「近くの森に、魔物の巣があるの。私ひとりじゃ厳しい。でも、あなたなら——」
朝市の中、そう言って俺に声をかけてきたのは、鋭い眼差しを持つ青髪の少女だった。
腰に携える細身の剣、戦士らしい軽装の鎧、そして凛とした佇まい。まだ年は若そうだが、ただの素人ではないことが一目でわかった。
「俺に力を貸せって、どういう意味だ? 初対面なんだけど」
「名前はアイリス。冒険者ギルドで活動してる戦士よ。最近この街に来たばかりだけど、調査依頼で動いてるの。問題の魔物の巣……どうやら、かなり厄介な群れが棲みついてるみたい」
「それで、俺に目をつけたわけか?」
「ええ。あなた、テイマーでしょ? 朝市であなたの魔物たちを見て、これならいけると思ったのよ。どう? 協力してくれない?」
いきなりの提案に戸惑いつつも、俺は彼女の真剣な目を見て、ふと興味が湧いた。単に危険な依頼というだけじゃない。こうして誰かと共に動くことが、これからの自分に必要な経験になる気がした。
「……わかった。引き受けよう。ただし、無茶はしない。俺は戦士じゃなくてテイマーだから、基本は補助と支援が役目だ」
「うん、それで十分。ありがとう、助かるわ」
アイリスの口元に、少しだけ微笑が浮かんだ。
魔物の巣があるのは、街の東に広がる《ミリスの森》の奥地。前日までルガと共に採集していた場所よりも、さらに深い位置にある。
今回はルガ、ヴァイス、そしてグラフを連れていく。ゼルドはまだ幼く、今回はお留守番だ。
「じゃあ、出発しましょう」
朝の陽射しの下、アイリスと共に森の道を進んでいく。彼女の動きは俊敏で、地面に残る足跡や折れた枝から、魔物の移動経路を即座に見抜いていた。
「……これ、間違いないわ。群れが移動してる。ここ数日で場所を変えたのかも」
「もしかして、繁殖期か何かか?」
「たぶんね。それに……この爪痕、見て」
アイリスが木の幹を指さす。そこには鋭く裂けた爪痕が残っていた。高さは俺の目の高さを軽く越えていた。
「でかいな……この辺りにそんなサイズの魔物、普通はいないはずだろ」
「そう。だから厄介なのよ。下手すれば、巣の主が変わった可能性もある」
慎重に森を進み、昼前には目的の地点に到着した。
そこは、岩が露出した崖の下にできた天然の洞窟。洞窟の入口には、獣の毛や骨の破片が散らばっており、強烈な獣臭が漂っていた。
「間違いない……ここが、魔物の巣よ」
「ルガ、ヴァイス、グラフ——警戒態勢で頼む」
ルガが前に出て牙を剥き、グラフが俺の背後を固める。ヴァイスは上空に飛び、警戒飛行を始めた。
「突入する前に、作戦を立てよう。俺の魔物たちは連携が基本。俺が指示を出すから、それに合わせて動いてくれ」
「了解。私は前線を押さえるから、背後からの支援をお願い」
洞窟の中は薄暗く、湿気と魔力の気配が漂っていた。足元には何かの粘液のようなものが広がり、踏みしめるたびにぬるりと音がする。
そして——その奥から、唸り声が響いた。
「……来るわ!」
次の瞬間、洞窟の奥から姿を現したのは、巨大な四つ脚の魔物だった。
《鋼牙獣(スティールファング)》——灰色の硬質な皮膚と鋼のような牙を持つ、Cランク相当の中級魔物。だが、それよりも恐ろしいのは、その背後にさらに小型の魔物たちが数匹、控えていることだった。
「群れで動いてる……! ボス個体と子分たち、か」
「アイリス、正面は任せる。グラフ、正面に出て!」
「——ッ!」
鋼牙獣が猛然と突進してくる。アイリスがその正面に立ちふさがり、剣で受け流しつつ横へと飛び退いた。その隙を突いて、ルガが側面から噛みつき、ヴァイスが空から目潰し攻撃を仕掛ける。
「グラフ、叩き潰せ!」
岩の拳が振り下ろされ、鋼牙獣の足を直撃。鈍い音と共に、魔物の動きが一瞬鈍る。その瞬間を逃さず、アイリスが跳躍し、鋭い一太刀を放った。
——ズバン!
