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第9話 地下室にいた、オヤジとオフクロ、そして怪しい老人

 翌日、会議が始まる前に、例の本から指紋を採取した。

 オレ以外の指紋は、オヤジのものらしく、オレの指紋と酷似していた。


 念のため、確認しておきたい。

 捜査会議の後、適当な理由をつけて、佐古田から単独行動の了承を得た。




 広々とした土御門邸は、いつものように、深い木々の緑と静けさの中にあった。


 キッチンでは、住み込みのメイド朝倉が、水回りを鏡のように磨き上げることに余念が無かった。


 幼い頃から、キッチンと隣り合った小ダイニングで、ポツンと一人、食事を摂っていたことを思い出しながら、足早に屋敷の裏手へと回った。



 地下室は、オヤジが婿養子に入った当時、書斎として使っていた。

 八畳大の部屋の本棚には、オヤジが持ち込んだ教養書の外、古い文芸書や海外のミステリが並んでいる。

 蔵書からオヤジの指紋を採取できるはずだ。


 らせん階段をトントンと駈け降り、ドアを開けると……。



 古びたビロードの長椅子に座ったオヤジとオフクロの姿があった。

 オヤジの喉仏が大きく上下する。

 オフクロの息を呑む音が聞こえた気がした。


 帰宅直後らしいオヤジは仕立ての良いスーツに身を包んでいた。

 持ち前の美貌に、年齢相応の渋みを増している。


 オフクロは、特徴のある狐顔に最先端のメイク技術を注ぎ込み、露出の多い奇抜なハイブランドファッションを身にまとって、精いっぱい、無駄な努力をしていた。



 オヤジは、オレが生まれたときから我が子に無関心だったが、オフクロは愛するオヤジソックリな赤ん坊を溺愛した。

 産前産後は依頼をすべて断り、ベビーシッターも雇わず、何から何まで自らの手で世話をした。


 だが、オフクロに溺愛されたのも、物心がつく頃までだった。


 幼児の頃から神童だったオヤジに比べ、オレがとんだできそこないだと知って、オフクロの愛は急速に冷めていった。


 断り続けていた仕事を再開した途端、依頼が殺到し、忙しさを理由に、オレをネグレクトするようになったが、朝倉を筆頭に、メイドが三人もいて、人手は十二分にあった。



 ドライエリアに面した窓の前に、石像のように立つ小さな人影があった。

 七十歳過ぎの老人で、物思いにふけるようにヒッソリとたたずんでいる。

 生気が感じられず、陰々滅滅という言葉がフッと頭をよぎった。


 皺の多い、実直な手をした老人の、意志が強そうな口元と、何かを超越したような眼差しが印象に残った。


 ノーネクタイで身丈に合わないスーツを着た老人は、

「では、これにて失礼いたします」

 オヤジとオフクロに丁寧な礼をして、ドアから退出していった。


 ドアが静かに閉まる重厚な音が、閉じられた空間に大きく響いた。



「一博さん……」

 オフクロが、猫のように音も無くスッと立ち上がる。

「ずいぶん、お久しぶりね」

 つり上がった切れ長な目が揺れ、

「実は……あなたにゆっくりお話ししたいことが……」

 優雅でゆったりした口調で語り掛けてきた。


 ファッションモデルが着ているような、わけが分からない構造のスカートの裾が、オフクロの動きでヒラヒラ、ユラユラ、目障りに揺れる。


「話すことなんてない」

 視線も合わさずに答えた。


「お願い。聞いてちょうだい」

 いつになく切迫した口調が芝居掛かっている。



 オヤジがそれ以上何も言うなというように、静かに首をふった。

 オフクロは肩を震わせながら押し黙った。

 妖怪を思わせる顔がさらに歪んで見える。


「一博」       

 オヤジはスッと立ち上がって、オレの前に立ちはだかった。

 今は背丈もピッタリ同じ百八十センチである。

 五十歳と二十四歳。

 青年と壮年の体形差はあるものの、鏡に映したような二人の視線がまっすぐに絡み合う。


 幼い頃に受けた、常軌を逸したシツケを思い出して、思わず体が固くなった。


 両者とも石像になったような長い沈黙の後、

「機は熟していない」

 オヤジはそのままドアに向かった。

 オフクロも目を伏せたまま、小股歩きで後ろに従う。


「あなた……」

 オヤジに追いつくと、オフクロはしなだれ掛かるようにして腕を絡ませた。


 外では自信タップリに、ありもしない霊能力をひけらかしているオフクロだが、オヤジの前では従順で可愛い妻を演じていた。

 スカートの裾の動きまでが媚態を示している。




