私はルーンが止めるのも聞かずに容器をそっと開けた。途端に何やら甘いような塩っぱいような不思議な香りが部屋に広がる。それは間違いなく美味しい匂いだ。
「うぅ……止めた方がいいよ」
「止めない。もう寝込んでもいい。食べる」
そう言って私はフォークを使って何かよく分からないオレンジ色の物を刺して口に運ぶ。
「っっっ’&)’%(’%!!!!!」
「ね、姉ちゃん? 言葉が変だよ?」
「ちょ、食べ、食べてみて! どれが良い!?」
「どれも良くない」
「どれでも良い!? 分かった。それじゃあルーンはこれね」
「どれも良くないーーーーー……っっっ!」
ルーンの口に運んだのは穴の空いた不思議な食べ物だ。ルーンは目を見開いてそれを何度も何度も噛み締めている。
やがてそれを飲み込むと、私の顔をじっと見つめてきた。
「僕は生まれて初めて姉ちゃんの冒険心を尊敬したよ」
「言い過ぎじゃない? 流石にもっとあるでしょ?」
「いいや、初めてだよ。これはなに?」
「分からない。でもこれはきっとお告げよ。若くしてたった二人きりになってしまった可哀想な姉弟への神からのギフトに違いないわ! よし、ルーン。これをお店で提供していきましょう」
「はあ!? これからも入ってるとは限らないのに!?」
「入るわ。何となくそんな気がする。そしてこれらは有り難くいただきましょう」
「うん。残すのは勿体ないもんね」
私達はとにかく空腹だった。だからその料理か何か分からない物をあっという間に貪り食べてしまった。
「ふぅ……それで、その冷蔵庫はどこなの?」
「こっち」
ルーンに手を引かれて蔵に入ると、荷物で迷路のようになった様々な物の隙間を縫って一台の冷蔵庫の前に辿り着いた。
「普通だわ」
「普通だよ。ただの冷蔵庫なんだから」
「あ、開けるわよ?」
「うん」
私はそう言って冷蔵庫の扉に手をかけると、勢いよく開けた。
けれどそこには何も入ってはいない。
「……」
私はそっと冷蔵庫を閉じるとルーンを見下ろす。
「なに?」
「もしかしてこれは夢だった? 空腹が過ぎて見た夢なのかしら?」
「そんな訳ないでしょ。ちょっとどいて」
ルーンに押しのけられて一歩ズレると、今度はルーンが扉を開いて「あ!」と声を上げた。
「なに!?」
「エッズが戻ってっきた! でも減ってる! 孵っちゃったのかな? どっかに出ちゃった?」
「ええ!?」
一体どういう事だ? 私達が中身を食べてしまったから、その代わりにエッズを持ち去ったとでも言うのか?
ルーンは一生懸命這いつくばってモンロンの雛など探しているが、多分違う。
これはきっと対価だ。何かよく分からない現象がこの冷蔵庫に起きているようだが、これはやはり神の思し召しに違いない。
私はまだ床に這いつくばっているルーンを立たせてその薄い肩を両手でしっかりと掴んだ。
「ルーン、店は不定期に開店しましょう」
「へ?」
「この冷蔵庫の中身が増えた時だけ開けるの。それを一年間続けましょう。そうすれば神に背いた事にはならないはずよ」
「いや、だからそんな都合良く——」
「だまらっしゃい! 私の料理で死ぬ思いをするのと、冷蔵庫の訳が分からないけど美味しい料理を食べるのとどっちが良いの!?」
「冷蔵庫」
怖い顔をして叱りつけた私にルーンが真顔で答えた。それを見て私は頷くと、冷蔵庫の扉を閉めた。
「決まりね。毎日定期的に覗きに来るわよ」
「分かった」
こうして私達は何とか窮地を脱出した……はずだった。
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お分かりいただけただろうか? これが曾祖父ちゃんと曾祖母ちゃんの日記の始まりだ。冷蔵庫を通して二つの世界が交差してしまった瞬間だ。
今はこの二つの世界はすっかり融合していて、街中には色んな種族の人たちがごちゃ混ぜになって暮らしているが、それまではこの二つの世界は別々に分けられていたという事になる。
僕達からしたらその方が信じられないのだが、曾祖父ちゃん達の世代が集うオールドネット界隈を覗きに行くと、今でもその事でたまに盛り上がっているので、そこへ『冷蔵庫ヒロキのひ孫』と書いて参戦するのが僕の趣味だ。
今までも幾度となくこの二人の日記は色んな媒体で取り上げられては来たのだが、近々ついに映画化する事になった。
今の魔法技術と科学技術があれば、元の二つの世界を再現するのは簡単だと踏んだのだろうが、僕が今回こうして二人の日記をこのような形で公表したのには理由がある。
それは、世に出ている二人の日記の抜粋だけでは分からない、二人の人となりを知ってほしかったからだ。
ヒロキがどれほど無謀チャレンジャーだったのか、シャルロッテがどれほど愛されポンコツキャラだったのか、それを是非とも皆に知ってほしかった。
前置きが長くなってしまったけれど、以降は主に二人の日記で進んでいくけれど、現代の状態とすり合わせて説明が必要な部分にだけ、僕は冷蔵庫ヒロキのひ孫として出現しようと思う。その部分には注釈としてマークを入れておくので、そちらも是非参考にしていただきたい。
それでは、まずは第一章。『ヒロキ、冷蔵庫と格闘する』から載せていこう。
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