鋼牙獣の首元に深く剣が突き刺さり、魔物は大きくのけぞった。
「今よ、ユウ!」
「テイム!」
俺の手から淡い光が放たれ、鋼牙獣に向けて伸びる。
一瞬、拒絶の反応があったが、次の瞬間、魔物の瞳が静かに光を返した。
——テイム成功。
「やった……!」
「はぁ、はぁ……すごいわね、あなた」
アイリスが息を切らしながら俺の横に立つ。
「まさか、あの鋼牙獣を……この場でテイムするなんて」
「運がよかっただけさ。でも、これでこの森の安全は確保できたはず」
「ふふ……あなた、本当にただの商人じゃないわね」
「そりゃそうだろ? 一応、テイマーだからな」
こうして、俺とアイリスの初めての共闘は成功に終わった。
鋼牙獣の群れを討伐、あるいは無力化したことで、ミリスの森は大きく安定を取り戻した。
「これで森の東側の危険度も下がるわね。……ありがとう、ユウ。あなたがいなかったら、私はきっとやられてた」
洞窟を出た帰り道、アイリスは素直に頭を下げた。彼女の鎧は傷だらけになっていたが、その目はどこか晴れやかだった。
「お互い様さ。俺もアイリスの剣に助けられたし、こういうのは協力してこそ意味があるんだよ」
俺が笑いかけると、彼女も口元を緩めた。普段は厳しい表情が多い彼女だが、笑った顔は年相応でどこか無垢だった。
「それにしても、すごいわね。あの魔物をあんなにスムーズにテイムできるなんて」
「まあ、これは……俺の《固有スキル》のおかげかもな」
「固有スキル?」
俺は頷く。
「《魔縁契約(テイムリンク)》っていうスキルでな。魔物の“心”に直接語りかけて、信頼を結ぶ力だ」
「へぇ……じゃあ、力づくじゃなくて、心で繋がるってこと?」
「そういうこと。無理に従わせるんじゃなく、仲間として迎える。それが俺のやり方なんだ」
「素敵ね。あなたみたいなテイマー、初めて見たわ」
そう言われると、やっぱり嬉しい。前世ではこんな風に誰かに認められることなんて、なかった気がする。異世界に来て、少しずつ自分の存在が形になっていく。それが、心のどこかで誇らしい。
「そういえば、あんたって普段は商人やってるんだっけ?」
「そうだな。魔物と暮らして、森で採れる素材を使って加工品を作ってる。それを市場で売って、街の人たちと少しずつ関係を築いてるところだ」
「すごいわね……戦えるし、生活力もある。まるで何でも屋みたいじゃない」
「はは、まあ否定はしない」
そんな風に話していると、街の門が見えてきた。
戻ったのはちょうど夕暮れ時。門番の兵士たちが鋼牙獣を見てざわめき、ギルド職員が走ってくる。
「それは……ミリスの森で目撃情報のあった個体……!」
「討伐じゃなく、テイム成功だよ。森の安全も確認した」
「す、すごい……! これで東の採集ルートが再開できます……!」
ギルドに報告を済ませると、思ったよりも大きな報酬が用意されていた。テイムされた鋼牙獣は、今後の運搬や護衛などでも活躍できると大いに期待されているらしい。
「さすがね……これが、商人としての手腕でもあるの?」
「結果的にそうなっただけさ。俺は魔物たちと平和に生きていきたいだけだ」
「……ふふ。変わってるけど、嫌いじゃないわ、そういうの」
アイリスは照れくさそうに、だが少し嬉しそうにそう言った。
数日後。
ミリスの森の安全が確認されたことで、街の外へ出る人々が増えてきた。
俺もさっそくルガたちと共に森へ入り、久しぶりに採取を再開する。薬草や香草、食用になるきのこや野草。それらを丁寧に選別しながら籠へと詰め込んでいく。
「ユウ、手伝いましょうか?」
声をかけてきたのは、例の青髪の少女、アイリスだった。
「おお、どうしたんだ? 今日はギルドの仕事じゃないのか?」
「自由任務だけどね。たまには街の人の役に立つような仕事もしようと思って。あなたの仕事、見てて楽しそうだったし」
「へぇ、珍しいな。戦士が素材採取に付き合ってくれるとは」
「ふふっ、文句ある?」
「いや、ありがたいよ」
採取作業は地味だが、魔物の警戒や自然環境への配慮も必要な、なかなかに技術を要する作業だ。こうして二人で協力することで、作業効率も格段に上がる。
ルガは森の奥で警戒に当たり、グラフは大きな木の陰で獲物を見張り、ヴァイスは空から索敵を行う。
「魔物たちとも、すっかり信頼関係ができてるのね」
「時間をかければ、どんな相手とも心は通じる。たぶん、人間も同じだよ」
「……ねえ、ユウ」
「ん?」
「今度、あなたの家……見に行ってもいい?」
「え? 俺の家?」
「うん。あなたと魔物たちがどうやって暮らしてるのか、気になるの。戦うだけじゃなくて、“生きる”ための場所……私も、そんな場所を探してたのかもしれない」
その言葉を聞いたとき、俺は思わず笑ってしまった。
「だったら歓迎するよ。いつでもおいで。俺の家は誰でも来られる、開かれた場所だからな」
「ふふ……ありがとう」
そしてその日の夕暮れ。
俺たちは採取した素材を荷車に積み、街へ戻る途中だった。
その途中、森の奥から奇妙な鳴き声が響く。
「キィィ……ッ、キャア……ッ!」
「なんだ?」
「この鳴き声……もしかして、魔物の子供……?」
ルガが鋭く吠え、ヴァイスが先行して飛び立つ。
しばらくして、森の小さな茂みの中から、怯えたような目をした小さな魔物が現れた。毛並みはまだ柔らかく、足取りも不安定。どうやら親とはぐれた幼体のようだ。
「この子……どうする?」
「連れて帰るさ。見捨てられないだろ、こんな小さな子を」
俺はそっと手を伸ばし、テイムの光を込めた。
魔物の子供は少し震えた後、俺の手にそっと額を寄せた。
——新たな仲間が、また一匹。
こうして、仲間は少しずつ増えていく。
戦士の少女・アイリス、心を通わせた魔物たち、そしてこの世界で出会う人々。
俺の物語は、まだ始まったばかりだ。