佐古田は何かが乗り移ったように奔走していた。
「ツッチー、お前は足手まといだ」と単独行動ばかりになった。
今朝の捜査会議にも遅れて姿を現し、最後部に座っていた。
「土御門巡査、話がある」
捜査会議が終わった後、佐古田に声を掛けられた。
ツッチー呼びでないことに違和感があった。
「何の用ですか」
「だから、話があると言っているだろ」
イラついた様子で三階の一室に連れていかれた。
中島理事官に事情聴取された取調室だった。
しぶしぶ被疑者用の椅子に座ると、佐古田は反対側の椅子を、床に叩きつけるように引き出し、ドッカと腰を下ろした。
「自殺した芹沢良一のことだ」
いきなり切り出され、肩がビクリと動いた。
佐古田の鼻先がうごめく。
「オレが小学生のとき、学校まで送り迎えしていた人のことですか」
「アイツは高校の二年後輩だった。同じ柔道部でな。いい奴だった。オレは芹沢も察官になれと誘った」
「世間は狭いですね」
「真面目に勤務していたが、退職しちまった。あのとき、察官を続けろと、もっと強く言えばよかった。その後、奴は、金銭面でも精神面でも行き詰って、何度も相談してきた。オレはついつい、『自分が選んだ道だ。男だろ。死ぬ気で頑張れ』と発破を掛けた。だから、自殺したと知ったときは、オレのせいだと苦しかった。けどな……」
佐古田は握ったこぶしをブルブル震わせる。
「夢の中に芹沢が何度も、何度も現れた。そのうち、洗面所の鏡の中、部屋の隅、押し入れの中といった家の中に始まって、公用車のバックミラー、雑踏の中、公園の木陰、向かい側のホーム……いたる所で、芹沢のおぼろげな影を見るようになった。律儀な奴だから、オレに何も言わずに逝ったことを、詫びているのかと考えた」
佐古田は懐かしむようなまなざしでゆっくり瞬きした。
「だが、そのうち、表情までハッキリ見えるようになった。ようやく芹沢の真意に気付いた。真相を究明してほしい、仇を討ってほしいと目が訴えていた。オレは独自に捜査を始めた。で……」
オレの顔色をうかがいながら、さらに言葉を続ける。
「もみ消しだと確信した」
身を乗り出した佐古田の汗臭い臭いが鼻を刺した。
「どういう意味ですか」
「芹沢はちっとばかし、悪い癖があった。オレはそれも知っていた」
佐古田の言葉にあの日の悪夢がフラッシュバックしそうになる。
「イタズラが好きだった。女じゃなくて、小便臭いガキ相手にな」
イタズラなどという軽い言葉で終わらせられる行為ではなかった。
この手の男は、痴漢やセクハラどころか、強姦でさえも、被害者に誘発されたなどと矮小化してしまう。
吐きそうになるが、今は出方をうかがうしかない。
黒煙のように立ち上る怒りを堪えて押し黙った。
「芹沢は、お前にイタズラをした。で、お前は……」
佐古田の鋭い眼差しに射られ、震える唇を歯でグッとかみしめた。
「まあいい。包丁からはアイツの指紋しか見つからなかった。検視結果も、自ら喉をかっ切ったことを裏付けた。そんなはずはない。オレは意地になった。デカとして絶対に真相を究明してみせると」
佐古田の目は据わり、蛇の目のように鈍い光を放っている。
「職務の合間を縫って、何度もマンション付近を這いずり回ってマル目(目撃者)を探した。そうしたら、当日の夕方、色白で人形のような小学生が公衆電話を掛けていたが様子がおかしかったという、豆腐屋による目撃情報を得た。だが……当時の署長に訴えたものの、事なかれ主義な署長は取り合ってもくれなかった」
移動販売の豆腐屋の間の抜けた音とともに、公衆電話機のプッシュボタンを上手く押せなかった動揺が生々しく蘇ってきた。
「芹沢も不憫な奴だ。押さえに押さえていた性癖に火をつけられたんだ。人形みたいに冷たい顔しやがって。お前の中の魔性のせいだ」
佐古田の言葉に、声帯がキュッと閉まる。
「オレは無関係だ」
言葉を絞り出した。
「そうだろ、そうだろ。マルヒは決まって、そう言う」
「ウウ」
握った拳が怒りにブルブル震える。
「その震えが何よりの証拠だ。無表情を装っても体は正直だ」
佐古田はそこで一つ咳払いをした。
「お前と巡り合ったとき、亡き芹沢の導きだと確信した。揺さぶりを掛けるつもりで、永福寺に向かったが、見掛けによらず、たいしたタマだった。オレは相手の目線や口調、ちょっとした動きも見逃さない。今までマルヒの嘘を見抜けなかったことは一度も無かったのに」
