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第28話 オレ宛てのオヤジの遺書はビター

「一博さんがオカルテイックな話を信じるはずがない、ご両親との軋轢も大きいから、反発するだけだと考えた結果、確かな証拠を示せるまで黙っていることにしたのです」

 日向人形は暮れ掛かる空を見上げた。


「自分では食わないのに、オレのためにせっせと料理を作ってくれていたんだな」


「餌付けの意味でね」

 日向人形は首をすくめながらゆっくりと腰を上げた。


 オレも立ち上がった。

 歩くと、地面を這っていた定家葛の蔓が、未練そうにカサカサ音を立てた。


 日向人形の横顔の陰翳が深くなる。 


「生身のうちは、ただ一度だけでも忠刻さんと結ばれたいと、千姫人形のように執着していました。でも、中身が空洞になってからは、憑き物が落ちたようになりました。千姫人形は空虚さゆえに、生身の人とのつながりに固執しましたが」

 酸いような笑みで口元を歪めた。


「肉体的な欲望と無縁になって、忠刻さんのために働くことだけが、この世に存在する理由になりました。一博さんの世話も、忠刻さんのためでした。最初は手に負えない、バカなお坊ちゃんだと思っていました」

 そこで一つ息を吐いた。


「それはともかく……着任早々、忠刻さんから『コレが息子だ』と、画像を見せていただいたときは、忠刻さん以上に、谷汲観音像ソックリで驚きました」

 舌で上唇をなめたかと思うと、スンと真顔に戻り、スーツの胸元から、封書を取り出した。


「茂吉師人形が、土蔵から忠刻さんを解放したとき、『蘇った日向の手から一博に渡すように』と、この遺書を託されたそうです」


「何だよ」     

 日向人形の手から封書をひったくって開封した。


 何の変哲もないA4サイズのレポート用紙に、手書きの文字が横書きでビッシリ記されている。

 急いで書いたらしく、普段几帳面な文字がひどく乱れていた。


 日向とはすべて共有すべきだと考え、遺書を音読し始めた。 


 ――ここに至り、一博にも、事情を書き残すべきと考え、時系列に沿って記すことにした。


 大学生だったわたしは、高校生だった水月の家庭教師をすることになった。

 水月は、母親の後ろに隠れているような、内気で大人しい少女だった。


 わたしは、水月の、良家の子女らしい気品に惹かれた。


 何度か顔を合わすうちに、不思議な顔立ちも、個性的で、むしろ美しく見えるようになった。


 話し掛けても、うつむいたまま、蚊の鳴くような声でしか答えられなかった。


 将来、代替わりして土御門家を継ぐというが、とても務まりそうもない線の細さに、大いに庇護欲をかき立てられた。


 三ヶ月も経たないうちに、義母から、『娘はあなたと添えなければ死ぬと言っている。水月の短大卒業と同時に婿に迎えたい』と申し出られ、押し切られる形で承諾した。


 結婚後は、か弱い水月を守ってやりたいとの気持ちがどんどん大きくなっていった。

 義母への意地もあって、全力で職務に邁進した。


 一九九六年に義母が五十五歳で死去し、水月が土御門家の当主となった。

 水月は代替わりに際して定家葛島に行くという。


 水月は生人形の話をしたが、怪異譚にはまったく触れなかった。

 むろん茂吉が生人形であるという説明も無かった。


 真実を打ち明ければ、精神を病んでいると思われる。

 気味悪がられ、土御門家を去られると危惧したのだろう。


 わたしは軽い気持ちで土蔵に立ち寄った。

 生人形がどのように作製されているか、興味が湧いて構造をチェックしてみたが、衣装の中は簡素な張りぼてでしかなく、田舎芝居の舞台裏をのぞいた心地がした。

 しょせんは見世物小屋に置かれる、品の欠片も無い人形でしかなく、芸術とはほど遠かった。

 わたしはすぐさま興味を無くして、それきり思い出しもしなかった。


 おまえが生まれた際、男としての責任の重さを強く感じたわたしは、さらに職務に打ち込んだ。



 水月が赤ん坊に夢中になったことで、わたしだけに注がれていた、重過ぎる愛が分散され、正直、ホッとした。


 お前が三歳のとき、水月は突然、育児放棄した。

 当時のわたしは、お嬢さま育ちの水月が、育児の大変さにギブアップしたと考え、人手は十二分にあるから、なんら問題は無いとの認識だった。


 水月は、出先や出張先など、わたしの挙措をいちいち把握せずにいられないようになった。

 浮気を疑っているのかと、微笑ましく思っていたが、わたしを守るためだったと、後に思い知らされることとなった。

 水月には長い間、つらい思いをさせてしまった。


 あまりに生き写し過ぎて、おまえの些細な癖や失敗にも、苛立ちが押さえられず、つい暴力を振るってしまった。

 己を小さな人間だと嫌悪しながら、自分を止められなかった。


 芹沢の一件は痛恨の出来事だった。

 わたしも見る目が無かった。


 事件当初、わたしは、お前の仕業だと考えた。

 幼い頃から、猟奇趣味に惹かれる、不気味な子供だったからだ。

 わたしは、なんとしても隠し通さなければならないと考えた。


