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第20話 油絵に描かれた女

 広々とした庭は、定家葛の絨毯だった。

 柔らかな感触は、雲の上を歩いているように不確かである。



 一階バルコニーの壁際にバッグを置き、軍用タクティカルベストを着て、軍用パンツに履き替えた。

 コンバットシューズに履き替えて、手には防刃ケプラー製グローブをはめる。

 どれもが花房を倣って買いそろえたベストアイテムだった。




 屋敷に沿って歩き、死へと向かう景観を楽しむ。

 屋敷の壁にも柱にも定家葛が絡み付いているが、まるで優れた庭師が配したように、洋館の美を際立たせていた。


 土蔵にも足を向けた。

 大きな錠前が下されていて、何が収められているのか、窺い知ることができなかった。




 風が強くなってきた。

 繁茂した定家葛が波打つ。

 葉同士が擦れ合う、ハタハタハタという音が大きく響いてくる。




 雨がポツポツ降り出したと思うと、たちまち雨足が強まり、バラバラと大きな音を立てて屋根を叩き始めた。


 どこかに開くドアはないかあちこち試してみた。


 軒伝いに玄関のドアに向かった。

 ドアノブに触れる。 


 待っていたように音も無く開いた。

 荷物を玄関から押し込み、内部をLEDライトで照らした。


 家の中にまで定家葛が侵入し、床は緑と白の絨毯と化していた。

 ほころんだ蕾から放たれるジャスミンに似た花の香りに咳き込む。


 ホールの壁には、五十号ほどありそうな油絵が掛けられていた。

 重厚な意匠の額縁に収められている。


 豪華なドレスをまとった若い女性が描かれていた。  

 歴代女当主の誰かだろう。



 額の下に、小ぶりな椅子が一脚ポツンと置かれている。

 激しい雨風の心地好い音色を聞きながら、椅子に身をゆだねた。



 インチキ臭い家系だと思い込んでいたが、歴史の重みを実感すると、見直す気になった。


 月の姿を表す月影

 日本神話に出て来る神の名を持つ月夜見

 月の光を意味する月華

 月の出に東の空が白んでいくさまの月白

 水に映った月、水月


 表舞台に登場することなく、その時々の支配階級に大きな影響力を及ぼしてきた歴代当主の面影が、時の重みとともに迫ってきた。



 自由が丘の屋敷に残っている歴代当主の写真が皆、オフクロと似ていたことを思い出し、肖像画をジックリと見直した。

 確かに、他では類を見ない、狐に似た不思議な顔立ちだった。




 嵐の音は廃墟に似合う。

 仄暗い夢想の翼を広げれば、背筋がゾクゾクした。


 怪異現象が起こるとは微塵も思っていない。

 だから、真の恐怖は無かった。




 目の隅に何か動く物を感じて目を向けた。

 淡い影が回り階段を上っていく。


 芹沢良一が死んだ日、マンションの階段をこんな影が上って行った。


 オカルト的なことを否定した上での、髪の毛の根がキュッと締め付けられる、得体の知れない恐怖がたまらない。




 足元に置いていたLEDライトの灯りを消した。

 嵐の音に耳を傾けながら、廃墟と同化する。

 至福のときを味わうつもりだったが……。


 玄関ドアのすりガラス越しに、チラリと明かりが見えた。


 ドアを薄く開けてみた。


 嵐の中、坂を上って小さな灯りがいくつも近付いてくる。


 輪郭が鮮明な恐怖を感じた。


 島民たちが、ゆっくりした足取りでこちらに向かってくる。


 こんな嵐の中、なぜやってくるのか。

 余所者を排除するためという考えが頭に浮かんだ。



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