佐古田は角刈りの髪が伸びた後頭部を撫でた。
「過去の傷害を厳しく追及すべきだった。お前が警視総監さまの御曹司だから、中島理事官だって嫌味を言うのがせいぜいで、いざとなると腰が引けてしまったんだ」
呆れる外なかった。
私情をはさんだ捜査は冤罪を生むと言ったのは佐古田自身である。
「だが、隠すより現るだ。三谷健太が『土御門オレは男無しにはやっていけない色情狂だ』と口走っていたぞ」
健太と佐古田は、腹の中を探り合ううちに、お互いが勝手な拡大解釈をし、妄想をドンドン膨らませていたに違いなかった。
憤りの塊が喉元にせり上がって喉仏が焼け付く。
拳の震えが止められない。
「お前は男狂いの上に、とんだシリアルキラーだ。子どもの頃、芹沢を殺って性癖に目覚めた。フルコンタクトの空手に打ち込んだのも、相手をブチのめす快感のためだ。半グレの仲間入りをしてからは、暴力をエスカレートさせていった。男を嬲り殺したい欲求を、なんとか押さえていたが、刑事という、最も疑われにくい立場になったことで、とうとう歯止めが利かなくなったんだ」
暗い憎しみを焼き印のように押し付けてきた。
「出任せを言うな」
言葉が裏返る。
体全体がカッと熱くなる。
「執念こそが一流の刑事の条件だ。まだレイセイ(令状請求)してオフダ(令状)が出るほどの証拠は無いが、必ずつかんでみせる。もちろん一人の犯行だと思っていない。半グレだったお前には、金で動かせる仲間なんぞいくらでもいるだろ」
佐古田はオレの動揺を見逃すまいと視線を外さない。
目の奥をのぞき込んでくる。
「オレがどうしてシュンや健太を殺さなきゃならないんだ」
「好みの男だからだろ? お前にとっちゃ、『愛してる』は『嬲り殺したい』とか『食ってしまいたい』って意味だろ」
憤怒をあらわにした顔は、醜悪そのものだった。
椅子を蹴って立ち上がった。
椅子が壁にぶつかる音が室内に響く。
「やる気か。人形みたいな澄ました仮面をひん剥いてやる」
佐古田が黄ばんだ歯を獅子のようにむき出す。
机を飛び越える。
佐古田の頬にパンチを食らわせた。
「図星だったな」
佐古田がいきり立って突進してくる。
半身を開いてさばく。
狭い取調室の中で睨み合った。
そのときドアが開く音がした。
「二人とも、何をしているのですか」
静かに立つ長身があった。
日向は、スルリと身を滑り込ませると、後ろ手にドアを閉めた。
「来たな。アンタと警視総監との深い仲は百も承知だ」
佐古田の言葉に、日向の整った眉がピクリと動いた。
「ア~、どいつもこいつも、ドヘンタイのカマ野郎ばかりで、ヘドが出らあ。日向管理官どの、アンタだって、ただじゃ済まない。必ず事件の真相を暴いてやる。三十四年間の察官生命を懸けてな」
まくし立てると部屋を出て行った。
荒々しい足音が廊下を遠ざかっていく。
「日向は佐古田と芹沢の関係を知っていたのか?」
「ハイ。佐古田の希望でペアを組むと知って、すぐに調べました」
日向が右の眉をクイッと上げた。
「コレはわたしの想像ですが……」
シミだらけの天井に目をやりながら言葉を継いだ。
「佐古田は、芹沢のことを、武士の世界でいう念者と若衆といった、男色的な意味で好いていたのでしょう。佐古田にとって芹沢は掛け替えのない人物だった。だから捜査を誤ったのです」
「何が何でもオレのせいにしようと曲解に曲解を重ねるなんて、佐古田は狂ってる」
芹沢が佐古田を慕っていたことは確かだが、佐古田の哀れな一人相撲だったろう。
佐古田の死体が発見されたのは、その日の午後、三谷健太が発見された部屋からだった。
オレも臨場したが、アイスピックの先端を胸に当て、そのまま倒れ込んで、自分の体重で心臓まで到達させていた。
目をカッと見開き、無念の表情に見えた。
握りしめられた柄には佐古田の指紋しかなく、アイスピックはバーに残されていた備品だった。
検視によって、死亡時刻は姿をくらませた直後と判明した。
喉仏には損傷すら無かった。
心労と極度の肉体疲労によって重度の鬱状態に陥り、発作的に自死したという見立てに誰もが納得した。
オレに疑いを抱く者は多かった。
特捜本部内で、いよいよ浮いた存在になったが、意に介せず独自に捜査を続けた。