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第6話 定家葛の浸蝕と『拷問処刑虐殺猟奇殺人全書』 

 靴を履き掛けたときだった。

 シューズボックスの上に置かれた、古ぼけた本が目に入った。


 自由が丘の屋敷の書斎にあった本だった。


 オヤジは、大学時代、刑法ゼミにいた関係で、『拷問全書』『世界拷問刑罰史』『江戸の刑罰史』といった類いの本を収集していた。


 幼い頃から、怖いモノ見たさで、挿絵をむさぼり見たうちの一冊だった。


『拷問処刑虐殺猟奇殺人全書』というタイトルの本は、図版が多く、著者の嗜虐心が透けて見える内容だった。


 一ヵ所だけ、付箋が貼られている。

 そのページを開いた。


 猟奇殺人の記述だった。


 母親が、意のままにならない息子を殺害し、切り刻んで食い尽くすことによって胎内に戻し、生まれ直させようとした事件だった。


 泣き叫ぶ美少年を生きたまま切り刻むさまと、母親が、バラバラにした各部を洗って調理している、煽情的なイラストが付いていた。



 まさか、マルヒが犯行を誇示する目的で、付箋付きで置いたなんてことは……。


 シュンが母親との関係を語った記憶を、心の奥から引っ張り出してみた。


 ――バー・リセットで見習いをしていたときだった。

 一度きりだが、シュンが誘いを掛けてきたことがあった。


「Youって、まだ童貞だろ?」

 戸惑うオレに、シュンは軽い口調で言葉を続けた。


「僕、テクニックには自信あるんだ。ノンケだって満足させる自信あるよ。僕に色んなことを教えてくれたのは、水商売していたアイツの同棲相手なんだ。守さんは、中学生だった僕をすごく可愛がってくれたんだ」


「オフクロさんは今も元気?」

 返事に困って話をそらすと、

「アイツは生まれ故郷の新潟に戻って、小さなスナックをやってる。今も、男をとっかえひっかえしてるよ。でね……僕が高校三年の夏だったな」

 シュンは堰を切ったように身の上話を始めた。


「守さんが僕と『浮気』していたことがバレて、そりゃあ、修羅場だったね。アイツ、守さんに何も言えないくせに、僕には、酷い暴力を振るってきたんだ。女ってそういう不条理なところがあるよね。で、守さんが家を出てしまった晩、酔ったアイツに、『お前を殺してわたしも死ぬ』って、出刃包丁を持ち出されてさ。このままじゃホントに殺されてしまう気がして家を出た。生きていくためにウリ専してたら、花房さんに拾われたんだ」

 得意げな口調になったと思うと、丸い目がスーッと細くなった。


「アイツを見返すために、ときどき金をめぐんでやるんだ。フフ。アイツ、『やっぱり男の子は頼りになるねえ。女の細腕一本で苦労して育てた甲斐があったよ』なんて、平気で言うんだ。ムカつくけど、アイツにペコペコ頭を下げさせることで、復讐している気になるんだ」


 シュンが女性を仇のように憎んで、女を騙すビジネスにいそしんでいることもうなずけた。


「シュンはすごいな」としか言えなかった――


 確執はあったが、母親はシュンを憎んでなどいなかった。

 バラバラ殺人という一点しか共通点が無い。



 本は、気まぐれで持ち帰ったまま放置していた可能性が高かった。

 付箋も、オヤジが貼ったものだろう。


 だが、確認しておくに越したことはない。

 本をポリ袋に入れて、キャリーの奥にしまい込んだ。




 六時ジャスト、エントランスで日向と合流して駐車場に向かった。


「アレッ。昨日、こんなに生えてたっけ」   

 青々とした蔓植物が、一メートルほどの高さまで、フェンスに絡まり付いていた。 


「エ?」

 日向の顔色が一瞬変わったが、

「昨日は暗かったから気付かなかったのでしょう」

 言いながら、ブチブチ引きちぎった。


「定家葛です。すぐに増えるので、早めに退治しないとね」

 日向は陰鬱な表情で言った。


「そういや、うちの別荘がある熊本の離島が定家葛島っていうんだ。行ったことがないから、定家葛が茂っているか知らないけど」


 この蔓植物が島中に生えている光景を想像してみた。


「定家葛の名前の由来を知っていますか? 能の『定家』から来ているのですよ。ともに優れた歌人だった、藤原定家と式子内親王の悲恋にまつわる謡曲です。死後、葛に姿を変えて式子内親王の墓に絡まっている定家の亡霊を、旅の僧侶が祈祷で鎮めたものの、すぐ元のようにシッカリと絡み付いてしまうという気味悪い伝説を基に作られたそうです。この定家葛は、執着を象徴する植物というわけです」

