「待ってくれ。オレにも納得できるよう、詳しい経緯を教えてくれ」と間の手を入れた。
「所望とあらば、お前の父とのなれそめを、子細に語ってやらぬでもない」
レースの付いた扇子を半ば開いて、ヒラヒラと顔に風を送った。
滑るように、スーッと迫ってくる。
「ほんに、あの日の忠刻どのと瓜二つじゃ。似ておるのは表の皮一枚で、中身はまるで不出来じゃがの」
指で太ももをなで上げられた。
頑丈な軍用パンツがスパッと裂け、鋭い痛みが走った。
裂け目から体温の無い指が侵入し、まさぐり、うごめく。
「忘れもせぬあの日、暗く湿った土蔵の扉が開いた。吹き込んだ風が、男の香りを運んできて、水中から引き上げられるように、わらわの意識が蘇った。わらわは動かぬ目の玉を懸命に動かした」
オレの髪の先からしたたる汗を、美味そうにペロリと舐め取ってから、言葉を続ける。
――男はもどかしいほど、ゆっくり歩み寄ってきた。
「こりゃすごい。土蔵というより工房だな」
声は明るく弾んでいた。
聞き覚えのあるこの声はもしや、もしや……。
ジリジリしながら待った。
男は土蔵の最奥まで来た。
懐中電灯の光がアチコチ動き回る。
千姫人形の前でピタリと止まった。
「エッ」
感嘆の声を上げた男は、まさしく本多忠刻そのひとだった。
喉仏の大きさまで同じじゃ。
忠刻どのの生まれ変わりに相違ない。
生身の人間なら、歓喜と懐かしさと切なさに、叫び、取りすがったろう。
だが、人形はただジッとたたずんでいるしかなかった。
「すごい。コレが生人形っていうのか」
うわずった声の初々しさも、出会った頃の若き本多忠刻その人だった。
「忠刻先生ったらぁ、こんな所におられたのですか~」
若い女の甘ったれた声がした。
狐のような顔をした醜い女が小走りに駆け寄り、忠刻の広い背中にピタリと身を寄せた。
瞬時に理解した。
土御門家の血を受け継ぐ、忌むべき女だと。
嫉妬の炎がメラメラと燃え上がった。
「先生、ずいぶん探しましてよ。気付いたらお姿が見えなくなっていたのですもの。私、本当に驚いてしまいましたわぁ」
上品ぶったあざとい言葉遣いから、卑しい媚びが浮かび上がる。
「水月ちゃん、コレが、前に言っていた千姫人形なの?」
忠刻の声はあくまで柔らかだった。
「え、ええ」
女はか細い声で短く答えた。
忠刻は千姫人形の周りを回って、あらゆる角度から鑑賞し始めた。
わらわが分かりませぬか、とどれだけ言いたかったことか。
だが、わずかに動く瞳で見詰めるしかなかった。
ハタと目が合った。
生身の人と思えない形の良い瞳が、目の奥をのぞき込でくる。
わらわの瞳の奥には空洞だけが広がっておる。
目を背けたくなった。
どれだけ見詰め合っていただろう。
転生した本多忠刻公との時空を越えた逢瀬と感じたが……。
「なるほどって感じだね」
忠刻は、水月のほうを向いて、快活な笑みを浮かべた。
男が愛する人だけに見せる柔らかな笑みだった。
水月が恥じらいをこめた仕草で、忠刻の腕にソッと細い腕を絡めた。
「こんな美女が実在したら怖いな。顔のすべてが完璧なシンメトリーだなんて、作り物だからこその美だよね」
忠刻のクッタクの無い笑い声とともに、二人はピタリと寄り添いながら出ていく。
かつての忠刻どのはわらわを見詰めてあのように微笑んでくださった。
じゃのに、今はあのような醜女に……。
なにゆえ、わらわが分からぬかと、どれだけ口惜しかったことか――
千姫人形は遠い目をした。
オレは矛盾に気付いて苦笑した。
本多忠刻の通称は平八郎で、忠刻は諱である。
諱は忌名とも呼ばれ、主君や親以外、軽々しく呼べない。
真の千姫なら、忠刻どのと呼ぶことはあり得なかった。
生人形が語る身の上話は、史実と異なるいい加減なものだった。
だが、人形にとっては真実だろう。
生人形は演じる。
演じながら、それが真実となっていく。
茂吉人形が、またも茂吉本人を演じ始めた。
「願掛けは、業からゆえじゃろうの」
不気味な圧がある物言いで言葉を続けた。
――朽ちるがままに任すべきだったが、欲が押さえられなくなった。
死期を悟った茂吉は我が娘に『呪い』の願掛けをした。
それは呪いであって『祝い』でもあった。
『真に人を愛すれば目覚める。愛が成就すれば、生人形は満たされて塵となり、無に還る』と。
