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第26話 細かいことは捨て置け

 放課後、アキはこのまま部屋に帰っても暇を持て余すだけだと思い、熱烈に誘ってくる部活を見て回ることにした。


 やはり素の身体能力が常人と違うアキは運動部には入れない。

 一生懸命に練習をこなす生徒たちの面持ちを見て、その気持ちが一層濃くなる。


 自分のこの力は偶然のように手に入れたものだ。

 努力をし、目標を持って磨き上げられたものではない。


 互いに切磋琢磨する彼らの中に入ることは許されないとアキは思う。


 だからこそ、誘ってくれたお礼も兼ねてせめて見学だけはさせてもらった。

 苗山の水泳部、潮下のテニス部、その他、様々。さすがにチア部を見学するわけには……と思ったが無理矢理連れていかれた。

 けれど今はチア部にも男子生徒が少なからず所属していて、時代の変化を目の当たりにする。


 そうして日が暮れてしまった下校の途中、ソフィアが何やらむくれた顔で出てきて声をかけた。


『ちょっと疲れたよ』

『女の子、いっぱい。嬉しい、か? マスタ』

『言い方……』


 確かに今日はマリアから始まり、色々とちやほやされた一日だったかもしれない。

 だが、それもじきに収まってくるだろう。


 編入生というのはそういうものだ。


『みんな優しいね。なんか慣れてる感じがしたなぁ……』

『Yes。ある種、の仲間意識。特に、編入生への――気遣い?』

『そうかもね』


 恐らく、自分のように編入してくる生徒は珍しくないんだろうとアキは思った。

 それは学校の特殊性を考えると、生徒たちが明るく歓迎してくれる理由もわかる。


 大切なものを失ったことがある彼らだからこそ、編入してくる生徒を彼らなりに気遣うのだろう。


 そんなことを考えつつ、慣れない手つきで自室の鍵を開ける。


「ただいま……」


 一人暮らしとはいえ、帰宅の挨拶は大事だ。

 たとえ返事がなくとも――。


「おかえり。遅かったな」

「うん……――え?」


 あった。

 なぜか玄関を開けてすぐのキッチンに――マリアがエプロンをして立っていた。


「会長!? なんでいるんです……!?」


 アキは靴も脱がないまま驚愕して聞く。


「お前の日常的なフォローも生徒会長としての責務だ。それに上級生が下級生の面倒を見るのは当然――いや、たまたま近くに……? あー……お前の部屋があったので寄っただけだ」

「コンビニとかじゃないんですけど僕の部屋」


 途中までは饒舌だったマリアの言い訳はだんだんしどろもどろになっていた。

 とりあえず靴を脱いで部屋に上がったときには、すでにマリアは平常心を取り戻した顔になっている。


「まぁ細かいことは捨て置け」

「話の着地点が雑……!」


 みそ汁と思しきものの味を確かめながらそんなことを言うマリア。

 そして「もうすぐ食べられる。テーブルの上を片付けておけ」などと言われ、アキは言う通りにせざるを得ないのだった。



 そんなこんなで出てきた夕食はカレイの煮つけとみそ汁、ご飯という組み合わせである。

 特に煮つけはこれまでコンビニ弁当でしのいでいたアキにとって、久しぶりのメニューだ。


「い、頂きます」

「うむ」


 手を合わせてからカレイの煮つけに箸を通すと、ホロっと身が崩れる。

 恐る恐るそれを口にした途端、アキは思わず声を上げた。


「お、美味しい……!」

「当然だ」


 言いつつ嬉しそうな笑みをマリアは浮かべる。

 その顔がやっと素の表情に見えたアキは、今日の朝から疑問に思っていたことをぶつけてみた。


「……会長って日本生まれですか?」


 彼女の顔はどう見ても純粋な日本人には見えない。鼻が高く、透き通るように色白で、海外のモデルだと言われれば頷いてしまうほどの美貌だ。

 だというのに言葉には特に訛りもない。


「過去の詮索はやめろといったはずだが、勘弁してやろう。この国に来たのは5年前だ」

「言葉も流暢ですし、和食も作れるなんてすごいですね」


 5年という年月だけでここまで流暢に喋れるのか、と改めてアキは彼女の優秀さを思い知る。

 マリアという人物については、案内のあとにクラスメイトから色々と聞いた。というよりかは聞かされた。


 中等部では2年生から、そして高等部では異例の1年生から生徒会長を任され、現在2年生。

 成績は常に主席で運動神経も良く、3年生でさえ敬語を使う名実共に生徒たちの頂点に立つ。

 校内ではファンクラブもあるらしく、男女共に彼女には道を譲るのだ。


 それが芹生マリアという存在らしい。


 そんな漫画から出てきたような完璧生徒会長がなぜ自分の部屋でカレイの煮つけを……?

