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第2話 聖域



 階段を下りて1階へ。グラウンドに向かう颯真とは、いつもここで別れる。


「それじゃあなー 帰宅部」


「ああ、また来週」


 上履きからスニーカーに履き替えて、校舎を出る。


「あっ、出てきた!」


「朝日奈先輩、さようならー! わっ、コッチみたよ!」


「は、晴人せんぱいぃぃ~」


 人気投票第2位は、教室を出たときとおなじように、ここでも多数の女子からの視線を受けるので、知性派アート男子を維持をしたまま、1年生の女子たちに「バイバイ」と軽く手を振る。


 キャッ、キャッと歓声があがるなか、去年までおなじクラスだった数人の男子からも、


「キャアァア、晴人くーん! 帰りにドブにでもハマってぇえええ」


「さようならぁぁぁ……もうこれ以上、女子をとらないでええええ」


 などなど。


 すれ違いざまにアレコレ云われ、「またな」と笑って、右目でウインクをしてやると、


「くそうっ、晴人のヤツ、やっぱり、カッコ良すぎねえかっ!」


「ずきゅん、だ。ズキュウゥン。やられた。俺も女子なら惚れている」


 そんな言葉を背中で聞きながら、正門をくぐって徒歩10分。


 最寄りの駅から電車に乗る。


 車窓からみえる風景は、教室の窓から見えた指骨しこつ川で、電車と並行するように流れている。


 川幅は約1キロメートル。位置的には、川の中流から下流になるあたりで、五月半ばのいまは水面が上昇しているけれど、冬場は水位が下がり、一部の地肌があらわれる。


 地形のせいなのか、地肌は川下に向かって5本の線のように隆起していて、上空から見ると、それがまるで骸骨の手首から伸びる手指のようにみえることから、指骨川という名がついたらしい。


 その指骨川を挟んで対岸は、この国のメトロポリスとなり、こちら側はメトロポリスの西に位置する六破羅ろくはら市となる。いわゆるサテライトシティだ。


 両親といっしょに3歳で渡米した晴人は、母方の祖父母がいるペンシルベニア州で12歳まで過ごし、日本に帰国。帰国時は、この川の対岸に住んでいた。六破羅市に引っ越してきたのは、ちょうど昨年の春。


 父は日本人、母はスウェーデン系アメリカ人と日本人のハーフなので、晴人はクォーターになる。


 ミドルネームにアメリカ人の祖父の名が付いているので、出生証明書に届けられた正式な名は、朝日奈・ソロモン・晴人。


 アメリカから帰国した当初。


 晴人の両親は、アメリカ育ちの息子が日本に馴染めるかと心配していたようだが、当の本人はひとつも心配していなかった。


 なぜなら、祖母は日本人だったし、両親も家では日本語と英語で会話をしていたので、晴人が言葉に困ることはなく、日本に帰国してからも中学まではインターナショナルスクールに通っていたため、生活にはまったく問題がなかった。


 問題がないどころか、世界に誇るべきポップカルチャー文化を有するこの国は、晴人が求めていたモノをみせてくれ、アメリカにいたとき以上に、夢中にさせてくれた。


【ポップカルチャー】


 いまさら説明不要ではあるけれど、日本を代表するポップカルチャーといえば、アニメ、漫画、ライトノベル、ゲームなどなど。


 ハイクオリティにして圧倒的なエンターテインメント性と中毒性を持つ日本のそれは、世界中から愛されている。


 日本に帰国する数年前。


 アメリカで、日本の文化を紹介するテレビ番組を見ていたとき。はじめてポップカルチャーを目にした晴人は──これはっ!


 一瞬にして目を奪われた。


 その日から、配信サイトやソーシャルメディアを通じて、日本のポップカルチャーにどっぷりと浸かり、あらゆるジャンルを観て、聴いて、読んだ。


 そのなかでもとくに、心を奪われ夢中になったのが日本のアニメと漫画。


 それまで晴人が、アメリカで目にしてきたCGアニメ、手にしてきたアメリカンコミックとは別次元だった。


 日本アニメーションの緻密さ、繊細さ、大胆さ、独自性に多様性。細部までこだわった作画と背景の美しさは圧倒的で、他とは比べものにならない。


 漫画の奥深さは、言葉では表現できないほどで、それぞれの作品が放つ強烈な世界観、感情豊かなキャラクターの表情。秀逸なタッチと構図、唯一無二といえる作家性が際立つ。


 これらは、総合芸術だと思った。


 日本のアニメと漫画の虜になってからというもの、アメリカでは毎日のように、配信中のアニメを視聴して、もうこれ以上はないだろう、という作品に巡りあっても、またすぐに「これはぁぁぁっ!」と叫びたくなるような作品がみつかる。漫画も同じく。それは、ものすごく良い意味でキリがなかった。


そうして日々、数多の作品を摂取しつづけて3年が経ったころ。


 北欧系コーカソイドの美しい容姿をもつクォーターで、バイリンガルというオプション付き。


 建築デザイナーの父とファツションデザイナーの母という、デザインまみれな両親の血を受け継いだ12歳の美少年は、


「僕も、音を殺して歩けるようになりたい」


「愛ゆえに……か。深いな、尊いな」


「闇の炎をだせるものなら、僕もだしたい……いや、だせる」


 もう、日本のアニメと漫画を知らなかったころの自分には戻れない。日に日に「日本に行きたい」という思いが強くなっていたころだった。晴人は日本に帰国することを、両親に告げられた。


 少年は「アメジィィィィングッッ、ウッゥゥゥゥゥ!」歓喜の雄叫びを上げたあと、「コスプレサミットにも……アニソンフェスにも行ける……憧れの聖地巡礼ぃぃ」嬉しさに、むせび泣いた。


 ぐっと距離が近くなる日本のポップカルチャーを前にして、新しい学校で友だちができるかな、とか。日本の暮らしに馴染めるかな、といった不安は、晴人のなかでひとつも生まれなかったわけである。


 それぐらい少年・晴人は、聖域サンクチュアリ・日本で出会えるだろう、日本のアニメ、漫画を心から愛し、語り合える【リアルの仲間たち】を渇望していた。





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