 言いながら、むしり取った定家葛を共用のゴミ集積所へ運んでいった。






 運転席へ身を滑り込ませた。

 日向が、ユッタリとしながらも敏捷な動きで後部座席に乗り込む。


 この手でマルヒを挙げて、シュンの仇を討ってやる。


 自慢の滑らかな加速とハンドルさばきで表の通りへ出た。








 特捜本部に入った捜査官は、原則として一ヶ月間休みが無い。町田中央署の道場や、特捜本部のデスクの上に貸布団を敷いて寝る毎日となる。

 犯人を挙げるまで休まないことが当然とされていた。

 初動捜査はそれだけ重要だった。


 シュンの死体は、ほんの小片も余さず回収されたはずが、喉仏だけ発見されなかった。

 過去の事件との類似点を想起し、日向と思わず顔を見合わせた。



 特捜本部は五十名で構成され、本部に詰めて指揮する捜査主任官は、本庁の中島聖理事官だった。



 日向とともに動くと予想していたが、町田中央署の刑事と組むことになった。


「佐古田義雄だ。よろしくな、土御門一博巡査」

 昨日、若い警察官相手に無駄話をしていた大柄な巡査部長だった。


「土御門巡査、参考人として事情を聞かせてくれたまえ」

 中島理事官が近付いてきた。


「土御門巡査の上司としてわたくしも同席いたします」

 日向が当然といった素振りで割って入った。


「それには及ばない。形式的な聴取だから、佐古田と二人で十分だ」

 中島理事官は、顎をクイッと上げながら、冷ややかに言明した。


「しかし……」

 食い下がる日向に、

「日向警視、きみは管理官に過ぎず、わたしは理事官だ。上官の言葉には従いたまえ」

 中島理事官はピシリと打ち据えるように言った。



「失礼いたしました」

 日向が無表情に一礼する。


「じゃあ、行こうか」

 佐古田がオレの背中をポンと叩いた。




 本館三階にある取調室へと向かった。


 スチール製の頑丈な事務机と二脚の椅子、小さな事務机と椅子一脚が置かれている。

 容疑者用の奥の位置に座るよう促された。



「このやりとりはすべて録画、録音するからそのつもりで。マルガイ中村俊との関係を、知り合った当初から順に詳しく話してくれたまえ」

 中島理事官は事務的な口調で言った。


 過去に色々、やらかしてきた。

 傷害罪の時効は十年だからまだ過ぎていない。


 慎重に言葉を選ぶしかない。

 汗がコメカミ辺りにジワリと湧き始めた。


「高校時代から心霊スポット巡りが趣味で、大学進学前から廃墟探索に転向しました。探索先の廃墟で飯田修二、三谷健太、そしてマルガイ中村俊に出会いました」


「で?」


「飯田修二が店でバイトをしないかと誘ってきました。ホストのような仕事は性に合わないので、ガードマンとして働いていましたが、二年くらいで辞めました。マルガイ中村俊とも親しかったわけではありません。それだけです」


「くれぐれも正確を期すように」

 中島理事官は尊大な口調で畳み掛ける。

「警察学校の初任科時代から今日に至るだけでも、諸所で衝突している事は把握している。学生時代ならなおさらだろう。いずれの場合も、事件化していないのは、裏でどなたかが画策しているからだという噂もある」


「ハハ、まさか」


「過去をとがめようというのではない。知り得た範囲でバー・リセットの業態を供述してくれたまえ。飯田修二、三谷健太らの供述と突合せるためだ。分かるね」

 別の角度から攻めてきた。





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