 周囲からの情報と実際の人物像に乖離かいりがありすぎて、頭を抱えそうになる。


 しかし、アキの内心を知ってか知らずか、淡々とマリアは話を続けた。


「義理の姉に教わってな。未来の夫に料理が不味くて失望されんよう腕を磨いたのさ」

「な、なるほど……」

「意外か?」

「いえ、今どきは奥さんが料理するとは限らないじゃないですか」

「古風だが、帰ってくる夫を労うのは私の幸福だ」

「は、はぁ……」


 専業主婦希望なのかな、と思い浮かべて、アキはすぐにその思考を放棄した。

 この状況で言われると勘違いしてしまいそうなのだ。


「話は変わるが、アキ」

「はい」


 せめてもの来客対応でマリアのコップにウーロン茶を注いでいると、改まったようにマリアが言う。


「その敬語と呼び名はやめろ」

「えぇと、なんて呼べば……? それに先輩にタメ口はよくないと思います……」


 特に校内のどこでも注目を集めるマリアにはよくない。いや、絶対にできない。

 苦しく抵抗すると、鋭い目線が飛んでくる。


「マリアでいい。敬称もいらん。実を言うと私の年齢は正確ではなくてな。学年は上だが歳は下かもしれんぞ。それに立場もあって誰も私と対等に喋る者がいないのだ」

「でも校内ではちょっと……」


 だからといってアキが対等に喋っていればどんな目に遭うかわからない。

 彼女は校内のアイドルかつ大統領だ。

 できれば校内でのトラブルだけは避けたい一心で言うと、マリアは少し口を尖らせる。


「なら2人のときだけで勘弁してやろう。よし。呼べ」

「へっ……?」

「私の名を呼べ」


 何かの通過儀礼かのようにマリアは求めてきた。

 嫌です、とも言えず、アキはなんとか声を絞り出す。


「……ま、マリア」

「うむ」


 満足したらしい。


 そのとき、ソフィアがふわっと虚空から現れた。

 マズい。さっきもその片鱗を見せていたが、この相棒は中々に嫉妬深い。


 まさかマリアにちょっかいを――と思ったが、ソフィアはその顔をじーっと見ているだけだった。

 それも敵意はなく、小首を傾げて眺めるような雰囲気だ。


 すると、ふと顔を上げたマリアはソフィアが見えているかのようにそちらに向いた。


「もしかして、ここに誰かいるか?」

「わかるんですか?」

「言い直せ」

「わ、わかるの?」


 厳しい。

 だが、ソフィアの気配を感じられる人間は少ない。

 それこそ魔力に対して敏感な体質であるか、それかアキと縁の深い者でないと感じることはできないのだ。


「ああ、日向の香りがする。それに……暖かいな」


 見ると、ソフィアは表情を柔らかくしてマリアを後ろから抱きしめていた。

 理由はわからないが気に入ったらしい。初対面の相手にしては珍しい反応だ。


「やめさせようか?」

「いや、好きにさせてやってくれ。目に見えなくとも、親しく接してくれていることはわかるのだ」


 そう言うマリアの顔はどこか懐かしいものを噛みしめるような表情をしている。

 アキは何か引っかかるものを感じつつ、目の前の料理に舌鼓を打つのだった。


 そして夕食後、少しの談笑を交え、マリアが帰宅する流れとなる。

 マリアは皿洗いまでやっていくと言い出したが、さすがにそれは恐れ多いのでアキも譲らなかった。


「ではな」

「はい。……じゃなくて、うん。本当にご馳走様」

「構わん。次に口にしたいものでも考えておけ」

「つ、次って……。とりあえず送っていくよ」


 さすがにこの時間に女の子をひとりで帰させるわけにはいかない。

 一応、自分もこれくらいの気遣いはできるんだな、と思いつつ、一緒に外へ出るとマリアはそそくさと歩き出してしまう。


 アキは慌てて鍵を閉めようとするが、なぜか彼女はエレベーターとは反対方向へ歩き出した。


「あ、そっちじゃ――」

「知っている」


 言いながら、チャリンと音を出して鍵を取り出す。

 それはかなり見覚えのある形の鍵で、マリアはそれをアキの隣の部屋の扉に差し込んだ。


「嘘でしょ……」


 どうやらお隣さんだったらしい。


「近所と言っただろう」

「壁が接してるレベルだなんて想像できないよ」


 仕方なくアキはマリアの部屋の前まで行き、見送りの体を保つ。

 それを見て彼女は無邪気そうに笑った。


「ふふ、見送りご苦労だった。また明日会おう。アキ」

「うん、また明日。マリア」


 カチャン、と扉が閉まり、マリアとの時間が終わる。

 アキは頭に疲れを感じつつ、別れ際に見た彼女の笑顔が目に焼き付くのだった。

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