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第24話 千姫人形の父、鈴木茂吉の自分語り

「千姫、やめなさい」

 低い声が響いて、足音も無く近付いてくる気配がした。


 島民の持つ松明の火に、古びた作務衣を着た老人の姿が浮かび上がる。


 屋敷の地下室で見た陰気な老人だった。

 朝倉が『鈴木先生』と呼んでいたことを今になって思い出した。


「土蔵で眠っておられたはずが、どのように……」

 千姫人形の声は震えていた。


「水月さまにお救いいただいたのじゃ」


 日向は、救出のための時間稼ぎに、自分の命を賭けたのだ。


「水月が来ておるのなら、忠刻どのも一緒じゃな」

 途端に目の輝きが増す。


「残念ながら水月さまお一人じゃ」


「嘘じゃ、嘘じゃ。忠刻どのは、なぜ島へ来られぬのじゃ」



 柳眉を逆立てる千姫人形に、鈴木は柔らかな笑みを浮かべ、

「水月さまに、ぜがひでもお前と話をさせて欲しいとお願いしたのじゃ。まあ、わたしの話をお聞き」

 ゆったりとした口調で、千姫人形に語り掛けた。 


「ここからは、茂吉人形ではない、お前の父、鈴木茂吉が語るのじゃ。お前が知っておる話も含めて、いま一度、わしの気持ちをゆっくり聞いておくれ」


『わし』を茂吉、『わたし』を茂吉人形と、自称を使い分け始めた生人形は、急に、匠らしい風格と貫禄が備わって見えた。



 千姫人形は小首をかしげた。

 奇妙な幼さを感じさせた。



「わしは間違っておった」

 茂吉人形は、超然とした表情で、ゆったりと話し始めた。


「月光院に納められた谷汲観音像は、夜な夜な厨子から抜け出すようになった。僧侶の読経程度ではいかんともしがたく、月影さまの霊力におすがりすることとなったのじゃ。で……」


 ――月影は、亡き薫の生まれ育った屋敷に戻してやるよう説き、池田家に戻った谷汲観音像がふたたび動き出すことはなかった。


 月影に同行していた、五歳の月夜見は、茂吉の才能に惚れ込んだ。


 二十一歳で代替わりした月夜見は、島に逼塞していた茂吉を訪ね、援助したい旨を申し入れた。


 月夜見は島を買い取り、別荘と、工房として使わせるための土蔵を建てた。


 明治二十年六月一日、月夜見が初めて島に渡ったとき、真っ先に目に飛び込んだのが、島全体に自生する定家葛の白い花だった。

 西小島という名だった島は、月夜見の発案で定家葛島と名を改められた――


「わしは、運命に弄ばれた哀れな千姫を、またとない美女としてこの世に蘇らせたいと考えた」

 茂吉人形は落涙をこらえるように星空を仰いだ。


 千姫人形は身じろぎせず、虚無の目で、ジッと生みの親の言葉に聞き入っている。


「わしは美女を求めて日本中くまなく旅した。さまざまな美女の面影を重ね合わせて、ついに、誰よりも美しい姿形を持つお前を作り出した」


 誰かに似ているようで、誰にも似ていない理由が分かった。


「わしはお前の側を片時も離れず、わずかに付いた埃を払い、常に語り掛けた」  


 茂吉人形は、生人形同士の世界に入り込んでいる。


「お前が動き始めたとき、『活けるがごとき生人形ではなく、真に命を持った生人形を作り出せた』と、天にも昇る心地じゃったが……」


 まだまだ茂吉人形の一人語りは続きそうだった。


「お前は土蔵を飛び出し、いきなり荒い海に身を投げた。まさしく、この岩場からじゃ。事の次第を聞いた月夜見さまは『コレは大事になろう』とおっしゃった。そのときは、月夜見さまのおっしゃる意味が理解できなかったがの」


