揚剤にはドーパミンの放出を促進し、同時に再取り込みを阻害する作用があるという。その結果、怒りにも似た覚醒状態となり、異能の力を強めてくれるのだとか。

 オジサンは、いざという時のためにと僕にも戦意高揚剤を三本支給してくれた。

 これは自動注射器オートインジェクターというもので、皮膚に強く押し当てれば自動で針が刺さり薬液を注入してくれるという。凄いぜ、文明の利器だ。


「一度に打つのは二本までにしておけ。個人差はあるが、三本目からは胎化デヴォルが進行する危険性がある。そして、こっちが抑制剤だ」


 そう言って、今度は青色の線が刻まれた自動注射器を手渡してきた。

 抑制剤は、その名の通りに高揚剤の効果を打ち消す作用があるという。戦闘後、速やかに使用することで高揚剤の副作用を軽減してくれるのだとか。


「そこの現人神エヴォルドへ告ぐ。大人しく投降せよ! 大人しくすれば命までは取らん!」

「ウガアアアアアアアアアアアァァァァ——!」


 駄目だ。怒りすぎているせいか、猩々の鬼胎者にはさっぱり言葉が通じていない。オジサンもさっさと説得に見切りをつけ、掲げた手を振り下ろした。


「撃てェ——!」


 遂に戦端が開かれる。

 火力支援を命じられた第一分隊の面々が一斉に引き金を引き、無数の銃弾が猩々の背中へ殺到する。

 だが、それらはただの一つとして有効打には至らなかった。

 剛毛——猩々の鬼胎者デヴォルドの全身を覆う赤い毛によって、弾は全て弾かれてしまったのだ。

 カランカラン……と、ダーツ状の弾がアスファルトの上に転がる。


「なんと! 麻酔弾の針が刺さらんか……!」


 どうやら、軍人たちの兵装は実弾兵器ではなく『麻酔銃』だったらしい。


(針が剛毛のせいで刺さらない……? じゃあ、どうするんだ?)


 内心ハラハラしながら戦況を見つめていると、視界の端に黒いシルエットが過る。


「——無辜之民を脅かす乱暴狼藉、これ以上は罷りならぬ!」


 神辺だ。戦意高揚剤の作用か、その口調や雰囲気に変化が見られる。

 人好きのする笑みは鳴りを潜め、口角は下がり、唇は圧を感じるほどに固く横一線に結ばれている。そして、糸目がちだった目は獲物を狙う肉食獣のように大きく見開かれ、瞼の奥に覆い隠されていた黄金色の散瞳が猩々を鋭く睨め付けた。


「神妙に——お縄につけ!」


 刹那、視界がパッと明滅する。

 ほんの一瞬、辺りが暗闇に包まれ、また戻った。

 なぜ暗くなったのか。

 消えた光はどこへ行ったのか。

 ——答えは、ピンと立てられた神辺の人差し指にある。

 集められた光は丸い球状となって、彼女の指先数センチ上に浮いていた。そして、その光は更に不可視の力で捻じ曲げられ、成形され、やがて天使の頭上に浮かぶ『ヘイロー』の如き光の輪と成る。


「戒めの光輪よ、走れ——!」


 神辺が、オーケストラの指揮者よろしく腕を振るうと、光の輪はその指示に従いまっすぐ空を駆けていった。


「——グアァ!?」


 光の輪は猩々の右脚へ着弾し、縄のように広がって絡み付いた。猩々は、その光を取り除こうと反射的に手を伸ばす。

 神辺は、その隙を見逃さなかった。

 すかさず次弾を投擲し、猩々の伸ばした手と右脚をひと纏めにした。


〈あれは神辺梵天王の異能——【梵我一如アドヴァイタ】だ〉


 戦況をモニタリングしているのか、竜胆からタイムリーな解説が入る。


〈光を集めて物質化させ、意のままに操ることができる。殺傷力はないが汎用性に優れ、集団戦闘におけるサポート役に付けると良い働きをする〉


 その言葉に思わず「なるほど」と頷きたくなる光景が今、目の前で展開されていた。


「グオオォ……」


 光の輪によって手と右脚を繋げられた猩々は、蹈鞴を踏んで敢えなく転倒した。

 ここで畳みかけるように戈賀が仕掛ける

 彼は二本目となる戦意高揚剤を追加で首に打ち込みつつ、地面を転がる猩々の背後へそっと忍び寄った。


〈一方、戈賀直人の異能——【炸爆エクスプロード】は極めて攻撃的だ〉


 戈賀は使い終わった注射器を瓦礫の上に投げ捨て、空になった手をグッと握り締める。

 その瞬間、僕の本能がけたたましい警鐘を鳴らし始めた。

 ——あれは危険だ。

 そこに理屈などはない。だが、毒々しい色合いのキノコを忌避するように、得体のしれない虫を恐れるように、動物として備わった危機回避の本能が警告していた。

 あの握り拳は危険だ、と。


「余計な仕事を増やしやがって——」

〈上門礼士、衝撃に備えろ〉


 戈賀が拳を振りかぶった次の瞬間——世界から、音が消えた。


「——弾けて、詫びろ」


 まず光が、次いで空気の塊が僕を襲う。

 まるで嵐の中に放り込まれたかのような風の奔流が吹き荒れ、僕は身を屈めて嵐が過ぎ去るのを待った。

 やがて風が止んだ時——そこには、死に体となった猩々の姿があった。

 麻酔銃を弾いた剛毛も、その下に潜んでいた硬質な表皮も無惨にめくれ上がり、ジュクジュクとした血に濡れた肉の中に縦に一本通った太い背骨が露出している。


〈一撃に全ての怒りを込め——炸裂させる。まさに、戈賀直人という男の気質をそのまま反映したような異能だ〉

「撃てェー!」


 竜胆の解説の裏で、猩々の露出した背中へ向けて麻酔弾が撃ち込まれる。

 暫く悶え苦しんでいた猩々だったが、やがてピクリとも動かなくなった。

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