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シュリン歴3と5刻
その日、私は大きな花束を抱えて黒い衣装に身を包み、目の前を流れる川を呆然と見つめていた。
「シャルロッテ、そんなに気を落とさないで。きっと大丈夫。前を向いて生きていれば、良い事が必ず訪れるわ」
「ええ。ありがとう、叔母さん」
このセリフを今日のうちに何度聞いただろう。まだ幼い弟もそう思ったのか、私の手をギュッと握りしめてくる。
今朝、祖父が死んだ。これで私達姉弟は二人きりになってしまった。
あまりにも早すぎる別れと、残された物の事を考えると今から胃が痛む。
やがて誰も居なくなり、弟のルーンと二人きりになった。
「姉ちゃん、どうすんの。あの店」
「どうしよう……」
私は川に抱えていた花束を放り込んでルーンの手を引いて歩き出す。
祖父が亡くなった事はもちろん悲しいけれど、それよりもずっと泣きたい案件がある。それは祖父が私達に残してくれた店だ。
「俺、店は畳んだ方が良いと思うよ」
ルーンがぽつりと言った。それは私も思っている。
けれどそれが出来ない事情があった。
「そうしたいけど、お祖父ちゃんの遺言だもん。最低でも一年間はやり遂げないと」
「もうそういうのナンセンスだよ。死んだ人の言いつけを一年間守り抜かなければ天罰が下るとかさ。そもそも姉ちゃん料理からっきしじゃん」
「うーん……」
ルーンの言う事はごもっともだが、エルフ族の厳しい戒律を破ったら最悪この地を追い出されてしまう。
そう、私達は窮地に陥っていた。祖父が残したのは街一番の飲食店だったのだ。毎日昼頃になると大繁盛するような店で、私達姉弟はその店の看板娘と息子だった。
私達はとぼとぼと店に戻り、店のドアに『休暇中』の札を下げる。
「一週間……いや、一ヶ月は休もう。それでちょっとでも期間を稼ぐ!」
「小狡いなぁ。まぁでもその方がいいよ。姉ちゃんが料理したらマジで死人出るよ」
「うっ……」
私の料理の腕前をよく知っているルーンだ。私の手料理を食べて幾度となく死の淵を彷徨ったルーンだ。彼は身を持って私の料理のヤバさを知っている唯一の人物である。
私達は小さな店の中で祖父が亡くなった時よりも落ち込んでいた。もうどうすれば良いのか分からない。
もしも神様が居るのなら、今こそ助けて欲しい。そんな事を願いながら半月が経った頃、事件は起こった。
私はその日、出来もしないのにひたすらエッズを割る練習をしていた。
そこへルーンが血相を変えて飛び込んできたのだ。
「ね、ね、姉ちゃん! れ、冷蔵庫の様子がおかしい!」
「え!? 壊れた!?」
お金が無い上に下っ端エルフの私には冷蔵庫の代わりが出来るほどの魔法も使えない。こんな踏んだり蹴ったりな事があるだろうか?
思わず泣きそうになった私を見てルーンが慌てて首を振った。
「違うよ! ここの冷蔵庫じゃなくて、蔵の冷蔵庫だよ!」
「蔵の冷蔵庫? そんなのあった?」
「あった。僕がこっそり使ってたんだ。あそこでモンロンを孵化させようと思って」
モンロンというのはエッズの親だ。大体のエルフはモンロンを飼育して産んだエッズを食料にしている。
「あんた、冷蔵庫で孵化させるのは止めなさいってあれほど——」
「ごめんって! でもそれが消えちゃったんだよ! で、代わりに変なのが一杯入ってたんだ。これ」
そう言ってルーンが持っていた袋から取り出したのは、見たことも無い容器のような物に入った何かだった。
「なにこれ」
「分かんない。とりあえず全部持ってきた」
ルーンは言いながら袋の中から次々に得体の知れない何かを机の上に並べていく。私はそれを端から手に取り眺め、嗅いでみた。
するとどうだろう。何やらとても美味しそうな匂いがするではないか!
「ちょっとルーン! これ嗅いでみなさい!」
「嫌だよ! なに嗅いでんの!? 毒だったらどうするの!」
「良いから! 美味しい匂いがするから!」
後ずさるルーンの鼻先に無理やり容器を近づけると、必死になって顔を背けようとしていたルーンが目を見開いた。
「嫌だってば——ほんとだ……」
「……食べてみる?」
「止めなって! なんで姉ちゃんはこういう時だけそういう冒険心発揮すんの!?」
「だってお腹減ったんだもん!」
そう、祖父が亡くなってから私達は碌な食事をしていない。それはひとえに私の料理がからっきしだからだ。
ルーンが作るものはまだマシだが、マシ程度である。