 千姫人形は、百三十四年前というはるか昔の出来事に思いを馳せているように見えた。


「歌舞伎の女形が惨い殺され方をした。月夜見さまは千姫人形の仕業と申されたが、わしは信じなかった。それからまた一年経って、美男の書生、さらにまた翌年にも第一高等中学校に通う美少年が、無惨な死体となって見つかった。どの男の喉仏もえぐり取られておった。何かの間違いじゃ。あの清らかな人形が邪悪な心を持つわけがないと、わしは気が狂わんばかりに懊悩した」

 胸をかきむしりながら声を絞り出したが、芝居がかっていた。


「しかし、ついに認めざるを得なかった」

 茂吉人形はよろけるように足を踏み出した。

 千姫人形のガラス細工の瞳が動きを追う。 


「わしの心の奥に、己の生人形が、真の美と認められなかった、喜三郎は大いに評価されたのに、このわしは全く顧みられなかったという、世の中への深い恨みの念があったからじゃろう」

 茂吉人形は一つ、大きく息を吐いた。


「明治二十二年、ようやくお前を見つけることができた。六人目を殺める直前じゃった。で……」


 千姫人形が初めて、茂吉人形の言葉をさえぎった。

「わらわが父上をお慕いする気持ちを逆手に取って、あの憎き月夜見と力を合わせて封印なされた」

 恨めしげな目で茂吉人形を見た。

 だが、声音のどこかに、父親への甘えに似た響きが感じられた。


「恨むでない。なぜすぐさま焼き払われずに済んだか。少しは感謝せぬか」

 茂吉人形は話を続けた。


 ――千姫人形を封印したのは明治二十二年、茂吉六十三歳、月夜見二十三歳のときだった。

 月夜見は、すぐさま焼き捨てようとしたが、茂吉は、どうか焼かないで欲しいと、孫のような歳の月夜見に取りすがって、身も世もなく懇願した。

 ただの人形に戻ったのだから、土蔵にしまっておけば十分ではないかと、切々とかき口説いた。


 月夜見はついに折れた。

 封印が解けるはずがないとの自信もあったのだろう――と。


「動かぬお前と暮らし、そのまま静かに余生を全うして終わるはずじゃったが……」

 茂吉人形は、皺の深い目を瞬かせる。


 千姫人形も茂吉人形も二体だけの世界に、どんどんのめり込んでいった。


 ――明治二十三年(一八九〇)後半になると、急に体調を崩し、先の短さを自覚するようになった。

 自分が命を終えれば、千姫人形の世話をする者はいなくなる。

 一代の傑作を朽ち果てるに任せるのはもったいないという欲が湧いてきた。


 月夜見に相談し、自分の生人形を作ることにした。


 翌年、茂吉は、千姫人形に一つの願掛けをして、心静かにこの世を去った。

 入れ替わりに、土蔵にしまわれていた茂吉人形が生を得た。


 茂吉人形は、島民の目を避けて土蔵の中で暮らした。


 くすんでいく肌を何度も塗り直し、朽ちていく木の部材や針金を取り替え、古びた衣装を新調して着せ直して、百五年もの間、黙々と守り続けてきた。

 島民が死に絶えた島をさせもした。


 当初の千姫人形は、幾重にも重ねた小袖に、豪華な打掛を羽織り、髪型も御所風だったが、屋敷に似合う、鹿鳴館風のドレス姿に改めたのは、茂吉人形の好みだった――


「ありがたかったと思うておる。この美貌を保ってくれたのじゃからの」

 千姫人形のシミジミした口調は、真の親子の情を思わせた。


「水月は、合力させるべく、そなたを救い出したのじゃろうが、そうはいかぬぞ。あの折は真の父上であったがゆえに、情に動かされて不覚を取ったがの」


 狂った人形は、息が漏れるような声音で吐息をつくと、

「そなたが懸命に父上を演じておるゆえ、つい懐かしゅうなって、昔話を聞いてつかわしたが、もう茶番はやめにしようぞ」

 突然、ケタケタと笑い出した。



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