未だ満月が昇る夜の森は、神秘と似つかわしくないほどに轟いていた。
炸裂音に続き、この世の全てを崩壊させるが如く咆哮が森中を駆け巡る。
大小とわず、獣たちは逃げ惑い、いつしか戦場と化した森には本来あるべき自然によって地道に作り出された姿はなく、力強く抉れた木の幹、爪のようなもので引き裂かれた岩が次々に作られていった。
「ふん!」
和琴の体重が乗った小太刀の一振りに対し、ガキンと鋼を迎えうつ鈍い音が連続で響き渡る。
「ぶらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
刃を受け止めた鬼の丸太のような拳が和琴の顔面に向かっていくが、彼女は身を翻すように寸前でかわす。かわしざまに膝の関節部に刃を叩き込む。体重が乗っていない分、力より速度重視ではあるが、柔らかい関節なら通る。本来ならば。
本来あるはずの切った感触はなく、代わりにメキっと肉の弾力が和琴の手首から前腕を伝って感じ取れた。
「ぶらぅ!」
空中では回避は不可能。和琴はすかさず、小太刀を正面に構え直し、敵の拳を迎えうつ。
「ちっ」
吹っ飛ばされる和琴だが、敵の拳を受けた際、うまく力を分散できたおかげで着地に問題はなかった。だが。
「これは、想定以上か」
彼女の目の前には悠然と佇む一体の鬼。
白銀の長髪に青の三白眼、全長は平均男性よりも倍の大きさ。彼女でなければ恐れ慄き、戦意を喪失していたことであろう。
そこまで感じさせるほどの憎悪と威圧の正体が、指先で押しただけでつんのめりそうな少年だったとは誰も信じないだろう。
遠くの銀の長髪がゆらめいたと思いきや、和琴の前に突如として鬼が現れる。
拳を振りかざされ、和琴も反応。かわしざまに逆刃の小太刀で首の頸動脈を狙う。
すれ違いざまに、ようやく切り裂いた感触と思いきや、それを嘲笑うかのように鬼の首筋が煙を立てて修復されていく。それどころか、鬼の速度が早まった。その証拠に、今までかわせていた攻撃が、和琴の頬に赤く一本線が描かれる。
「力が増幅している。自然の摂理とは無縁というわけか」
何度目になるだろうか。和琴は再び小太刀を右手で逆刃にもちかえ、踏ん張りを効かせた右足を蹴り上げる。
「なに!?」
攻撃を叩き込もうとした矢先、鬼と和琴の間に一匹の子鹿が現れる。鬼は和琴めがけて突進。子鹿など眼中にはない。
和琴は素早く子鹿を左足の甲に乗せ、遠くへ蹴り上げる。
鬼の拳が迫る。
回避ができない。
小太刀を前にーー
鬼の拳が和琴の左脇腹に命中。
「うっ」
和琴はそのまま、森の中へと吹き飛んだ。
「ぶらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
勝者の雄叫びの如く、咆哮が森中を駆け巡る。
「ぶるるる」
そして、鬼は将之の住んでいた村の明かりに気づいた。