「おぅい。松里。この後、カウンセリング室に来なさい。場所は……苗山、案内してやってくれんか?」
その日の放課後、終礼の終わりに、担任の柏葉にそう言われ、アキは首を傾げる。
「えっ、はい」
「は~い」
全員での礼が終わると、まばらにクラスメイトが教室を出ていく中、苗山に訊いてみた。
「何の用だろう?」
「馬鹿かお前ぇ。カウンセリング室つったらカウンセリングに決まってんだろ」
返事は意外にも来栖から返ってくる。
それに続くように苗山はにこりと笑った。
「別に怒られたりとかはしないよ? なんか困ってることないかーとか、そういうの聞かれるだけ」
「適当に答えてっと長くなるぜ」
言うと、「早くしろよ」と来栖にどやされた。
どうやら一緒に行ってくれるらしい。
この同じ部に所属しているからだろうが、アキは彼の印象を少しだけ改める。
「2人も受けたの?」
教室を出て階段を下る途中に、アキが聞くと「みんなやるよ~」と苗山が言った。
「大したこと聞かれねぇよ。退屈なだけだ」
「私は優しくて好きだけどな~。あのおばさん」
「そっか。ちゃんとお話すれば大丈夫そうだね」
そうして職員室のある階の廊下を歩き、なんの表示もない部屋の前で2人が振り返る。
「はい、ここだよ。じゃ、私たち部活あるから、これで!」
「うん、ありがとう。来栖くんも」
お礼を言うと、ハンッという鼻を鳴らす音だけが返ってきた。
中々にとんがっているけれど、クラスで浮いていない程度には優しいのが彼なんだろうな、とアキは思う。
そして案内された部屋を軽くノックすると、「どうぞ」という男の声がした。
アキは扉を開く。
「やぁ! 松里アキくん、だね? 僕はカウンセラーの伊達だよ。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
出てきたのは短髪に眼鏡をかけた物腰の柔らかい男性だった。
彼はこちらを気遣うようにささっと出てきて、椅子を引く。
「うん、ちょっと飲み物を持ってくるから奥に座ってて。あ、コーラと水とお茶、何がいい?」
「こ、コーラが飲みたいです」
「オッケー!」
問われて、アキはここしばらくご無沙汰だった飲み物を注文した。
言われた通りに奥の座り心地の良さそうな席に座ると、窓から入る陽日で背中が暑く感じる。
そんな中、ぞわっと首筋にソフィアが接続する感覚を感じた。
視界に青い線や図形が並び、電子音と共にそれがなんなのかを1つ1つ確認している。
部屋の中に怪しいものがないか、探ってくれているのだろう。
「お待たせ。瓶のコーラなんて最近は見ないでしょ。どうぞ」
「ありがとうございます」
「僕もコーラにしちゃった。げっぷが出たらごめんね」
アキは出されたコーラの匂いを少しだけ嗅いで、口をつけた。
それを見て伊達も同じようにコーラを飲む。
「うん。だいたいの場合、ここで僕は『落ち着いたかい?』なんて声をかけるんだけど、君は部屋に入った時点で落ち着いているね」
「そうですか? 少しびっくりしたんですけど」
「なにがだい?」
「オバさ……女性の先生だって聞いてたから」
言うと、伊達は笑って頷いた。
「あぁ、それは常勤の
「そうだったんですね」
伊達は常に笑顔を絶やさない、朗らかな印象を受ける。
けれどアキはその視線が時折、様々な部分に向くのを見て、感心した。
この人はぼくを観察しているんだな、と。
「まぁ、カウンセリングとか初診とか仰々しい言い方だけど、ぶっちゃけ様子見ってやつさ。たとえば登校初日からイジメられてないかとか、学校に来るのがつらいとか、ご飯を食べてるかとか。大人の都合で申し訳ないんだけど、やっぱり学校としては心配なんだ。だから何かあれば一緒に解決したいし、何もなければゆっくり見守る。そういう話なんだ」
アキはゆっくり頷く。
なるほど、対等な関係で話してくれている。
手振り身振りを大きくするのも、こちらの緊張を解そうとしているのだろう。
そうした概要の話を終えて、伊達は体を前のめりにして、「ここからが本題だ」とでも言うように話し出した。
「クラスはどう? 嫌なやつとかいないかい?」
「いえ、みんな優しいです」
「家では寂しくない? 1人暮らしは初めてでしょ」
1人暮らし、と言われてアキは少し困惑する。
異世界に行ってから――つまり30年前から、アキは一人だったことは一度もない。
なぜなら常にソフィアが一緒にいてくれるからだ。
だから、暗い森の中で野宿をしていても、険しい山の洞窟で寝ることになっても、決して寂しくはなかった。
「あ、初めてってわけじゃなくて……うーん? とにかく慣れてます。昨日はお隣さんに作ってもらいましたけど……」
「お隣さんに? それはいいね! 今はご近所付き合いも希薄な世の中だけど、そうやって顔を合わせられる関係は大事だよ。面倒だと思う人もいるけどね」
ご近所付き合いどころか押しかけ女房みたいな感じでした、とはアキは言えない。
今日もたぶん来るのかな、と淡い期待を抱きつつ、伊達の質問に答えていくのだった。