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第17話 日向にすべてを見られていた

 五月三十日、その夜の捜査会議は全員出席が義務づけられ、中島理事官の口から、特捜本部が大幅に縮小される旨、発表された。


 オレと日向も、任務から離れることになったが、到底納得できなかった。



 オヤジの意向に違いない。

 針のムシロに座らされている我が子を救い出すためというより、自棄になって何をしでかすか心配になったに違いない。


 ざわめきが止まない講堂から飛び出した。

 日向が追ってくる。


 時刻は二十三時を過ぎていた。 


「オヤジに直談判してやる」


「この時間だとまだ……」


 多忙を極めるオヤジはまだ本庁にいると聞いて、すぐさま押し掛けた。






「では、十分だけということで」

 日向は、ドアをノックし、オレの来訪を告げてから丁重にドアを開いた。


 人払いされた警視総監室に足を踏み入れた。 

 日向が静かにドアを閉めて退出する。


 制服に身を包んだオヤジに、思わず気圧されそうになった。


「オヤジ、なぜオレを外した」

 大股でツカツカと詰め寄った。


 近付いて見たオヤジの顔は、何の表情も読み取れない人形のようだった。


「そんなにオレが信用できないのか」

 オレの言葉に、オヤジは眉をしかめた。


「信用云々ではない。独自に捜査すればいい。しかし、必ず二人で行動しろ」

 切れ長な眼の奥に揺らぎが見えた。


「それは……もしかして、オレがシリアルキラー野郎に狙われる恐れがあるということか」

 デスクに手を突いてグッと身を乗り出した。


「大いにな」

 オヤジは苦々しげに言った。


「オヤジは何かオレに隠しているのじゃないか」

 少し目尻に皺がある、同じ形をした切れ長な目を睨んだ。


「いずれ分かる」

 オヤジはあくまで静かな口調だった。


「分かった。もういい」

 バンと音を立ててドアを閉めた。


 待っていた日向が、オレの背中にそっと手を触れてきた。


「触るな」

 力いっぱい振り払った。








 翌五月三十一日の早朝、日向とともに自宅マンションに戻った。


 定家葛は駐車スペースにまで広がっていたが、日向はもう見ようともしなかった。 




 鬱々とした気持ちのまま、自室の鍵を開けた。 


 部屋中、気紛れで買い込んだ運動器具が散乱している。

 足で部屋の隅に押しやって動線を確保した。


 冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、かろうじて見えるようになった床に座った。

 冷たい水が喉を潤していく。


 秋霜烈日の権化と言われるオヤジは敵が多い。

 逆恨みしたサイコの復讐はあり得た。


 嫌がらせの総仕上げとしてオレが狙われると、オヤジは考えているのか。

 それがまだ先であるなら、次は誰がマルガイとなるのか。

 見当がつかなかった。


 今日はゆっくり休もう。

 近所のコンビニに向かうことにした。




 久しぶりにスニーカーを履いた。

 特捜本部入り以来、履いてなかったと、心の中でため息をついた。


 休日には必ず廃墟探索に出掛けていた。

 現地まではスニーカーで行き、ウキウキしながらコンバットシューズに履き替えたものだった。


 古びた薬の瓶が散乱し、人体実験を行っていたのではと思える、廃病院の手術室

 遊園地跡地に残された、色あせたジェットコースターに映える夕日の色

 炭鉱に残された、ススキの原越しに見た高層アパート

 使命を終えた車やバスが、草むらに放置されて自然に還る姿


 さまざまな光景が、アート写真のように蘇って胸を熱くする。


 何もかも忘れて廃墟探索に行きたい。

 今すぐ……という気になって、そんな場合じゃないと苦笑した。





 途中、誰かが尾行している気配を感じ、隠れて待ち伏せしてみたり、急に立ち止まって引き返したりしたが、結局、尾行者の姿を目にすることができずに終わった。



 食料と缶チューハイ二缶を買い込んでマンションに戻ると、管理人夫婦が二人して、刈り取った定家葛をポリ袋に詰め込んでいる最中だった。


「坊ちゃん、日向さんとご一緒じゃなかったですか」

 女性管理人が声を掛けてきた。


「エ?」


「坊ちゃんが出て行かれてすぐ、追っ掛けるように出掛けられましたけど」


「出会わなかったな。用事があればスマホに電話してくるだろ」

 答えながらマンションの中に入った。


 いつも通り、内階段を四階まで軽快に駈け上る。


「日向の分の缶チューハイも買ってやったのに、留守なら仕方ないな」

 つぶやきながら自室のドアの鍵を開けて室内に入った。


 エアコンをつけてから、急いで浴室に向かった。

 ボディソープで体の隅々まで念入りに洗う。



 長袖のTシャツとジャージのズボン姿になって、冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。


 シーツがよれたままのベッドに腰を掛ける。

 缶チューハイを開けると小気味いい音がした。



 このところ、アルコールと無縁な生活だったせいで、酔いの回りが早い。

 身体がリラックスするにつれ、ある場所が存在感を増していった。


 欲求には抗えない。


 自身を慰め始めたが、なかなか一点に集中できなかった。

 だが続行するしかない。



 汚らしい行為をする汚れた自分。

 快感なのか、苦痛なのかさえ分からなくなる。


 ようやく解き放つと、あとは虚無が訪れた。

 疲労感だけが残った。


 もう一缶のチューハイもゴクゴクと飲み干した。



 小用に立って部屋に戻ろうとしたとき、床に置いたダンベルに足を引っ掛け、つまずきそうになってテレビモニターの台に手をついた。


 乱雑に載せられていたモノが、フローリングの床にバラバラと散った。




 見慣れないボールペンが目に入った。

 ペンの芯を交換する部分以外に、回転する箇所がある。

 回して下部を切り離すと、USBポートが現れた。


 コンセントタップを分解すると、盗聴器どころか、盗撮機器が組み込まれている。 

 照明器具の裏からも見つかった。



 日向の顔が浮かんだ。

 合い鍵を預けていたから、何でもやり放題である。


 尾行していた気配も思い違いではなかった。

 忠刻への点数稼ぎのために、日常生活まで見張っていたのだ。




 すべてを見られ、聞かれていた。

 全身の血が逆流する。


 恥ずかしさで転げ廻りたくなった。



 ドアを開けて裸足で廊下に出た。


「オイ! 日向。どういうことだ」

 チャイムを鳴らし、ドアをガンガン蹴った。

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