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あの衝撃的な映えミントティー事件から一週間。
今日も空腹のままバイトへ向かった俺は、あれっきり冷蔵庫を一度も開けてはいなかった。何だか怖くて。
俺のバイト先はイタリアンの店で賄いがべらぼうに美味い。昼食はどうにかここで賄えるが、問題は夜だ。
地元から母ちゃんが毎週のように新鮮な野菜を馬鹿みたいに送ってきてくれるので、無駄にする訳にはいかない。
毎日帰ってから料理をすれば良いんだろうけどそんな気力はない。つまり作り置きをする他ないのだが、かと言ってまたあんな事になったら堪らないし、とりあえず金が溜まるまではあの冷蔵庫と付き合うしかない。
あと普通に家に帰ったらキンキンに冷えたビールが飲みたい。その為にはスーパーでまとめ買いする方が断然お得だ。
「しゃあない。作るか」
そんな訳で休みを利用して俺はまた1週間分の料理を作って久しぶりに冷蔵庫にしまった。そして一夜明け——。
「またぁぁぁぁ!!! 誰なのぉぉぉぉーーーーー!!!」
うっ、うっ、と嗚咽を漏らしながら冷蔵庫の前に崩れ落ちた俺は、ふと野菜室を開けて何かが入っている事に気づいた。
よく見ると何か網状の袋のようなものの中に鮮やかな水色のドロドロした物体が入っている。不思議なことに網状の袋なのに中から中身が出てくる事はない。
好奇心とまたか、という思いで袋を恐る恐る開けると、強烈な匂いが部屋中に広がった。
「今度は何だよ? うわっ、くっせぇ!!!」
慌てて袋を閉じると匂いは一瞬で消える。この袋すげぇ。そんな事を考えながら俺はしばらくそれを見つめてスマホを手にした。
ここはやはりネッ友を頼るべきだろう。
『至急! うちの冷蔵庫の様子がおかしい件について・2』
今日は平日だ。きっとすぐにレスはつかないだろう。そう思っていたのに。
『キター! 毎日見張ってた! 今度はなに?』
すぐさまやって来たのはヤスだ。初っ端嘘松扱いしたくせに、本当に調子が良い。そこへ続々とこの間のメンバーと、知らない奴らが入ってくる。
『通知オンにしといて良かったわ。今度もヤバそう? あ、音声にして。チャットめんどい』
トモはどうやらこの部屋に書き込みがあると通知が来るように設定してくれていたらしい。トモは本当に良い奴だ。
俺は音声通話に切り替えて一応ビデオ通話もオンにした。これで皆と今この時を共有できるはずだ。
「ヤバい。前回の百倍ぐらいヤバい。あと俺の1週間分の料理またネコババされた」
『それはもう冷蔵庫に何か住んでると思うの~。妖精とか~。あ、こんばんは~』
「こんばんは。妖精なんて可愛いもんじゃないと思う。だって、次に置いてったのコレだもん……」
そう言って俺は机の上にさっきの網状の袋を取り出した。
『いや、もう何でそんな原色ばっかなん?』
『相変わらず色が……』
『ていうか、むしろこっちがミントじゃね?』
『味は!? 今度はどうやって食べる?』
皆は人事だと思って言いたい放題言ってくるが、俺にとっては一大事だ。これが何か分からん上にさっきの激臭を思い出してえづく。
『とりあえず出してみ?』
「いや、さっきちょっと開けてみたんだけど、めっちゃ臭いのよ」
『臭い? どういう系?』
「うーん……腐敗系?」
『それは実際に腐ってんだよ』
『いや、でもドリアンとか臭いけど美味いって言うだろ! 嗅いだ事ないけど』
『あれとかもじゃね? ほら、シュトーレンだっけ?』
『それは美味しいお菓子なの~。シュールストレミングなのよ~』
可愛い宮のツッコミにほっこりしつつ、俺は恐る恐るもう一度袋に手をかけた。
「くっせぇ!!」
『そんなすぐ臭うの!?』
思わず袋を閉じた俺の反応を見て皆がどよめく。
『でも出してみない事にはどうにも出来ないんじゃね?』
『それな。まずはそれが何か確かめないと』
「いや、この間も結局何か分かんなかったけど」
おまけにその後、あの卵は全て消えていたのだ。あれは一体何だったんだ。
けれどこいつらの言う事も一理ある。
「ちょっと待ってて」
俺はそう言って立ち上がると、引っ越しの時に使った掃除用具の中からゴム手袋と粉塵マスクを取り出した。ついでに何か得体の知れない汁とか飛んできたら嫌なので、防護メガネを着用する。
「よし、完璧」
『今どんな格好してんのw』
動画に映った水色の手袋を見て誰かが言うが、今回のは前回と違って殻も何も無い。そんな物を素手で触る馬鹿がどこに居るというのだ。
「完全防御してる。本当は防護服着たい。では、開けます」
心臓が高鳴る。変な意味で。袋に手をかけてそっと開くと、さっきよりは幾分マスクのおかげで匂いは軽減されているが、臭いものは臭い。