俺は侍が嫌いだ。心底嫌いだ。あいつらは上流階級であることをいいことに、俺たちのような下級の人間を蔑ろにする。時に機嫌を損ねれば、誰であろうと刀を振るう。そのくせ目上にはヘコヘコと軽い頭を上下させる。そんな侍という名のバケモノを俺は消えればいいと思っていた。しかし、
「つる……しいん、わこと……」
目の前にいるのは侍だ。しかも頭部に2本の角が生えている。どう見たって鬼のそれ。バケモノだ。だが、俺の胸は高鳴っている。恐怖じゃない。何よりも彼女の太刀筋は見ていて惚れ惚れする。
「ん? どうした少年。頭でも打ったか?」
和琴の声が鼓膜を振るわす。ハッと我にかえる将之は慌てて身なりを正す。
「すみません。助けていただき、ありがとうございます。このご恩は必ず」
「そうか、じゃあ今返してくれ」
「はい、わかりました今かえ……すんですか?」
唐突の申し出に将之は困惑する。
荷物はすでになくなり、しかも一文なし。返せるものなどない。気づいた和琴は片手をヒラヒラと、金品が欲しいわけではないことを伝える。
「人を探しているだけだ。その者に刀を一振り打ってもらいたい。その者の名は……ところで少年、名は?」
「あ、はい。秋保 将之と申します」
「あきう……」
和琴は苗字を聞くなり、神妙な表情を見せつつハッと思い立ったように、握りしめていた小太刀に視線を落とす。刃をまざまざと見回し、そのまま沈黙。
「あ、あのぅ?」
何かまずことを言ってしまったのか。
沈黙を貫く和琴に、少々恐怖を覚えた。
俺の尺はざっと5尺6寸(身長170㎝ほど)。対する彼女は、ちょうど俺の鎖骨あたりに頭がくる体格。自分より小柄でも緊張感を抱かせるのは、2本の角に金色の三白眼のせいだろう。なぜか額に脂汗が滴る。
そんな緊張感を解く術を持ち合わせていない将之は、ただただ待つしかなかった。そして、
「少年」
ちなみに俺は今年で19だ。
「もしや秋保 治吾郎殿の親族か?」
「祖父をご存知なのですか」
祖父の名前が出るとは思わず、再び胸が高鳴った。
和琴も、得心を持ったように一度頷く。
「祖父……そうかお前が。知ってるも何も、いや話は後だ。それで、治吾郎殿は今どこに?」
「……昨年の冬に」
それ以上は言わなかった。以降、和琴も聞き返してはこなかった。
「うむ、そうだったか。どおりで文が届かなくなるわけか」
文?
「あの、和琴さんは……鬼兵隊って一体」
「少年は私たち鬼兵隊について聞いていなかったのか?」
なぜ知らない? といった和琴の訝しげな表情に言いたいことはあったが、将之は話を聞くことを選んだ。
「知りません。祖父はあまり話す人ではありませんでしたから」
「そうだったか。では魔泥身(まどろみ)のことも知らないということか」
唐突に聞き覚えのない言葉が出て、聞き返すこともできなかった将之の表情を察してか、和琴は続けた。
「魔泥身は今、現世で存在する怪。姿や形は人に近いが人ではない。あいつがそうだ」
和琴が顎で指し示したのは、先ほど彼女自身が葬った八つ足のバケモノ。
「あれは下位の魔泥身だ。知能は獣と遜色ない。それゆえにためらいがないのが面倒だ。大抵の被害は奴のような魔泥身が多い」
将之は自然と生唾を飲み込んだ。
「そして魔泥身を討伐することを主として動くのが我ら『鬼兵隊』だ」
作り話のような、そんな思い出聞いていたが実際に俺はバケモノに……魔泥身に襲われた。信じられなくてもこれが現実。そして将之は彼女の頭部に位置する角を一瞥した。半信半疑ながらも和琴に問い返す。
「正直、まだ心の整理ができていませんが、和琴さんあなたはーー」
「血……」
「え?」
和琴が俺の顔に指で指し示す。
「先ほどから、血が止まっていないぞ。大丈夫か?」
将之は言われて右の頬に手を当てると、確かに血が滴っていた。先ほど魔泥身につけられたものだ。少し切れただけ。そう思っていた。
「思いのほか、深く切られたようです」
……ドクン。
「切られた? まさか、魔泥身にか!?」
……ドクン、ドクン。
「え、えぇ……。和琴さんに助けられる……ちょっと前に」
あれ? なんだか……。
「見せてみろ!」
……ドクン、ドクン、ドクン。
この時、将之の目に和琴が切羽詰まったような、焦りが見える表情が窺え、駆け寄ってくるのが見えた。だが、おかしい。和琴の動きがゆっくりに見える。すると今度は視界が赤く染まっていく。体の内側からメキメキと何かが迫り上がってくる。
「少年!」
体に力が湧いてくると同時に、脳裏には昔の記憶が蘇ってくる。
――このうすのろが。
――はぁ……いい加減に覚えてくれよなほんと。
――はっ、それはなんのアピールだ?
走馬灯のように描かれる記憶は、相手の表情だけでなく、シワの一つ一つが浮き彫りになるくらいはっきりとしたものだった。胸の辺りが締め付けられる思いに当時感じた五感全てが蘇ってくる。
だが妙な感覚だ。あの時はとにかく謝ろう。この場を乗り切ってお金をもらおう。そんか感じだった。しかし今はどうだろう? 何か内から湧いてくるような。反論したいような感覚がある。
――お前には、無理だ。
また出たな爺さん。
――お前には、無理だ。
そんなことはない。さっきだって蜘蛛の魔泥身を倒すことに協力できた。
――お前には、無理だ。
だから無理じゃないって。ほら、竹雄や林太と違って俺は生きてるじゃないか。
――お前には、無理だ。
……くどいぞ。
先ほどまでの反論したい気分から徐々に煮えくりかえる思いに至っていく。爺さんにだけじゃない。今まで俺を腫れ物扱いしてきた奴ら全員に怒りが湧いてきた。
今思えば、理不尽なことばかりだった。仕事ができない時に謝罪をすれば罵詈雑言。逆に仕事ができると殴る蹴るで「生意気だ」とお決まり文句を並べられる。
――お前には、無理だ。
今ならできる。今の俺ならできるぞ。力でわからせてやればいいんだ。
「少年! 正気に戻るんだ少年!」
手を伸ばす和琴。しかし、そんな彼女が駆け寄るための勢いを殺してまでも、後ろに飛ばざるおえないほどの殺気。あまりの狂気に満ちたオーラに自然と小太刀を構える体制となる。
将之の周囲がにどこから湧いてきたのか、熱い蒸気のように吹き荒れる熱風。徐々に巻き起こる火花が螺旋状に宙を駆け上がる。
「全員、皆殺しだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「なんということだ。これは……アイツ以上だ」
先ほどまで自然と構えていた小太刀を逆手に持ち直し、重心を低く保つ和琴はいつでもとびかかれるよう右足に体重を乗せ助走をつける。
「許せ少年。参る!」
そして、将之だった鬼に向かって駆け出した。