人であって人でない『ひとがた』は、愛を知り、満ちたりて生を終える。
何時の日か、清らかな千姫に生まれ直して、この世から消え去って欲しいと願った――と。
「人形が人形としてひっそり朽ち果てるまで続く、夢物語のはずじゃった」
茂吉人形の語りに、口をはさんだ。
「谷汲観音像ソックリな親父が、本多忠刻にも瓜二つだというのは、どういうことだ?」
「それは……わしとて、初めて忠刻さまにお目にかかった折は、あまりに谷汲、いや、遠い過去に生きた池田薫さまと瓜二つで驚いたが、さらにはるか昔の本田忠刻公生き写しか否かは……誰一人あずかり知らぬことなのじゃ」
茂吉はコホンと咳をした。
「はるか遠き昔の女人じゃから、わしが作った人形に確かな『記憶』などあろうはずがない。都合よく、糸を結び合わせて、美しい『夢』を紡いだのであろう……」
「父上は何を申される。愛おしい忠刻さまの面影を片時も忘れたことなど……」
柳眉を逆立てる千姫人形に、
「わかった、わかっておる。お前にとっては真実じゃからな。じゃが、この場は、しばし黙っておらぬか」
ピシャリと言い放った。
「で、じゃな」
一つ大きな吐息をついて、茂吉は茂吉人形に戻っていく。
――その日、千姫人形の目の奥に、微かな揺らぎを見た気がしたが、水月に話せば処分されると考え、気付かなかったことにした。
生人形がすぐ動き出すことはなく、あの呪いは、老いた父の単なる願掛けだったと胸をなで下ろした。
だが、千姫人形はほんの少しずつ生を取り戻していった。
瞬きを見たときは、嬉しさしかなく、水月に報告せず見守り続けた。
霊力を含めて、すべて蘇るには、五年近くの歳月が必要だった――
「それだけ月夜見さまの封印の力が強かったのじゃろうか」
茂吉人形が長い吐息を吐いた。
――千姫人形は、今すぐ、忠刻どのに会いに行きたいと懇願した。
密かにお姿を見るだけで構わないと言い張った。
清らかで純な瞳を見て、『かつての千姫人形とは違う』と考えた――
「我が娘可愛さに、騙されたくて騙されたとも言えよう」
横顔の陰影が濃くなった。
静かな眼差しで千姫人形を見詰める。
「千姫、わたしとこの島で静かに暮らそう。忠刻さまの生人形ならいくらでも作ってやると、前々から言うておろうが」
「忠刻どのに一夜のお情けをいただければ、もう何も要らぬ。塵と消えて生を全うしたいのじゃ。どうしてそれが許されぬのじゃ」
「残されたわたしはどうすればいい」
「知らぬ。このような呪いを掛けたのは父上ではないか」
「あくまで父上は父上だ。わたしは父上ではない。わたしは望んでいない。わたしはいつまでもいつまでもお前の世話をしたいのだ。この島で、ともに暮らそう。それだけでいい」
「ええい、なぜにわらわの心が分からぬのか」
「お前こそ、どうしてわたしの気持ちが分からんのだ」
茂吉人形と千姫人形が、激しく応酬を始めたときだった。
「茂吉人形には荷が重過ぎましたね」
凜とした声が岩場に響いた。
オフクロ――土御門水月だった。
陰陽師を思わせる衣装をまとっている。
純白の狩衣は、まばゆい光を放ち、袖くくりの紐の紅色が鮮やかだった。
袴も純白で、足元は淺沓と呼ばれる履き物である。
桧扇を手にしたオフクロはまるで別人だった。
すさまじいばかりの『気』が周りを圧する。
オフクロと呼び掛けるには遠い人だった。
「日向が言うので、お前に任せてみましたが、やはり時間の無駄でしたね」
つり上がった目が、茂吉人形を
「やっと来たか。待ちくたびれたぞえ」
千姫人形が優雅な所作で水月を
「人形の分際で、大事な大事な忠刻さんに執着するとは」
水月の狩衣の白く輝く袖がゆるやかにはためく。
いや、生あるようにグネグネとうごめく。
「それで、肝心の忠刻どのはいずこじゃな」
千姫人形はオレの腰の辺りに触れたまま、悠長な口調で訊ねた。
「す、水月さま、どうか……」
茂吉人形は、オロオロしながら、千姫人形を庇う。
「ともかく恋しい恋しい忠刻どのを待つとしようぞ」
千姫人形はクククと笑った。
「お前のような人形ごときに、大切な忠刻さんは渡しません」
水月が冷たく言い放つ。
「忠刻どのを呼び寄せずにおれぬようしてみせる。いくら情の無い母親とはいえ、我が子の苦悶するさまを目の当たりにして、どれだけ耐えられるかの」
言葉と同時に、蔦がオレの体に締め付け始めた。