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第21話 黒髪を結い上げた、闇をまとう女

 前庭に、黒い影たちが次々、姿を現す。


「ぬかりなすな。生け捕りばい」

 古市の粘っこさを帯びた声がした。


「姫さまへん供物ばい」

 歯がみするような老女の声がする。


「多少ん怪我は構わん」

「息があればええばい」 

 鎌やモリを持っていることが、本気度をうかがわせた。


 急いでドアを閉めた。




 玄関ドアが真っ先に破られ、古市たちが侵入してくる。

 手に手に武器を持ってゆっくり迫ってくる。


 回り階段を駈け上って、二つ並んだドアの、向かって左側を開けた。

 身を滑り込ませ、ドアを閉じて内側から鍵を掛けた。 


 ライトに浮かび上がった部屋は応接室だった。

 暖炉のマントルピースには、古びた燭台の外に、螺鈿細工の箱が載っている。



 外開きの鎧戸が開いている窓を開こうとしたそのときだった。


 背後に気配を感じた。

 ライトで室内を照らす。

 暖炉の前に女が立っていた。


 闇纏う人だった。



 黒髪を夜会巻きに結い上げた女は、明治の頃、鹿鳴館で着られたような、豪華で古風なドレスを身にまとっていた。


 うつむき加減で、手にした何かをジッと見詰めている。

 顔はよく見えないが、伝わってくる圧が強い。


 定家葛の花の香りがひときわ濃くなった。


 ハッと息を呑む。


 あの看護師だ。

 同時に、三頭橋の上で健太を慰めていた女だと直感した。


 花房の事務所ですれ違った女の香り。

 あれは定家葛の花の香りだった。


 永福寺でオレを見詰めていた女警。

 マンションの敷地ですれ違った女……。


 すべて同じ女だ。


 日向が口走った『千姫を模った生人形』

 人ならぬものが、この世に存在した。


 ぎこちない動きでゆっくりと振り向いた千姫人形は、螺鈿細工の箱を抱えていた。


 箱の中には、白っぽい石がいくつも収められている。

 宝石のようにコレクションされた石は二十ほどあった。


 人形は誰かに似ていて誰にも似ていなかった。


 美女という抽象的な概念が創り出した人形ひとがたに見えた。


 千姫人形は箱の蓋を閉めて、優雅な手付きで暖炉のマントルピースの上に戻した。  


「土御門一博、よう来たの」

 玉を転がすような、あるいは鈴を鳴らすような美声だった。


「ゆるりとしやれ。ほほ」

 朱の口が開く。


 常識が、カラカラと音を立てて爪先から崩れていく。


 ベランダに飛び出し、張り出した屋根に飛び降りた。

 雑木林に逃げ込み、ライトを頼りにくねった道を駈ける。



 古市らが迫る。

 迷路のような小道を、人家の庭を、全力で駆け抜ける。


 どこもかしこも緑の海。

 定家葛の呪縛から抜けられない。

 花の香りから逃れられない。




 いつしか島の反対側に来ていた。

 目の前には、港側と全く異なる底知れない海があった。

 ガラス片が刺さったように、胸、喉が痛い。


 岩場も砂浜も定家葛の色に染まっていた。


「鬼ゴッコはここまでにせぬか」

 千姫人形が仄暗い波打ち際に立っていた。



「そう、そう。お前は特別ゆえ、慰む前に見せてやろうかの」

 割けた口元から、真珠色の歯がこぼれる。


「エッ?」

 オレの指がシッカリとあの本をつかんでいた。

 付箋がいくつもはさまっている。


「今からどのようにもてなしてやるか、教えてやろうぞ」


 手からもぎ取られるように本が宙に逃れ出す。

 小さな破裂音とともにバラバラになって風に舞う。



 十六世紀ころの車刑で、車輪やこん棒で全身の骨を折られた後、生きたまま車輪にくくりつけられてさらされる罪人の図



 聖人シモン(ペテロ)の殉教図で、逆さ磔にされ、ノコギリでゆっくり体を割かれていく図


 手足をそれぞれ四頭の馬につなぎ、別方向へ走らせる、四肢が引きちぎられ、苦痛のうちに絶命する処刑の図


 一枚、また一枚、コレ見よがしにオレの目の前をゆっくりと漂っていく。


「じゃが、別のいたぶり方にしようぞ。あらかじめ知っておれば、どのくらい耐えれば、死んで楽になれると見当がつくゆえ、面白うないからの。ホホホ」


 千姫人形の無邪気な笑みに邪悪さは無かった。


「アッ」

 足元の砂地に這う蔓が、生き物のように、足にまとわり付いてきた。


 引きちぎっても引きちぎっても、ブーツの上から這い上がり、軍用パンツを履いた太ももに吸い付く。

 強い力に引かれて、定家葛の海に倒れ込んだ。


「可愛ゆいのう」

 シャラシャラとドレスの裾を鳴らしながら、千姫人形が迫る。


 古市らに取り囲まれた。

 渾身の力であらがうオレを、無数の腕が押さえつける。 

 人間の力ではなかった。

 たちまち麻縄で縛り上げられた。


「喉仏の大きさまで忠刻どのと同じとはの」

 ツツーッと喉仏の辺りを、愛おしげに撫でられた。

 華奢な指は温もりが無かった。


「あの螺鈿の箱のじゃがの。毎夜、一つひとつ手に取って、愛おしい記憶をたどりながら、慈しんでおるのじゃ」


「男の喉仏のコレクションとは、悪趣味だな」


「ホホ。楽しみ甲斐のある、美しい男の『証』しか集めぬがの」


「だから、佐古田は瞬殺して、喉仏を奪わなかったのか。あの芹沢も……?」


「虫ケラのことなど覚えておらぬの」

 扇子を口元に当てて優雅に笑った。




「わらわは悔しいのじゃ。根も葉も無い下衆な噂に苦しめられたゆえ、どうせなら、噂通りのことをしてみせんと心に誓うたのじゃ」

 千姫人形はフリを続ける。 


「お前は知らぬかも知れぬが、わらわはの……」

 切々と語り始めた。


 ――豊臣秀頼の室であった千姫は、大坂城落城後、美丈夫で名高い本多忠刻に嫁し、仲睦まじく暮らしていたが、忠刻とも年若くして死別した。


 その後は、泰平の世を築く礎になろうと、力を尽くしたにも係わらず、夜な夜な御殿に美男を招き入れて殺害を繰り返すさまを描いた錦絵や浪曲が作られ、『吉田通れば二階から招く、然も鹿の子の振袖で』という童謡になるほど広く信じられた――と。




「そなたは餌じゃ。わらわの切なる望みが叶えられるためのな」


「オレが餌? どういう意味だ」          

 オレの問いに答えず、千姫人形は歌うように話し始めた。

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