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第22話 忠刻どのソックリなお前をどのように料理するかのう

「わらわはの。二十五年前の六月一日、忠刻どのと出会うたのじゃ」

 千姫人形の優雅なドレスの裾が、艶めかしく波打つ。


「悪さが過ぎたと封印されて、土蔵で深い眠りについておった。二度と目覚めぬはずじゃったが……」   

 何も表していない瞳の奥がふいに揺れる。


「忠刻どのと出会うた刹那、わらわは目覚めた。心ノ臓がかすかに鼓動を打ち始めた。じゃが、ほんの微かなものじゃった」  

 空虚な人形は遠い昔を懐かしんでいるような目をした。


「人と化し、さらにかつての力を取り戻すには、五年という歳月が掛かった」

 千姫人形が顔を寄せてきた。


「わらわは、忠刻どのにお目に掛かるべく、島を後にした。封印されてから百十年余り経っておった。わらわがこの世で唯一恐れた月夜見も、壁に掛けられた一枚の絵でしかなく、月夜見、月華、月白から水月へと代替わりしておった」


 ひとつ息を継ぐような仕草をしたと思うと、

「水月との間にそなたが生まれておったことは、痛恨の極みであった。人形に子は産めぬ。わらわは悔しゅうて悔しゅうての」

 身もだえしながら、小ぶりな白い歯をむき出した。


「わらわは、忠刻どのが一人でおられる折に屋敷を訪ねた。地下室で一人、書物を読みふけっておられた忠刻どのは、常軌を逸した女人が侵入したと決めつけられた」

 何も映さない瞳の奥が微かに揺れる。


「わらわが目覚めたと知った水月めは、それ以来、忠刻どのから目を離さぬようになりおったのじゃ」

 千姫人形は唇をかんだ。


「オフクロが育児放棄した時期と符合するわけか」


「忠刻どのを遠くからながめるしかなかった。この島の内ならともかく、水月の霊力は侮れぬ。もどかしさばかりが募った」


 定家葛の純白の蕾がいっせいに身を震わせる。


「憂さ晴らしをしてみたが、心が晴れるわけもない。ついに、わらわは心に決めた。忠刻どのと結ばれさえすれば塵となることも厭わぬと」

 麗しい生人形は、一筋こぼれた後れ毛をかき上げた。


 日向が言い掛けていた『生人形は、思いを遂げると……』の続きがこの事だったと、すべてつながっていく。


「水月めの隙を狙い、忠刻どのに会いに参ったものの……『蟷螂の斧』もあなどれぬ。不覚を取って姿をくらますしかなかった。ええい、思い出すだに口惜しい」

 真珠のような歯がギリギリと音を立てた。


「こたびは、思いを遂げさせねば、そなたを、この上なく惨い手段で、この世から消し去ってやる、そなたが二十四となった年の内にな、と告げたのじゃ」

 千姫人形の深い睫毛が震える。


「それが二〇一九年だったのか」


「そうじゃ。九月であったの」


「オヤジとオフクロは、オレを目の届く範囲に置いて守ろうとしたのか。なのにオレは……」


「お前は定家葛の呪縛で、まさに忠刻どのと巡り逢うた六月一日を期して引き寄せられたのじゃ」


「そんなことが……」

 自分の愚かさに唇を噛んだ。


「三人は、脅しを兼ねた『前菜』じゃ。少年のような男はの、ただただ恐れおののいて泣き叫んでおって愉快じゃった。ひとかどの悪党と思うた三十路は、思いの外、往生際が悪かったの。ま、それも人間らしゅうて、可愛ゆいところじゃが。で……健太と申す男は胆が据わっておった。それゆえ存分に時間を掛けて捌いてやったが、ついに泣きわめかせることはできなんだ。こたびはわらわの負けということになろうかの。ホホホ」

 歌うように話す薄い笑みに邪気は無かった。


 オヤジが心を殺して、人ならぬものを抱けるはずがない。

 要求が通るまで拷問が行われるだろう。


「夜は長い。まずは土蔵に運ぶかの」


 千姫人形の言葉に、島民たちが近付いてきた。




 縄をつかんで手荒く引き起こされる。


 大勢の手に押さえつけられ、神輿のように高々と担ぎ上げられた。


「わしらになぶらせてくれんね?」

 ゾッとする声を背中に感じた。


 古市の声だった。






 激しい雨は止んでいた。

 月は痩せ細って無いに等しかったが、運ばれながら目にする夜空には数えきれない星が瞬いている。


 死を乗り越える瞬間は恐怖なのか、安堵なのか。


 死の直前は脳内麻薬が出て、楽しく懐かしい思い出が次々蘇ると言われるが、オレの場合は、強敵をブチのめす快感や、心を持って行かれた廃墟の美しさくらいしかないと考えるうちに……。


 日向が作ってくれた、だし巻き玉子、肉ジャガ、カレーライス、豚汁に手作りコロッケ、体にいいからと必ず添えられていた酢の物など、家庭料理の味が舌に蘇ってきた。


 もう少し、美味そうに食ったり、少しくらいほめてやれば良かった。


 アレコレ考えている間に、砂地から岩場に差し掛かっていた。




「?」

 いきなり担ぎ手たちの動きが乱れた。

 砂地に下ろされる。

 というより落とされた。

 縛られたまま体を丸め、クルリと回転して片膝立ちになった。

 目を上げる。



 そこには島民たちと戦う日向の姿があった。

 闇と見紛う黒のスーツに、白のタートルネックのシャツが際立つ。


「日向、どうして来たんだ」

 オレの言葉には答えず、日向は果敢に戦う。


 手にしたコンバットナイフがひらめくたびに、島民たちが分解されていく。


 目の前に、古市人形が倒れ込んだ。

 オレを逃がすまいと、半身だけになった人形がつかみ掛かってくる。


 自由になる足で思い切り蹴った。

 頭部と、空洞の上半身が吹っ飛ぶ。

 古市人形は力尽きて動かなくなった。



「一博さん」

 日向が素早く、縄を断ち切ってくれた。




 島民の生人形たちは数体を残して生を失っていた。

 残る生人形たちは戦意喪失して遠巻きに突っ立っている。




「千姫人形、久しぶりだな」

 日向はオレをかばいながら、千姫人形と対峙した。


「ホホ。飼い犬が真っ先にはせ参じたとな。忠刻どのはいずこじゃの」

 まるで氷の上を滑るように、ゆっくりと近付いてくる。


「忠刻さんはこの島へは来ない。水月先生が引き留めておられる。改めて、島の外で戦うためにな」  

 日向は叩きつけるように言い放った。


「なんと! 忠刻どのが来られぬとな」

 千姫人形は岩に寄り掛かってヨヨと泣き崩れ、そのまま静止した。




 日向と視線が合う。


「バカ。どうして来たんだ」


「この前、約束したでしょ。今度また手料理をふるまうって」

 不敵な表情で、クイッとの眉を上げた。


「お前も相当なバカだな。T大出のキャリアさまだろ」


「心のままに生き直そうと誓ったんです」

 日向が笑みを返したときだった。





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