青く高い空の下、穏やかな風が草原を撫でるように吹き抜けていく。風に揺れる赤い髪をかき上げながら、俺は小さく息を吐いた。
「ふう……ようやく、ここまで来たな」
俺の名前はユウ。23歳。日本での記憶がある……つまり、いわゆる異世界転生者だ。18歳のとき、気が付いたらこの世界にいた。そして、気づけば”テイマー”という職業になっていた。
テイマー。魔物と心を通わせ、使役する職業だが、この世界ではあまり評価されていない。強い魔物を従わせることができれば話は別だが、序盤のテイマーは非常に地味で、戦いには不向きとされていた。
でも、俺はこの力で、この世界で生きていくと決めた。戦いじゃなくてもいい。森で素材を集め、作物を育て、テイムした魔物と力を合わせて、日々を積み上げていく。そういう生き方をしたかった。
目の前には、小さな街が広がっていた。
「ここが——ロルクの街、か」
木造の家々と石畳の道、小さな市場、にぎやかな声。冒険者や商人が行き交い、馬車の音が遠くから聞こえてくる。
この街で、俺は新しい生活を始める。テイマーとして、そして商人として。
「さて、と。お前たちも、よろしくな」
俺が振り返ると、そこにはすでにテイム済みの魔物たちがいた。
一体目は、大きな黒い狼——《影狼(シャドウウルフ)》の「ルガ」。鋭い目つきと素早い動きで、護衛にも偵察にも使える頼もしい相棒だ。
二体目は、空を悠々と飛ぶ《雷鷹(サンダーファルコン)》の「ヴァイス」。視界の広さと空からの偵察能力が高く、急襲にも対応できる。
三体目は、小さな山のような《岩のゴーレム》「グラフ」。無口だが強靭な体で荷物運搬から防衛までこなす万能型。
そして——四体目が、翼を広げたエメラルドグリーンの《翠竜(すいりゅう)》「ゼルド」。まだ幼体だが、将来的には空も飛び、炎も吐く最強クラスの魔物だ。
「この街で、まずは住む場所と商売の拠点を探さなきゃな」
そう呟いて歩き出そうとしたそのとき——
「そこの旅人さん、街に用かい?」
声をかけてきたのは、街の門番らしい青年だった。槍を手にしつつも、柔らかい表情だ。
「ああ、住み込みで商売を始めたいんだ。拠点にできる家を探してて」
「なるほど。だったら、ちょうどいい空き家があるぜ。街の北区画に、前に鍛冶屋が使ってた家が空いてる。ちょっと広めだし、裏に畑もあるらしい」
裏に畑も——それはありがたい。
「ありがとう、助かるよ」
「はは、気をつけてな。あ、そうそう……そいつら、全部お前の仲間か?」
門番の青年が、後ろの魔物たちに目をやる。
「そうだよ。俺、テイマーなんだ」
そう答えると、彼は目を丸くした。
「テイマーで、これだけの魔物を?……ただもんじゃねぇな、お前」
俺は少し苦笑しながら、軽く手を振って門をくぐった。
街の中は活気に満ちていた。屋台では焼き魚の香ばしい匂い、子どもたちの笑い声、商人たちの値切り交渉……この世界に来て、何年も森で一人で暮らしていた俺にとって、それはとても眩しく、懐かしいものに感じられた。
門番に教えてもらった北区画を目指し、街の中を歩いていく。道中、ルガやグラフの存在に驚いて避ける人もいたが、危害を加えるつもりがないとわかると、皆次第に普通に接してくれるようになった。
街の北側に差し掛かったころ、小さな広場の角に、教えられた通りの家が見えてきた。
「ここが……拠点になる場所か」
石造りの家屋。外壁にはツタが這い、使われていなかった時間の長さを感じさせる。だが扉はしっかりしているし、屋根も大丈夫そうだ。裏に回ると、小さな畑があり、井戸も完備されていた。
「悪くない。いや、むしろいいな」
さっそく中を片付け始める。グラフが家具を動かし、ルガが細かいところの埃を嗅ぎ分け、ヴァイスが空から街を見張ってくれる。魔物たちと暮らす日常が、少しずつ形になっていく。
その日の夕方、最低限の片付けが済んだ頃、俺は商人ギルドに足を運ぶことにした。商売を始めるには、登録が必要だ。
ギルドの建物は木造の大きな二階建て。中には多くの商人がいて、賑やかに取引の話をしている。
「いらっしゃい、登録かい?」
受付で対応してくれたのは、落ち着いた雰囲気の女性職員だった。
「はい。今日この街に来たばかりのテイマーです。採集品や魔物素材を売って、少しずつ生活を軌道に乗せたいと考えてます」
「テイマー、ですか……珍しいですね。でも、素材を扱うならむしろ適職かもしれません。登録料は銀貨五枚ですが、お持ちですか?」
「もちろん。これでお願いします」
財布から取り出した銀貨を手渡すと、彼女は頷いて書類を用意してくれた。
「……それでは、商人登録完了です。ちなみに、明日からこの街では『市場の日』が始まります。広場に屋台を出して、自由に物を売ることができる日です。出店も可能ですが、数に限りがあるので、早めに申し込んでくださいね」
「ありがとうございます。ぜひ参加したいです」
ギルドを後にして家へ戻り、明日の準備に取りかかる。ルガと一緒に森で採取した薬草、ヴァイスが見つけた珍しい果実、グラフが運んできた鉱石類——それらを種類ごとに分け、丁寧に袋詰めにしていく。
「これで、少しは売れるといいな……」
夜になり、静かになった家で、火を灯したランタンの下、俺は魔物たちに囲まれて夕食をとる。簡単なスープと焼きパン。だが、誰かと一緒に食べるだけで、不思議と心が温かくなった。
「なあ、ルガ。ここで……お前たちと一緒に、ちゃんと生きていけると思うか?」
ルガは何も言わず、すっと俺の隣に座り、静かに尻尾を揺らした。
「ありがとな……本当に、ありがとな」
その夜、俺は夢を見た。
見知らぬ森の中で、新たな魔物と出会っている夢だった。その姿はぼんやりとしていたが、不思議と強く心に残っていた。
そして、翌朝。
市場は朝から賑わいを見せていた。俺も小さな屋台を出し、薬草や果実を並べて販売を始める。
「お兄さん、この赤い実はなんだい?」
「これは《紅露の実》。甘酸っぱくて、疲労回復に効果があるって言われてるよ。味見してみる?」
子供に実を渡すと、嬉しそうに笑って口にした。
「甘い!」
周りの客も興味を持ち、次々と買っていく。初日の売り上げは思った以上で、テイマーの力を活かした品揃えが好評だった。
「これなら……いける。俺のスローライフ、始まったばかりだけど、ちゃんと一歩踏み出せたな」
そんな矢先。
「あなたが……噂の、魔物使い?」
振り向くと、そこには長い青い髪をなびかせ、鋭い眼差しを向ける少女が立っていた。背中には剣。明らかに戦士の気配をまとっている。
「……ああ、俺がテイマーのユウだけど?」
「ふん、なかなか良い目をしてる。ちょっと、力を貸してもらえるかしら?」
「は?」
「近くの森に、魔物の巣があるの。私ひとりじゃ厳しい。でも、あなたなら——」
新たな出会い。そして始まる小さな冒険。
——これが、俺の異世界での、最初の一歩だった。