階段を下りて1階へ。グラウンドに向かう颯真とは、いつもここで別れる。
「それじゃあなー 帰宅部」
「ああ、また来週」
上履きからスニーカーに履き替えて、校舎を出る。
「あっ、出てきた!」
「朝日奈先輩、さようならー! わっ、コッチみたよ!」
「は、晴人せんぱいぃぃ~」
人気投票第2位は、教室を出たときとおなじように、ここでも多数の女子からの視線を受けるので、知性派アート男子を維持をしたまま、1年生の女子たちに「バイバイ」と軽く手を振る。
キャッ、キャッと歓声があがるなか、去年までおなじクラスだった数人の男子からも、
「キャアァア、晴人くーん! 帰りにドブにでもハマってぇえええ」
「さようならぁぁぁ……もうこれ以上、女子をとらないでええええ」
などなど。
すれ違いざまにアレコレ云われ、「またな」と笑って、右目でウインクをしてやると、
「くそうっ、晴人のヤツ、やっぱり、カッコ良すぎねえかっ!」
「ずきゅん、だ。ズキュウゥン。やられた。俺も女子なら惚れている」
そんな言葉を背中で聞きながら、正門をくぐって徒歩10分。
最寄りの駅から電車に乗る。
車窓からみえる風景は、教室の窓から見えた
川幅は約1キロメートル。位置的には、川の中流から下流になるあたりで、五月半ばのいまは水面が上昇しているけれど、冬場は水位が下がり、一部の地肌があらわれる。
地形のせいなのか、地肌は川下に向かって5本の線のように隆起していて、上空から見ると、それがまるで骸骨の手首から伸びる手指のようにみえることから、指骨川という名がついたらしい。
その指骨川を挟んで対岸は、この国のメトロポリスとなり、こちら側はメトロポリスの西に位置する
両親といっしょに3歳で渡米した晴人は、母方の祖父母がいるペンシルベニア州で12歳まで過ごし、日本に帰国。帰国時は、この川の対岸に住んでいた。六破羅市に引っ越してきたのは、ちょうど昨年の春。
父は日本人、母はスウェーデン系アメリカ人と日本人のハーフなので、晴人はクォーターになる。
ミドルネームにアメリカ人の祖父の名が付いているので、出生証明書に届けられた正式な名は、朝日奈・ソロモン・晴人。
アメリカから帰国した当初。
晴人の両親は、アメリカ育ちの息子が日本に馴染めるかと心配していたようだが、当の本人はひとつも心配していなかった。
なぜなら、祖母は日本人だったし、両親も家では日本語と英語で会話をしていたので、晴人が言葉に困ることはなく、日本に帰国してからも中学まではインターナショナルスクールに通っていたため、生活にはまったく問題がなかった。
問題がないどころか、世界に誇るべきポップカルチャー文化を有するこの国は、晴人が求めていたモノをみせてくれ、アメリカにいたとき以上に、夢中にさせてくれた。
【ポップカルチャー】
いまさら説明不要ではあるけれど、日本を代表するポップカルチャーといえば、アニメ、漫画、ライトノベル、ゲームなどなど。
ハイクオリティにして圧倒的なエンターテインメント性と中毒性を持つ日本のそれは、世界中から愛されている。
日本に帰国する数年前。
アメリカで、日本の文化を紹介するテレビ番組を見ていたとき。はじめてポップカルチャーを目にした晴人は──これはっ!
一瞬にして目を奪われた。
その日から、配信サイトやソーシャルメディアを通じて、日本のポップカルチャーにどっぷりと浸かり、あらゆるジャンルを観て、聴いて、読んだ。
そのなかでもとくに、心を奪われ夢中になったのが日本のアニメと漫画。
それまで晴人が、アメリカで目にしてきたCGアニメ、手にしてきたアメリカンコミックとは別次元だった。
日本アニメーションの緻密さ、繊細さ、大胆さ、独自性に多様性。細部までこだわった作画と背景の美しさは圧倒的で、他とは比べものにならない。
漫画の奥深さは、言葉では表現できないほどで、それぞれの作品が放つ強烈な世界観、感情豊かなキャラクターの表情。秀逸なタッチと構図、唯一無二といえる作家性が際立つ。
これらは、総合芸術だと思った。
日本のアニメと漫画の虜になってからというもの、アメリカでは毎日のように、配信中のアニメを視聴して、もうこれ以上はないだろう、という作品に巡りあっても、またすぐに「これはぁぁぁっ!」と叫びたくなるような作品がみつかる。漫画も同じく。それは、ものすごく良い意味でキリがなかった。
そうして日々、数多の作品を摂取しつづけて3年が経ったころ。
北欧系コーカソイドの美しい容姿をもつクォーターで、バイリンガルというオプション付き。
建築デザイナーの父とファツションデザイナーの母という、デザインまみれな両親の血を受け継いだ12歳の美少年は、
「僕も、音を殺して歩けるようになりたい」
「愛ゆえに……か。深いな、尊いな」
「闇の炎をだせるものなら、僕もだしたい……いや、だせる」
もう、日本のアニメと漫画を知らなかったころの自分には戻れない。日に日に「日本に行きたい」という思いが強くなっていたころだった。晴人は日本に帰国することを、両親に告げられた。
少年は「アメジィィィィングッッ、ウッゥゥゥゥゥ!」歓喜の雄叫びを上げたあと、「コスプレサミットにも……アニソンフェスにも行ける……憧れの聖地巡礼ぃぃ」嬉しさに、むせび泣いた。
ぐっと距離が近くなる日本のポップカルチャーを前にして、新しい学校で友だちができるかな、とか。日本の暮らしに馴染めるかな、といった不安は、晴人のなかでひとつも生まれなかったわけである。
それぐらい少年・晴人は、