 すべて嘘くさい家系だった。


 土御門家といえば、平安時代の陰陽師安倍晴明の末裔で、明治以降は華族(子爵)だった名家だが、その家系とは無関係だろう。


 月影、月夜見、月華に月白、そしてオフクロである水月。

 代々の女当主に霊能力が引き継がれ、今日の土御門家があるというが、江戸時代末期生まれの月影の出自はハッキリしなかった。


 占いや祈祷で財を成し、明治に入ってから、権威付けのために、由緒ある土御門姓を名乗ったのだろう。



 ドアの前で、オフクロがフラリとよろけ、オヤジがシッカリと抱き留めた。


「とうてい理解してはくれまい」


 ドアが閉まる間際に、オヤジがオフクロに語り掛けた言葉だけが、広い地下室にいつまでも漂った。






 二人きりのときのオヤジは、今もオフクロのことを『水月ちゃん』とちゃん付けし、オフクロは『忠刻先生』と呼んでいると、朝倉から聞いていた。



 オフクロは、家庭教師だったオヤジに一目惚れした。

 奨学金とアルバイトで、学費と生活費のすべてを捻出していたオヤジは、土御門家の財力に目がくらんでの婿入りだったろうが、今ではオシドリ夫婦と言われているから、男女の仲は分からない。




 月夜見が特注したという、扇面状のデスクに、古めかしい桐の箱見が置かれていることに気付いた。


 箱の蓋に手を掛けたとき、地下室のドアが開いて、朝倉が入って来た。


「坊ちゃま、お久しぶりでございます」  

 久しぶりに帰省した息子を見る、子離れしていない母親のような目で見てきた。


「このお品は……」

 朝倉が思わせぶりな笑みで蓋を開けると、金襴の布に包まれた懐剣が現れた。




「土御門家代々の女当主が婚礼の際に、身に付ける家宝でございます」


 紐をほどいて金襴の包みから懐剣をうやうやしく取り出した。


「どうしてここにあるんだ」


「忠刻さまが、ときどき手入れしておられるのです。地下室まで持ってくるよう、お命じになったのですが……急に、水月さまが鈴木先生とご一緒に戻られたため、置きっ放しになったようでございます。先程、『すぐ蔵に戻しておいてくれ』とおっしゃられたので、取りに参りました」


「ふうん」

 生返事をしながら、懐剣の鞘を払った。

 鋭い光が目を刺す。


 刃の長さは十五センチほど。

 歴史を感じさせる重厚さが、素人でも分かった。

 権威付けのためのアイテムだろう。


 朝倉がツイッと顔を近付けてきて、機密事項を打ち明けるように声を潜めた。


「高校生だった水月さまは、忠刻さまと添えなければ、この懐剣で喉を突いて死ぬとお泣きになって、そりゃあもう、私どもも驚き慌てました。ま、そのときはただの脅しでしたが」


 さらに声のトーンを落とす。


「実は……三年ほど前から、お二人の間を流れる空気が変わりましてね」


「へえ」

 懐剣を鑑賞しながら、ウワの空で聞き流す。


「旦那さまの浮気が発覚したのです。ああ見えて、奥様は気性の激しいお方です。自殺や刃傷沙汰をご心配なさった旦那さまは、わたくしに、この懐剣を蔵の中に厳重に保管し、奥様がおっしゃっても決してお渡ししないようにとおっしゃいました」


 そこで芝居がかった表情で、

「そういう事情はともかく……そもそも、次に懐剣を使う日なんてもう……」

 顔を伏せた。


「そういえばそうか」

 言いながら懐剣を鞘に収めて朝倉に手渡した。


「この懐剣を身に付けられる女のお子はおられないわけでございますからね」


 うやうやしく受け取ると金襴の袋に入れて箱に収め、もったいぶった所作で箱の紐を結んだ。


「土御門家の霊力は代々、女子に受け継がれてまいりました。懐剣もその象徴でございますねえ」

 感慨深げに箱を見詰めながら、言葉を続ける。


「たとえ男子でも、坊ちゃまが霊力を継いでおいでなら……たかだか五代続いただけのシキタリなど、いくらでも変えられたでございましょうけど」


 朝倉の愛情が重い。


「せっかくですから、お夕食はいかがですか? 腕によりを掛けて坊ちゃまのためにご用意いたしますよ」


 スーパーメイド朝倉は、執事のように屋敷内のすべてを切り盛りしつつ、和洋中を極めた優秀な料理人でもある。


 オレ一人のときでも、気取ったフルコースや会席料理を用意した。

 おかげでオフクロの味なるものとは無縁に育った。


「任務の途中で立ち寄っただけだからすぐ帰る」

 手近にあった箱入り書籍を手にして、サッサとドアに向かった。





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