 後になって、千姫人形が関与していた可能性を知ったものの、今もって真相は闇の中だ。


 ともあれ、記憶を自ら封印してしまったことは幸いだった。


 暗い記憶がそうさせるのか、もともとの資質なのか、お前はどんどん、わたしたちを苦しめる怪物になっていった。


 問題を起こす都度、水月に懇願され、公正に反すると苦慮しながらも、もみ消してやるしかなかった。


 何をしでかしても尻ぬぐいしてくれるといい気になったお前は、ますます増長して、わたしの立場を脅かすようになった。


 日向は、わたしの苦しみを知って、お前の行動を監視し、問題を上手く処理してくれた。

 すべて日向のおかげだ。


 日向の死の経緯は本人から聞いてくれ。

 日向が巻き添えになってしまったことは、一生の負い目になった。


 どうしてここまでわたしに尽くしてくれたのか、未だに分からないものの、有能な日向にとって、非常事態を処理することが、ある種の快楽だったのだろう。



 科学では説明できない化け物の存在を知ったわたしは、水月に詫びた。

 水月もわたしに泣いてすがった。


 水月は、茂吉人形に命じて日向を復活させ、わたしは、日向に借りを返せたと安堵した――


 そこまで読んだオレは、

「何が、借りを返しただ。生き返ったのとは違うだろ。生人形は生人形だ」と口走った。


 日向は他人事のように涼しい顔である。

 それが歯がゆい。


「オヤジは日向の厚意に甘え過ぎていた。人としてどうなんだ」


「何もかも、わたしが好きでしたことですからいいじゃないですか。こうやってここに存在しているのですし」


「ま、本人がそう言うのだから、オレは何とも言えないよな」

 拍子抜けしたオレは音読を再開した。




 忠刻の文字はますます乱れていく。 


 ――お前は、霊的な能力を標榜する水月への反発が強い。

 決定的な証拠を見せない限り、オカルト的な事象を信じないのは分かっていた。


 二〇二二年秋に、千姫人形からの最後通牒が届いたとき、わたしの監視下において保護することを決断し、日向人形に指示を与えた。


 日向人形のミスが原因で、一博が千姫人形の手に落ちたと知らされたときは、ついにこの日が来たと大いに動揺した。


 肝心な局面で放心するとは、生身の日向なら考えられないことだ。

 やはり人形は人形だ。

 間が抜けている。


 一博が島に向かうとは予想もしていなかったし、六月一日が千姫人形にとって一番大事な日だと気付いていなかったことも、わたしと水月の痛恨のミスだから、あながち日向人形ばかりを責められないが。


 すべては千姫人形の執念によってこの定家葛島に導かれたと考えれば納得がいく。


 島で対決すれば、千姫人形の霊力が勝り、水月の命が危うい。

 とはいえ、千姫人形の望みを叶えることは不可能だ。

 このままでは誰も助からない。


 成功するか否か五分五分だが、わたしは、千姫人形の常軌を逸した深情けに賭けることにした。


 お前が総監室に来たときにはすでに決意していた。

 ついに実行に移さねばならない事態に到ったというわけだ。


 本多忠刻公の生まれ変わりだと認め、『この命をやろう、お前のものになる』と訴えるつもりだ。

 水月は反対するに違いないから教えていない。



 吹上峠での水月は別人だった。

 無惨な遺体を躊躇無く処理した姿に、『わたしのために、そこまでしてくれるとは!』と大きな感動を覚えたことは確かだ。

 だが、出会ったときから、わたしは偽りの水月を愛し、手の中で踊らされていたと知らしめられた瞬間でもあった。


 愛が冷めたわけではないと思いたかったが、心の奥底は別だった。


 庇護し、慈しむべき、か弱い女性と思い込んでいたコレまでの世界は、完全に崩壊してしまった。

 男としての誇りを傷つけられたといっていい。


 愛する気持ちは変わらなかったが、愛を交わせなくなった。


 水月は、正体を知られて、わたしの愛が冷めたと思ったろう。

 だが、決してそうではない。

 わたしのちっぽけなプライドが耐えられなかっただけだ。


 この五年間、上辺だけ取り繕う仲になってしまった。


 懐剣で自死されてはと危惧したわたしは、朝倉に命じて厳重に保管させた。


 心因性勃起障害など、時の経過で治癒すると信じていたが、もはや時間が無い。


 いつまでもそばにいて支えてやりたかった。

 それだけが心残りだ。


 土御門家の継承の象徴であり、いまや不要となった懐剣で生を終えようと考えるに到った。

 懐剣の手入れを怠らなかったことも、このような日が来ることを予感していたためと思うことにした。



 くれぐれも水月を頼む。

 水月を助けてやってくれ。

 わたしからの最後の願いだ。



 それから……日向人形は裏切らない。

 きっとこの先も役に立つ。



 この遺書を書いている時点では、先行きが不確かだ。

 一博、お前が無事、この遺書を読んでいることを祈っている――


 そこで遺書は終わっていた。



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