五月三十日、その夜の捜査会議は全員出席が義務づけられ、中島理事官の口から、特捜本部が大幅に縮小される旨、発表された。
オレと日向も、任務から離れることになったが、到底納得できなかった。
オヤジの意向に違いない。
針のムシロに座らされている我が子を救い出すためというより、自棄になって何をしでかすか心配になったに違いない。
ざわめきが止まない講堂から飛び出した。
日向が追ってくる。
時刻は二十三時を過ぎていた。
「オヤジに直談判してやる」
「この時間だとまだ……」
多忙を極めるオヤジはまだ本庁にいると聞いて、すぐさま押し掛けた。
「では、十分だけということで」
日向は、ドアをノックし、オレの来訪を告げてから丁重にドアを開いた。
人払いされた警視総監室に足を踏み入れた。
日向が静かにドアを閉めて退出する。
制服に身を包んだオヤジに、思わず気圧されそうになった。
「オヤジ、なぜオレを外した」
大股でツカツカと詰め寄った。
近付いて見たオヤジの顔は、何の表情も読み取れない人形のようだった。
「そんなにオレが信用できないのか」
オレの言葉に、オヤジは眉をしかめた。
「信用云々ではない。独自に捜査すればいい。しかし、必ず二人で行動しろ」
切れ長な眼の奥に揺らぎが見えた。
「それは……もしかして、オレがシリアルキラー野郎に狙われる恐れがあるということか」
デスクに手を突いてグッと身を乗り出した。
「大いにな」
オヤジは苦々しげに言った。
「オヤジは何かオレに隠しているのじゃないか」
少し目尻に皺がある、同じ形をした切れ長な目を睨んだ。
「いずれ分かる」
オヤジはあくまで静かな口調だった。
「分かった。もういい」
バンと音を立ててドアを閉めた。
待っていた日向が、オレの背中にそっと手を触れてきた。
「触るな」
力いっぱい振り払った。
翌五月三十一日の早朝、日向とともに自宅マンションに戻った。
定家葛は駐車スペースにまで広がっていたが、日向はもう見ようともしなかった。
鬱々とした気持ちのまま、自室の鍵を開けた。
部屋中、気紛れで買い込んだ運動器具が散乱している。
足で部屋の隅に押しやって動線を確保した。
冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、かろうじて見えるようになった床に座った。
冷たい水が喉を潤していく。
秋霜烈日の権化と言われるオヤジは敵が多い。
逆恨みしたサイコの復讐はあり得た。
嫌がらせの総仕上げとしてオレが狙われると、オヤジは考えているのか。
それがまだ先であるなら、次は誰がマルガイとなるのか。
見当がつかなかった。
今日はゆっくり休もう。
近所のコンビニに向かうことにした。
久しぶりにスニーカーを履いた。
特捜本部入り以来、履いてなかったと、心の中でため息をついた。
休日には必ず廃墟探索に出掛けていた。
現地まではスニーカーで行き、ウキウキしながらコンバットシューズに履き替えたものだった。
古びた薬の瓶が散乱し、人体実験を行っていたのではと思える、廃病院の手術室
遊園地跡地に残された、色あせたジェットコースターに映える夕日の色
炭鉱に残された、ススキの原越しに見た高層アパート
使命を終えた車やバスが、草むらに放置されて自然に還る姿
さまざまな光景が、アート写真のように蘇って胸を熱くする。
何もかも忘れて廃墟探索に行きたい。
今すぐ……という気になって、そんな場合じゃないと苦笑した。
途中、誰かが尾行している気配を感じ、隠れて待ち伏せしてみたり、急に立ち止まって引き返したりしたが、結局、尾行者の姿を目にすることができずに終わった。
食料と缶チューハイ二缶を買い込んでマンションに戻ると、管理人夫婦が二人して、刈り取った定家葛をポリ袋に詰め込んでいる最中だった。
「坊ちゃん、日向さんとご一緒じゃなかったですか」
女性管理人が声を掛けてきた。
「エ?」
「坊ちゃんが出て行かれてすぐ、追っ掛けるように出掛けられましたけど」
「出会わなかったな。用事があればスマホに電話してくるだろ」
答えながらマンションの中に入った。
いつも通り、内階段を四階まで軽快に駈け上る。
「日向の分の缶チューハイも買ってやったのに、留守なら仕方ないな」
つぶやきながら自室のドアの鍵を開けて室内に入った。
エアコンをつけてから、急いで浴室に向かった。
ボディソープで体の隅々まで念入りに洗う。
長袖のTシャツとジャージのズボン姿になって、冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。
シーツがよれたままのベッドに腰を掛ける。
缶チューハイを開けると小気味いい音がした。
このところ、アルコールと無縁な生活だったせいで、酔いの回りが早い。
身体がリラックスするにつれ、ある場所が存在感を増していった。
欲求には抗えない。
自身を慰め始めたが、なかなか一点に集中できなかった。
だが続行するしかない。
汚らしい行為をする汚れた自分。
快感なのか、苦痛なのかさえ分からなくなる。
ようやく解き放つと、あとは虚無が訪れた。
疲労感だけが残った。
もう一缶のチューハイもゴクゴクと飲み干した。
小用に立って部屋に戻ろうとしたとき、床に置いたダンベルに足を引っ掛け、つまずきそうになってテレビモニターの台に手をついた。
乱雑に載せられていたモノが、フローリングの床にバラバラと散った。
見慣れないボールペンが目に入った。
ペンの芯を交換する部分以外に、回転する箇所がある。
回して下部を切り離すと、USBポートが現れた。
コンセントタップを分解すると、盗聴器どころか、盗撮機器が組み込まれている。
照明器具の裏からも見つかった。
日向の顔が浮かんだ。
合い鍵を預けていたから、何でもやり放題である。
尾行していた気配も思い違いではなかった。
忠刻への点数稼ぎのために、日常生活まで見張っていたのだ。
すべてを見られ、聞かれていた。
全身の血が逆流する。
恥ずかしさで転げ廻りたくなった。
ドアを開けて裸足で廊下に出た。
「オイ! 日向。どういうことだ」
チャイムを鳴らし、ドアをガンガン蹴った。